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第三章 落ちこぼれ剣客と神算の事務屋。三国志の英雄たちが「ドン引き」した、たった一夜の復讐譚 徐庶と向朗の完全犯罪  作者: こくせんや
第三部 落ちこぼれ剣客と神算の事務屋。三国志の英雄たちが「ドン引き」した、たった一夜の復讐譚 徐庶と向朗の完全犯罪

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第8話 徐庶の仇討ち 4/7

9.黄金と鮮血


陽翟の夜は、もはや静寂とは無縁の煉獄へと堕ちていた。


督郵・賈仁の屋敷を包む炎は、天を焦がすほどに猛り、巻き上がる火の粉は死を告げる蛍の群れのようであった。

呉覇率いる賊軍の怒号、逃げ惑う何儀・劉辟らの罵声、そして死兵と化した賈仁の私兵たちの絶叫。それらが渾然一体となり、凄絶な地獄絵図を描き出していた。


そのカオスの中心、屋敷の最奥にある地下金庫は、地上の喧騒が嘘のような、重苦しい静寂と熱気に支配されていた。


「金だ……これさえ、これさえあれば、私はどこへでも行ける……」


賈仁は床に這いつくばり、狂ったように金貨を袋に詰め込んでいた。

民から搾り取り、賊と結託して積み上げた黄金の山。

指先が硬貨の縁で切れ、鮮血が黄金を赤く染めても、彼は痛みすら感じていなかった。彼にとって、この重みだけが世界で唯一信じられる数理であった。


バァァァン!!


重厚な鉄扉が、外側からの凄まじい衝撃によって拉げ、吹き飛んだ。

砂煙と焦熱の臭い、および濃密な殺気とともに、一人の男が踏み込んでくる。

返り血を全身に浴び、焦げた衣服を纏った修羅、徐福である。


「ひぃっ、あ、あぁ……!」


賈仁は腰を抜かし、抱えていた金貨をぶちまけた。

黄金の雨が降り注ぐなか、彼は後ずさり、壁際まで追い詰められる。


「やる!金ならやる!この部屋にあるものすべて、貴様の自由だ!だから、命だけは、助けてくれ!」


徐福は答えなかった。ただ一歩、また一歩と金貨の山を踏み締め、鈍い金属音を響かせて近づいていく。


その瞳には、もはや憎しみすら残っていない。そこにあるのは、冷徹な執行者の光であった。

柳安が処刑されたあの日、この男は笑っていた。

柳安が舌を抜かれたあの日、この男は酒を飲んでいた。

徐福は金貨の山を踏み越え、賈仁の目の前に立った。

賈仁は金貨の袋を盾にするように掲げたが、徐福の腕が閃く。


一閃。


銀光が地下室の闇を切り裂き、直後、黄金の上に赤い花が咲いた。

賈仁の首は、自らが愛した金貨の海へと転がり落ち、無機質な硬貨の輝きを鮮血で曇らせた。あまりにあっけなく、しかし因果応報な最期であった。


徐福は血濡れた剣を収めることもせず、ただ一瞬だけ、転がった首を見つめた。「……清算だ」その呟きは、背後で崩れ落ちる建物の轟音にかき消された。


10.名もなき娘たち


復讐を果たした徐福であったが、戦いは終わっていなかった。

向朗との約束、および脱出という極めて困難な計算が残されている。

彼は炎の回廊を駆け抜け、退路へ急ごうとした。

その時、崩れかけた地下牢の奥から、かすかな、しかし切実な喘ぎ声が聞こえてきた。

徐福は足を止めた。鉄格子の向こうで怯える少女たち。その数は数十名に及んでいた。


「……誰だ、お前たちは」


徐福の問いに、答えられる者は一人もいなかった。

彼女たちは拷問と恐怖によって正気を失いかけており、徐福が何者かも、なぜ自分たちがここにいるのかも分からぬ様子で震えていた。


(……助ける義理など、どこにもないが……)


脳裏で、冷徹な計算がささやく。彼女たちを見捨てれば生存率は上がる。

だが、徐福の足は動かなかった。

数日前、李譔が女装して市場で撒いた「奉公に出た姉たちが戻らない」という嘘。

それが今、凄絶な事実となって目の前に突きつけられている。


「……くそっ、面倒なことだ」

徐福は、鉄格子の鍵を叩き壊した。


「立て。死にたくなければ俺に続け!」


背後で天井が焼け落ちる中、徐福は自力で歩けない娘を抱え、残る者たちの手を引き、全速力で合流地点である厨房裏へと向かった。


11.決断の炎


厨房裏の闇の中、向朗、石韜、孟建の三人は、焦燥に駆られながら荷車を隠していた。


「遅いぞ徐福!……って、なんだその女性たちは!」向朗の声が裏返った。


物理的に、これだけの人数を隠して城門を抜けることなど不可能だ。


「……いや、どうすれば。全員を逃がす道など、……どこにもない。」


「計算はもういい、向朗。ここからは俺の領分だ」

徐福は、床に散らばっていた建築用の漆喰と、灰を両手ですくい上げた。

それを、躊躇なく自らの顔へ、髪へ、衣服へと塗りたくっていく。


「徐福、おまえ何を!」


「俺がこのまま、屋敷内で暴れる。この真っ白な格好なら、賈仁の兵にも賊にもよく目立つ。俺がすべての眼を引きつけている間に、あんたたちは裏門からこの連中を連れて逃げろ。行け!」


