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第三章 落ちこぼれ剣客と神算の事務屋。三国志の英雄たちが「ドン引き」した、たった一夜の復讐譚 徐庶と向朗の完全犯罪  作者: こくせんや
第三部 落ちこぼれ剣客と神算の事務屋。三国志の英雄たちが「ドン引き」した、たった一夜の復讐譚 徐庶と向朗の完全犯罪

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第7話 夜に嗤(わら)う者 1/7

1.夜の帝王・郭嘉


陽翟の街に夜の帳が下りる頃、市井の喧騒とは隔絶された一角だけが、妖しい輝きを放ち始める。高級遊郭「彩雲楼」。飢えに苦しむ民が路頭に迷う一方で、ここでは一晩で数ヶ月分の食費に相当する金が、酒と女と賭博に消えていく。腐敗した漢王朝の縮図のような場所だ。


その最上階、特等の座敷からは、下品な笑い声が響いていた。

督郵・賈仁の宴である。彼は昼間の「清廉な英雄」という仮面を脱ぎ捨て、高価な絹の衣をはだけさせ、両脇に遊女を侍らせて美酒をあおっていた。


「がはは!飲め飲め!酒ならいくらでもあるぞ!」

取り巻きの小役人たちが、揉み手をしながら杯を差し出す。

「さすがは督郵様。これほどの豪遊、我らごときには夢のまた夢です」

「ふん。民草どもが必死に働いて納めた税で飲む酒は、格別の味がするわ」


賈仁が下卑た本音を漏らした、その時だった。襖が音もなく開き、一人の青年がふらりと入ってきた。


「おや。良い香りがすると思えば……ここでしたか」

場が凍りつく。警備の兵士が慌てて槍を向けた。

「何だ貴様!ここは督郵様の貸切だぞ!」

青年は動じない。端正だが、どこか退廃的な色気を漂わせた美貌。仕立ての良い服をだらしなく着崩し、手には一振りの扇子を持っている。郭嘉であった。


彼は兵士の槍先を扇子で軽く払い、優雅に微笑んだ。

「堅いことを言うなよ。酒の席に身分はない……と言いたいところだが、一応これを見てもらおうか」


郭嘉が広げた扇子には、陽翟の名門「郭氏」の家紋が描かれていた。

兵士が息を呑んで下がる。この地において、郭家の威光を知らぬ者はいない。


「おや、督郵様。こんな上等な酒の香りがすると思えば……相伴に預かっても?」

賈仁は目を丸くし、やがて破顔した。

「おお、郭家の御曹司か!噂に聞く放蕩児殿だな。構わん、入れ!」


賈仁にとって、地元の名士との縁故は喉から手が出るほど欲しいものだ。

ましてや、堅苦しい他の名士と違い、郭嘉の素行の悪さは、むしろ同類としての親近感を抱かせた。


「失礼しますよ」郭嘉は滑るような足取りで賈仁の隣に座り込み、自ら酌をした。

「いやあ、督郵様。噂通りの豪遊ぶり。……民を守る英雄には、これくらいの休息が必要ですよねえ」「全くだ!愚民どもは私の苦労など知ろうともせん。少しばかりの役得は当然の権利だ」

「ごもっとも。……法だの徳だのと説く堅物たちには、この酒の美味さは分かりますまい」


郭嘉の言葉は、蜜のように甘く、そして毒のように賈仁の心を麻痺させていく。

巧みな話術。際どい冗談。そして惜しみなく振る舞われる金。

郭嘉は瞬く間に宴会の中心となり、賈仁の心を完全に掌握していった。


宴もたけなわとなり、賈仁の呂律が怪しくなってきた頃。郭嘉は、磁器の杯を弄びながら、獲物を追い詰める蜘蛛のような手つきで本題へと踏み込んだ。


「しかし、最近は物騒ですからな。督郵様ほどの英雄となれば、柳安のような不届き者に恨まれることもあるのでは?」

郭嘉は声を潜め、毒を含んだ蜜のように囁く。その瞳は潤んでいるようでいて、一欠片の酔いも宿っていない。

「例えば……屋敷の警備などは万全ですかな?私も近々、この世のものとは思えぬ絶品の銘酒を手に入れて、遊びに伺いたいと思っているのですが。……なにぶん臆病な質でして、賊に襲われでもしたら腰が抜けてしまう」


賈仁は鼻で笑い、脂ぎった胸を叩いた。


「心配無用!私の屋敷は要塞だ。正門はもちろん、裏口に至るまで、私の私兵精鋭を配置してある。蟻一匹通さんよ。郭嘉殿、あんたのような優男が震える必要などどこにもない」


「ほう、それは頼もしい。ですが、あまりに厳重すぎると、私のような風来坊は門前払いを食らってしまいそうだ」

郭嘉は残念そうに肩をすくめて見せた。その仕草があまりに無防備で、賈仁の優越感を巧みに刺激する。


「ははは!あんたならいつでも歓迎だ。……と言いたいところだがな。三日後の夜だけは、少しばかり空気が変わる」


かかった、と郭嘉は内心で口角を上げた。だが、表面的には不思議そうに首を傾げるだけにとどめる。

「おや?何か特別な催しでも?」


「……ふふ、大事な『商談』だよ。葛陂かつはの連中と、少々大きな商談の話があってな。邪魔が入っては困るのだ」

商談。それは「葛陂の賊」との闇取引に他ならない。

郭嘉はここで引き下がるどころか、さらに深く、艶めかしく食らいついた。


「なるほど、商談ですか。それは重畳。……ですが督郵様、賊を相手にするのであれば、なおのこと私の銘酒が必要ではありませんか?」

「何……?」

「荒くれ者どもとの取引は、神経を削るもの。奴らが無礼を働かぬよう、そして督郵様が常に優位に立てるよう、場の空気を和らげる最高級の『演出』が必要です。私が隅の方で、最高の酒を用意して待機しておりますよ。商談が成立した瞬間に、勝利の美酒を注ぐ……。想像してみてください。英雄の傍らに、最高の酒と、それを解する友。これ以上の威厳がありましょうか?」


賈仁の脳裏に、賊の頭目たちを圧倒し、郭嘉に酒を注がせて悦に浸る己の姿が浮かぶ。アルコールで肥大した虚栄心が、用心深さを塗りつぶしていく。


「……ふむ。あんたがそこまで言うなら、止める理由もないな。賊どもに私の格の違いを見せつけてやるのも悪くない」

「では、許可をいただけるので?私がその『特等席』で野次馬を決め込んでも」


「うむ!三日後の深夜、日付が変わる頃には話もまとまっているはずだ。その時分に、裏門からこっそり入りなさい。兵には伝えておく。商談の成功を、あんたの酒で祝おうじゃないか!」


深夜。日付が変わる頃。決行の刻限が、賈仁の口から鮮やかに滑り落ちた。


「分かりました。最高の一夜を約束しましょう。督郵様……いえ、偉大なる勝利者殿」


賈仁は上機嫌で郭嘉の肩を叩き、豪快に笑い声を上げた。郭嘉は、その肩に触れる脂ぎった手の感触を厭わしげに流しながら、扇子の陰で冷たく、獲物の死を見届ける眼差しを向けた。


(……精々、最期の晩餐を楽しむがいい。時間はわからなかったが、まあよい。三日後、お前が飲むのは春酒か、それとも己の首から溢れる鮮血か。どちらにせよ、私は特等席で見物させてもらうよ)

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