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第三章 落ちこぼれ剣客と神算の事務屋。三国志の英雄たちが「ドン引き」した、たった一夜の復讐譚 徐庶と向朗の完全犯罪  作者: こくせんや
第三部 落ちこぼれ剣客と神算の事務屋。三国志の英雄たちが「ドン引き」した、たった一夜の復讐譚 徐庶と向朗の完全犯罪

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第4話 巨悪の兵站、蟷螂の斧2/4

2.学問所の焦燥


同時刻。水鏡塾の一室。


徐福の膝の上には、昼間の講義で使った筆と木簡がある。彼は慣れない手つきで、一文字だけを、祈るように繰り返し練習していた。


『義』。


羊に我と書いて、義。美しい文字だ、と徐福は思った。向朗の手本には程遠く、形は歪で、力みすぎて墨が滲んでしまっている。だが、そこに込めた思いだけは、誰よりも熱く、重かった。


ふと、机の隅に置いてある竹皮の包みが目に入った。夕方、柳安がなけなしの銭で買って差し入れてくれた握り飯だ。すっかり冷え切っているが、竹皮ごしに友の温かさが残っているような気がした。


『頑張れよ、徐福。お前ならできるさ』『俺たちの希望の星なんだからな』


友の屈託のない笑顔が脳裏に浮かぶ。その笑顔が、徐福の胸をギリギリと締め上げた。


(……馬鹿野郎。希望の星だなんて言ってる場合かよ)


徐福は筆を握る手に力を込めた。ミシリ、と筆の軸が悲鳴をあげる。夕暮れの別れ際、柳安は言っていた。『帳簿に変な点を見つけた』『督郵の賈仁が厳しい』と。あいつは笑っていたが、その瞳の奥には隠しきれない不安があった。そして、向朗の言葉が蘇る。『その目は損をする目だ』。


「……嫌な予感がしやがる」


徐福は、書きかけの木簡を睨みつけた。向朗のような天才的な計算など、俺にはできない。文字だって、まだ満足に読めない。だが、長年、泥水を啜り、裏社会の底辺を這いずり回ってきた「野生の勘」が、けたたましい警鐘を鳴らしている。


柳安は真っ直ぐすぎる。曲がったことが大嫌いで、正義を信じている男だ。もし、あいつが本気で賈仁の不正を告発しようとしたら?


(……潰される)


徐福の背筋に、冷たい汗が伝った。俺や柳安のような「寒門かんもん」の人間にとって、正義とは、振りかざせば自分を傷つける諸刃の剣だ。名士の御曹司が不正を訴えれば「憂国の諫言かんげん」として称えられるかもしれない。だが、後ろ盾のない貧乏人が同じことをすれば、それはただの「反逆」であり、「秩序への挑戦」と見なされる。


社会の仕組みは、俺たちを守るようにはできていない。虫ケラが一匹、巨象に噛みついたところで、踏み潰されて終わりだ。誰も助けてはくれない。誰も話を聞いてはくれない。それが、俺たちが生きてきた現実じゃねえか。


「……くそっ!なんで俺は、こんなに無力なんだ!」


徐福は筆を床に叩きつけた。学問を志した。剣ではなく、知恵という力を求めてここに来た。だが、遅すぎたのか。俺がこの『義』の字の意味を本当に理解し、言葉という武器を手に入れるまで、世界は待ってはくれない。今、この瞬間にも、友はたった一人で、巨大な暗闇に向かって石を投げようとしているかもしれないのだ。相手が、笑顔の裏に猛毒を隠したまむしだとも知らずに。


「柳安、よせ。……早まるな!」


いても立ってもいられず、徐福は寝台の脇に立てかけてあった剣を掴んだ。まだ、俺にはこれしかない。知恵も、言葉も、地位もない俺が、友を守るために振るえるのは、結局この錆びついた暴力だけなのか。その悔しさを噛み殺し、徐福は部屋を飛び出した。


夜風が冷たい。空には分厚い雲がかかり、星明かりさえ遮っていた。闇の中を疾走する徐福の足音が、不吉なリズムを刻んでいた。急げ。急げ。取り返しのつかないことになる前に、あの馬鹿正直な友を止めなければならない。

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