第2話 市場の侠、計算の理その2/5
2.暴力の代償
「あぁ?なんだテメェは」
用心棒の一人が、老婆を突き飛ばして徐福に向き直る。見上げるような巨漢だ。全身から暴力の匂いがする。だが、徐福にとっては、ただの鈍重な肉の塊にしか見えなかった。
「ガキが粋がってんじゃねえぞ。怪我してえのか?」
巨漢が丸太のような腕を振りかぶる。単調で、遅い一撃。徐福は鼻で笑った。拳が顔面に届く直前、徐福は半歩だけ右に踏み込んだ。風を切る拳を紙一重でかわし、無防備になった巨漢の懐に滑り込む。左手で相手の手首を掴み、関節とは逆の方向へ捻り上げながら、全体重を乗せた右掌底を顎の先端に叩き込む。
ゴッ、という鈍い音が響いた。脳を揺らされた巨漢は白目を剥き、悲鳴を上げる間もなく崩れ落ちた。土煙が舞う。
「なっ……!」
もう一人の用心棒が、仲間の瞬殺に反応して懐から短刀を抜こうとする。だが、遅い。徐福は倒れた男を踏み台にして跳躍し、空中で体を捻りながら回し蹴りを放った。踵が、二人目の用心棒の側頭部に直撃する。男は吹き飛び、店の商品棚に突っ込んだ。米俵が崩れ落ち、男と共に転がる。
一瞬の静寂。そして、わっと沸き起こる歓声。
「すげえ!」「一瞬だぞ!」「あの用心棒たちを……」
徐福は肩を回しながら、顔面蒼白になっている店主の王に歩み寄った。王はガタガタと震えている。暴力という共通言語の前では、金も権威も意味をなさない。
「さて。……婆さんに米を返して地面に頭擦り付けて詫びを入れるか、それとも歯を全部へし折られるか。好きな方を選びな」
王は後ずさり、店のカウンターに背中をぶつけた。追い詰められた鼠。だが、その顔に浮かんだのは恐怖ではなく、卑劣で粘着質な笑みだった。王の視線が、市場の入り口に向けられたからだ。
「役人!役人さーん!ここです!暴漢です!助けてくれ!」
王が叫ぶと、待っていたかのように市場の警備隊が駆けつけてきた。彼らは普段からこの店で賄賂を受け取り、裏で酒を飲んでいる顔なじみだ。王の店を守ることは、彼らの財布を守ることと同義だった。武装した五人の兵士が、槍を構えて徐福を取り囲む。
「武器を捨てろ!人を傷つけるとは、もっての外。その方の行状、すべてこの目で検分した!」
「はあ?目ン玉ついてんのか。先に手を出したのはこいつらだぞ」
徐福が抗議するが、隊長格の兵士は聞く耳を持たない。最初から結論は決まっているのだ。
「黙れ!王店主は太守府の御用達だ。彼が嘘をつくはずがない。貴様のようなゴロツキが、金目当てにゆすりを働いたのだろう!」
王が兵士の後ろに隠れ、下卑た笑みを浮かべて舌を出す。
「そういうことです。いやあ、怖い怖い。街の治安のためにも、厳罰に処してくださいよ」
徐福は腰の剣に手をかけた。柄の冷たい感触が掌に伝わる。この距離なら、五人全員斬れる。彼らの動きは素人だ。だが、斬ればどうなる?俺は殺人犯となり、追われる身となる。柳安を助けるどころか、二度と陽翟の土は踏めなくなる。かといって、このまま捕まれば、牢獄で「事故死」扱いされるのがオチだ。奴らは俺を生かしては帰さないだろう。
(……詰みかよ)
暴力は万能だと思っていた。己の拳と剣があれば、どんな理不尽も切り開けると信じていた。だが、権力という分厚く、見えない壁の前では、個人の武力など赤子のように無力だった。徐福が奥歯を噛み締め、剣を抜くか、それとも無駄な抵抗をやめて投降するか、究極の選択に迷った、その時だった。
「あのぉ、ちょっといいですか?」
張り詰めた緊張の糸を断ち切るように、間の抜けた、気だるげな声が響いた。
兵士たちの包囲網を割り、一人の青年がひょっこりと顔を出した。青白い顔に、埃っぽい書生服。眠たげな目。昨日の夕方、路地裏で出会った「通りすがりの書記」――向朗だった。
ええ、第三部も主人公は「向朗」なんですよ。