「馬鹿なことを言うな!一人で残って何ができる!」

向朗が駆け寄ろうとするが、石韜がその肩を強く掴んで引き止めた。

「……向朗、行け。徐福の決意を無駄にする気か!」


「向朗、あとは頼んだぜ。……せいぜい、死ぬ気で逃げろよ!」

徐福は白い仮面の奥で瞳を鋭く光らせた。彼は厨房の扉を蹴破り、炎渦巻く中庭へと飛び出していった。屋根を渡り、楼閣に登り、騒ぎを拡大していく。


「こっちだ!暗殺者はここだぞ!賈仁の首ならここにあるぞ!」


白き怪物の乱舞。私兵も賊も、その異様な姿に目を奪われ、徐福の背後へと殺到していく。

その隙を突き、石韜と孟建が向朗を半ば引きずるようにして、怯える女性たちを裏門へと導いていった。


12.影の演出と白亜の怪物


その混乱を、厨房の屋根裏の梁に潜んでいた戯志才が、細められた眼で見つめていた。


「いいねえ……実にいい。」


戯志才は音もなく飛び降りると、竈の支えを足蹴にして破壊した。

赤々と燃える炭が床一面に広がり、油の樽へと引火する。火は瞬く間に厨房を飲み込み、屋敷全体へと業火を広げていった。


その紅蓮の只中、返り血と灰にまみれた白亜の怪物の姿だけが、煉獄に堕ちた凍てつく雪のように、不気味な輝きを放って浮かび上がっていた。


「踊れ、白亜の怪物よ。策とはもっと悪意と混沌の中でこそ、真の輝きを放つものだ」戯志才の姿が炎の闇へと消える。


一方、混乱の極みにある宴席の片隅。

郭嘉は、崩れ落ちる柱の音を音楽にでも聞くかのように、悠然と最後の一杯を嗜んでいた。


「面白いよ。だが、最後に誰が残るのかな?特等席で楽しませてもらうよ」


郭嘉は席を立つと、正門へと向かった。ちょうどその時、兵士たちがなだれ込んでくる。

郭嘉は怯える書生を演じて彼らにすがりついた。

「助けてくれ!賊だ!葛陂の賊が押し寄せてきた!早く中へ!」


郭嘉の放った偽りの悲鳴が、兵士たちの動きをさらに加速させ、屋敷内のカオスを決定的なものにした。


13.蜘蛛の糸が切れる時


南門を抜けた瞬間、徐福を待っていたのは絶望的なまでの包囲網であった。


「賊徒が出てきたぞ!逃がすな、放てぇッ!」

号令とともに、夜空を埋め尽くす矢の雨が降り注ぐ。

徒歩で、しかも満身創痍の徐福に、逃げ場は残されていなかった。

だが、彼の胸にあるのは後悔ではない。

(……これでいい。向朗たちは、もう北門を抜けた頃だ)

(俺という存在を、消さなければならない)


徐福は漆喰と灰で顔を塗りつぶし、髪を真っ白に染め上げる。

そこに立っていたのは、一人の若者ではない。血を浴び、白き仮面を被った、正体不明の怪物であった。


「捕らえろ!」槍を持った兵士たちが一斉に襲いかかる。


壁際に追い詰められる徐福。


「貴様、何者だ!名を名乗れ!」

陸正が馬上で徐福を見下ろす。

徐福は漆喰で固められた口を一文字に結び、決して開かなかった。

視線はただ一点、燃え落ちる屋敷の炎を見つめ続けている。


14.燃える夜明け


東の空が、刺すような白さで染まり始めていた。

陽翟を見下ろす高台には、戯志才が立っていた。

戯志才は、連行されていく白塗りの男の列を眺めながら、満足げに瓢箪を振った。


「……へぇ。顔を隠して沈黙を守ったか。土壇場で個を捨てるとはね。実に見事だ」


「もっと派手に暴れて逃げ切ると思ったが。……まあ、賈仁は死に、街の膿を吐き出した。及第点か」

戯志才は、凍てつくような眼差しで陽翟の街を見下ろし、低く笑った。


「しかし、毒の味も知らぬ若者の、脆い理想に縋った策でしかない。だからこそ、こうして仲間を失うことになる。……さて、ここからが第二幕だ。どうする、若き策士たちよ」


終幕と開幕。


賈仁は死んだ。


しかし、その代償として友を失う。


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