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第三章 落ちこぼれ剣客と神算の事務屋。三国志の英雄たちが「ドン引き」した、たった一夜の復讐譚 徐庶と向朗の完全犯罪  作者: こくせんや
第三部 落ちこぼれ剣客と神算の事務屋。三国志の英雄たちが「ドン引き」した、たった一夜の復讐譚 徐庶と向朗の完全犯罪

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第9話 蒼天、すでに死す 1/2

1.亡霊たちの凱歌


空が割れる音がしたわけではない。

地が裂けたわけでもない。

ただ、早馬の使者が、泡を吹いて倒れながら吐き出した一言が、陽翟という都市の脊髄を凍らせたのだ。


「――帝、崩御」


その報せは、夏の熱気を含んだ風に乗って、疫病のように瞬く間に街路を駆け巡った。

市場の喧騒が、不自然に途切れる。

商人が、落とした銅銭を拾うことさえ忘れ、虚空を見つめる。

赤子が泣き止み、野良犬さえもが尾を巻いて路地裏へと消えた。


「蒼天、すでに死す」


誰の口から漏れたのか。

それはかつて、この国を焼き尽くした「黄巾の乱」の教義だった。

数年前、陽翟は地獄の中心だった。波旬と化した波才率いる黄巾賊に包囲され、朱儁将軍と皇甫嵩将軍が血路を開くまで、この街は死体と汚物、そして狂信の坩堝と化していたのだ。

その記憶が、蓋をしていた膿が噴き出すように、民たちの脳裏に蘇る。


(あの日、隣人が鍬を持って襲ってきた)

(あの日、優しかった店主が、黄色い布を巻いて笑いながら火を放った)

(あの日、飢えた子供が、死んだ親の腕を齧っていた)


帝が死んだ。それは漢という「蓋」が外れたことを意味する。

蓋が外れれば、またあの黄色い悪魔たちが、土の下から這い出してくるのではないか?

「いやだ……いやだァ!」女の絶叫が静寂を引き裂いた。

それを合図に、街はパニックという名の怪物に飲み込まれた。


「買い占めだ!米をよこせ!」

「隠すな!貴様、黄巾の信徒か!?」

「違う、私は違う!助けてくれ!」


昨日まで挨拶を交わしていた隣人が、今日は疑心暗鬼の鬼に見える。

誰かの袖から黄色い布が見えた気がする。風の音が、賊の喚声に聞こえる。


太守府の門前には、保護を求める民と、暴徒化しかけた群衆が押し寄せ、衛兵たちが青ざめた顔で槍を構えている。

だが、督郵の賈仁は葛陂かつはの賊との癒着を疑われ、昨日屋敷は燃え、殺害されたという。

また肝心の太守・李旻はこの騒ぎにも姿を見せない。


「黄巾の賊が再びせめて来るぞ。賈仁は賊と手を結び、太守自ら手引をしているそうだ」


彼らは知っているのだ。この恐怖を鎮めるには、誰かを生贄にするか、あるいは自分たちが真っ先に逃げるしかないことを。


陽翟の空気が腐っていく。誰もが目を血走らせ、呼吸をするたびに絶望を吸い込み、疑念を吐き出す。かつて焼き払われたはずの「黄天」の幻影が、陽炎のように街を覆い尽くそうとしていた。


「太守を倒せ!。賈仁とともに、葛陂かつはの賊と癒着していた太守を倒せ!。黄巾を倒せ!」

文書庫の窓から、その地獄絵図を見下ろす向朗の瞳だけが、冷たく、乾いていた。

蒼天は死んだ。そして腐りゆく座を巡り、生者たちの共食いが始まろうとしていた。


2.蒼天死す


洛陽から疾駆してきた伝令がもたらした「霊帝崩御」の報は、瞬く間に豫州全土を駆け巡った。

街は国喪に服すため、家々の軒先に白い麻布が吊るされている。

風になびく無数の白布は、まるで街全体が巨大な死装束をまとっているかのようであり、あるいは降伏の白旗のようにも見えた。


だが、その白さの裏で、どす黒い恐怖が発酵していた。夜が明けるたびに、路地裏の土壁や井戸の縁に、黒い墨の落書きが増殖していくのである。


蒼天已死そうてんすでにしす


かつて、太平道の教祖・張角が掲げたスローガンである。

わずか五年前、この陽翟を地獄の釜へと変えた黄巾の乱。

その呪言が、帝の死と共に亡霊のように蘇ったのだ。


当時、それは反乱の扇動文句であった。だが、天子という国家の支柱が折れた今、その言葉は単なるスローガンではなく、「漢王朝の死亡診断書」としてのリアリティを持って、人々の脳髄に突き刺さっていた。


市場を歩く人々の目は、死んだ魚のように濁っている。

「……誰が書いた?」

肉屋の主人が、壁の落書きを睨みつけて呟いた。

「隣の家の息子か?あいつは昔、太平道の集会に行っていたはずだ」

そばにいた桶屋が、声を潜めて答える。

「いや、向かいの宿屋の主人かもしれんぞ。最近、夜遅くに出歩いている」


挨拶は消え、目配せは監視へと変わった。

陽翟という都市を流れていた「信頼」という名の通貨が、大暴落を起こしている。

人々は互いに微笑みかけながら、懐の中で短刀の柄を握りしめていた。

社会契約の破産は、目前に迫っていた。


陽翟の民が抱く恐怖は、単なる妄想ではない。

彼らの骨髄に、焼きごてで刻み込まれた「記憶」である。


わずか五年前、中平元年(一八四年)。

この陽翟こそが、中華で最も凄惨な地獄の底であった。

当時、この地を支配したのは、神憑りした黄巾の渠帥・波才率いる数万の狂信者たちだった。

彼らは鍬を捨て、黄色い頭巾を巻くだけで、昨日までの隣人を八つ裂きにし、官吏の腹を裂いて内臓を引きずり出す「修羅」へと変貌した。


そして、それを鎮圧した皇甫嵩・朱儁ら漢の官軍もまた、慈悲深き解放者などではなかった。

彼らは、さらに巨大な暴力装置であった。

長社の戦いで数万の賊を火計で焼き殺し、逃げ延びた波才軍をここ陽翟で包囲殲滅した際、官軍は勝利の記念碑を築いた。


――「京観けいかん」である。


殺した賊徒の首と死体を、土と混ぜ合わせ、高く積み上げて固めた巨大な塔。

陽翟の城外には、見上げるごとき死体の山脈が築かれ、流れ出た血と脂は川となって大地を赤黒く染めた。その腐臭は三ヶ月経っても消えず、夜風には常に死者の呻きが混じった。


陽翟の土地は、死んでいる。大地の亀裂の奥底には、今なお数万人の無念と狂気が染み付いているのだ。

壁に書かれた『蒼天已死』の文字は、単なる悪戯ではない。

その地下に眠る「京観」の記憶を、無理やり叩き起こす召喚の儀式だった。


また、あの地獄が来る。


隣人が鬼となり、最後は死体の塔の一部として積み上げられる、あの狂乱の季節が帰ってくる。その確信が、陽翟の理性を内側から食い破ろうとしていた。

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