第2話 市場の侠、計算の理その3/5
3.計算機の介入
「なんだお前は。邪魔をするな!」
兵士が怒鳴りつけ、槍の石突きで追い払おうとする。だが、向朗は動じない。
いや、むしろ「やれやれ」と面倒くさそうに溜息をつきながら、殺気立つ徐福と兵士の間に割って入った。
「あー、ご苦労さまです。……僕?主簿の下で働く役人ですよ。その若者を捕まえる前に、一つだけ『検算』をさせてくれませんか?数字が合わないまま報告書を書くと、後で主簿に怒られるんですよ。僕、ただでさえ目をつけられているんです。めんどくさいじゃないですか」
「検算だと?訳の分からんことを……さっさと失せろ!」「商売人さん」
向朗は兵士を無視して、店主の王に向き直った。その目は、先ほどまでの眠たげなものとは違い、冷徹な光を帯びていた。
「あなたの店の秤は、太守府の検印付きだと言いましたね?つまり、帝国の定める度量衡の基準通りだと」
「あ、当たり前だ!疑うのか!それは太守府への侮辱だぞ!」
「いえいえ、信じますよ。太守府の検印は絶対です。だからこそ、確かめたいんです」
向朗は懐から、ジャラリと音をさせて銭の束を取り出した。紐に通された銅銭。漢帝国の通貨、五銖銭だ。
「ここにあるのは、太守府の金庫から給料として受け取ったばかりの未使用の五銖銭、百枚です。漢の律令によれば、五銖銭一枚の重さは厳密に規定されています。摩耗も欠損もない、純然たる『重さの基準』です」
向朗はニッコリと笑った。それは、獲物を罠に追い込んだ狩人の笑顔だった。
「もし、あなたの秤が正しいなら……この百枚を乗せた時、天秤の反対側に『五銖銭百枚分の分銅』を乗せれば、釣り合うはずですよね?」
王の顔色が、さっと白くなった。五銖銭百枚。
それは重さの基準として最も手近で、かつ誤魔化しのきかない物だ。王は普段、底を削ったり鉛を詰めたりした不正な分銅を使っている。客が持ち込む米や麦を計る時は重い分銅を、自分が売る時は軽い分銅を使い分ける手口だ。だが、公衆の面前で「基準となる銭」を乗せられてしまえば、その細工は白日の下に晒される。
「い、いや、今は忙しい!そんな遊びに付き合ってられるか!おい役人、早くこいつらを追い払え!」
王が喚く。兵士たちも、何やら不穏な空気を感じて向朗の肩を掴もうとする。
「おや?拒否するのですか?」
向朗の声が、急に冷たくなった。温度のない、事務的な宣告のような響き。
「検算を拒否するということは……秤に不正があると認めることになりますよ。客を騙して小銭を稼ぐだけなら、まあ、よくある軽犯罪ですが……もし検印付きの秤で不正を働いていたとなれば、話は別だ」
向朗はゆっくりと視線を動かし、兵士たちの方を見た。
「それは『脱税』です。売上をごまかし、太守府に納めるべき税を横流ししていることになる。……あなた方、脱税の片棒を担ぐつもりですか?」
脱税。その単語が出た瞬間、兵士たちの顔色が変わった。市場のごたごたを見逃して小銭をもらうのとは訳が違う。重罪だ。もし王が脱税をしていたと知っていながら庇ったとなれば、彼らの首が飛ぶ。逆に、脱税を摘発すれば、それは大きな手柄になる。兵士たちの目から「仲間意識」が消え、「獲物を見る目」に変わった。
「……店主。やらせてみろ」隊長が低く言った。「し、しかし……」「やれと言っているんだ!潔白なら問題ないだろう!」
王は震える手で、店の奥から秤を差し出した。衆人環視の中、逃げ場はない。向朗は銭の束を皿に乗せる。そして反対側に、王が普段使っている分銅を乗せた。
ガチャン!
天秤は大きく傾いた。釣り合わない。誰の目にも明らかなほどの誤差があった。
向朗は、傾いた天秤を見つめ、溜息をついた。
(美しくない数字だ。これほど雑な仕事で今まで通用していたとはねぇ)
「……誤差、およそ二割」向朗は事務的に告げた。
「つまり、あなたは客から二割余分に奪い、太守府には二割少なく申告していたわけだ。長年にわたり、莫大な税をごまかしていたことになりますね」
市場がどよめいた。「やっぱりだ!」「金返せ!」と民衆が叫び始める。兵士たちは即座に王を取り押さえた。彼らの動きは早かった。自分たちが共犯だと思われないよう、必死だった。
「王!脱税の容疑で連行する!店の帳簿も全て押収だ!」
「ち、違う!これは……あああっ!」
王は地面に引きずり倒され、連れて行かれた。老婆には、店に残っていた店員から正しい量の米と、詫び代わりの銭が渡された。「ありがとねえ、お兄さんたち……」老婆は何度も頭を下げて去っていった。
その場に残されたのは、呆然と立ち尽くす徐福と、手についた銭の汚れを払っている向朗だけだった。




