第6話剣客と神算、そして奇策と青燐 1/4
さあ、チーム結成です。
1.絶望の図面
丑三つ時を過ぎ、水鏡塾の敷地内は深い静寂に包まれていた。
学問所としての厳粛な空気が漂う中、一般の学生が決して立ち入ることのない書庫の最奥部。
埃と古書の匂いが充満する一室に、四人の若者が車座になっていた。頼りない蝋燭の炎が、彼らの苦渋に満ちた表情を不気味に浮かび上がらせている。
「……無理だ。どう計算しても、勝機が導き出せない」
重苦しい沈黙を破ったのは、向朗だった。彼は卓上に広げられた一枚の図面を見つめ、絶望的な溜息を漏らした。それは、石韜と孟建が数日かけて調査し、書き起こした督郵・賈仁の屋敷の見取り図であった。
「そんなはずはねえ」
徐福が唸るように言った。その声には、苛立ちと焦燥が滲んでいる。
「壁だろう?俺なら登れる。見張りがいたところで、闇に紛れて背後から……」
「その壁が問題なのだ、徐福」石韜が冷静に、しかし無慈悲に指摘した。
「高さは三丈。しかも上部には反り返った忍び返しが設えられている。お前が猿のような身軽さで登りきったとしても、その瞬間に金属音が鳴る仕組みだ。さらに、屋敷の中には西域産の猛犬が十頭、夜間は放し飼いだ。奴らは人の姿ではなく、わずかな『殺気』に反応するよう調教されている」
「ならば、毒だ」孟建が低い声で提案した。
「賈仁が愛飲している西方の葡萄酒に、遅効性の毒を混ぜる。厨房の男を一人買収すれば……」
「却下だ」向朗が即座に算木を弾いた。パチリ、と硬い音が響く。
「賈仁は用心深い。食事は必ず三人の『毒見役』を通すと聞く。一人目は下男、二人目は愛妾、三人目は犬だ。これらすべてを同時に無力化する毒など存在しないし、仮にあったとしても、その調達経路から私たちの足がつく」
「火はどうだ!」徐福が身を乗り出した。
「四方から火を放てば、どんな護衛だって混乱する。その隙に賈仁の寝所に突っ込む!」
「それも計算に入れたよ、徐福」向朗は呆れたように首を振った。
「賈仁の屋敷は火災対策のために中庭を広く取り、主要な建物は厚い煉瓦と石造りだ。少々の火では延焼しない。それどころか、風向きを考えれば近隣の貧民街へ火が回る。柳安が、自分のために無関係な民が焼かれることを望むと思うか?」
徐福は言葉に詰まり、唇を噛んだ。友の遺志を引き合いに出されては、反論の余地がない。
「狙撃はどうか」石韜が新たな図面を広げた。
「屋敷の裏手にある物見櫓に近い高台。そこから強弩を使えば、賈仁が庭に出た瞬間を狙える」
「……三呼吸だ」向朗がその言葉を遮った。
「賈仁が廊下を渡る際、屋根の影から出て視界に晒される時間は、わずか三呼吸。しかも、彼は常に盾を持った護衛に囲まれている。風速、弩の威力、賈仁の歩幅……不確定要素が多すぎる。一発外せば、即座に逆探知され、僕たちは陽翟から逃げ出す間もなく捕らえられるだろう」
室内には、またしても重苦しい沈黙が降りた。彼らは優秀な学生だ。兵法も、論語も、歴史も学んだ。だが、彼らは「殺戮」と「隠密」の素人であった。暗殺、襲撃、毒殺、放火……。検討したすべての策が、賈仁という男が築き上げた「保身の要塞」の前に跳ね返される。
「戦力差も絶望的だ」
孟建が追い打ちをかけるように、帳簿の書き写しを広げた。
「正規の護衛だけで五十名。彼らは太守府の兵ではなく、賈仁が私財で雇った元傭兵や崩れ侠客だ。金払いがいい分、士気も装備もいい。さらに、屋敷には料理人、家僕、侍女を含めて百人以上の人間が住んでいる。彼ら全員が、侵入者にとっては『目』となり『声』となるのだ」
向朗は算木を卓上に放り出した。カラリ、と乾いた音が、処刑の宣告のように響く。
「……正面突破の成功率は、万に一つもない。徐福が鬼神のごとく暴れたとしても、門を突破した時点で矢襖になり、多勢に無勢で押し潰される。隠密侵入も、不規則な巡回を考慮すれば、成功の機は二分にも満たない」
向朗は疲れたように目頭を押さえ、虚空を見つめた。
「結論として、理に適わない。僕たち四人でこの要塞を落とすには、戦力も、経験も、そして……残酷さも足りないのだ」
ダンッ!徐福が拳で机を叩きつけた。古びた机が悲鳴を上げ、蝋燭の火が大きく揺らぐ。
「じゃあどうする!指をくわえて見てろってのか!あいつが笑って酒を飲んでいる間に、柳安は土の中で腐っていくんだぞ!俺たちがこうして怯えている間にも、あいつは別の人間を陥れて、舌を抜いているかもしれねえんだ!」
徐福の咆哮に、誰も答えることができない。圧倒的な現実という壁の前で、彼らの「正義」はあまりにも無力で、幼かった。
その時。不意に、書庫の暗がりから気怠げな声が降ってきた。
「……あーあ。うるさくて眠れないねえ。硬いなあ。頭も、やり方も。硬すぎるよ、軍師くんたち」
闇の中から姿を現したのは、瓢箪を片手に持った郭嘉(奉孝)であった。




