第7話 夜に嗤(わら)う者 5/7
7.亡霊
陽翟の街を睥睨する高級遊郭「彩雲楼」。
湿った夜風に漆黒の長衣をなびかせ、一人の男が瓢箪を傾けていた。
戯志才である。
彼は眼下の屋敷で蠢く「変化」を、まるで盤上の駒を検分するように、あるいは深淵に沈む獲物の断末魔を待つ捕食者のように観察していた。
「……くくっ、惜しい。実にもったいないねぇ」
戯志才は、喉を鳴らして安酒を飲み下すと、不敵な笑みを深く刻んだ。
視線の先には、学生たちが仕掛けた「怪談」という名の心理戦によって、内側から瓦解し始めた賈仁の邸宅がある。
「お化け屋敷作戦か。悪くはないよ。主人の気魂を削り、私兵どもの指揮を乱す……兵法書の初歩をなぞった、実にお行儀の良い良策だ。だが、青いな。あまりに青臭くて反吐が出る。これは『子供の遊戯』だ。算術の答えを求めるように、平和な教室で導き出しただけの理屈に過ぎない」
戯志才にとって、徐庶や向朗たちは、間もなく幕を開ける凄惨な乱世を彩るための、まだ磨かれていない「役者」に過ぎなかった。
「特にあの書生。書類の改ざん、情報の接続、太守の保身を突く論理。なるほど、知恵は回る。だが、彼が信じているのは『生者の論理』だ。死に物狂いになった人間の、吐き気を催すような『不条理な殺意』までは計算に入っていない」
戯志才は、徐庶の剣の鋭さも、向朗の筆の冴えも、今のままではこの狂った時代に踏み潰される「弱き美徳」に過ぎないと断じていた。
彼らがここで、つまらぬ警備兵の槍に突かれて果てるのは、戯志才という特等席の観客にとって、この上なく興醒めな結末であった。
「もっと派手に、もっと残酷に……。その魂が絶望で真っ黒に染まるまで、この街を焼き尽くしてもらわなければ、私を満足させることはできないよ」
戯志才は懐から一振りの短刀を取り出し、冷たい月明かりにかざした。刃に映る自分の瞳は、狂気と愉悦に濁っている。
「信頼、忠義、潔癖。……少年たちが抱きしめているその美徳というのはね、裏返せば自分自身を腐らせる最強の猛毒になるんだよ。向朗。君が丹精込めて綴じ直したあの『真実』。それを、誰よりも無残に破り捨ててあげるのが、私の愛というものさ」
影が闇に溶け、戯志才の姿が屋根の上から消える。若者たちが知る由もないところで、最も純粋で、最も危険な「悪意」が、音もなく這い出し始めていた。
「さあ、踊れ、役者たちよ。君たちの書いた退屈な筋書きは、私が今ここで握り潰してあげよう。策とは、もっと吐き気を催すような悪意と、制御不能の混沌の中でこそ、真の輝きを放つものなのだから」
戯志才の低い笑い声が、夜風に混じって不気味に響き渡った。法が死に、理が敗れたその先に、彼は彼ら自身の「人間性」という名の壁が崩壊する瞬間を、心待ちにしていた。




