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第三章 落ちこぼれ剣客と神算の事務屋。三国志の英雄たちが「ドン引き」した、たった一夜の復讐譚 徐庶と向朗の完全犯罪  作者: こくせんや
第二部 向朗先生の三国志の歴史講座

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プロローグ:敗戦の煤(すす)と、古老の独白

ちょっとしたスピンオフのノリです。


建興六年(二二八年)夏。

乾坤一擲、蜀漢の国運を賭した北伐は、一陣の熱風が過ぎ去るかのように瓦解した。


――街亭の喪失。


あの才気溢れる若き将、馬謖が放った一時の慢心が、我々が数年をかけて積み上げてきたことわりの積み木を、無残にもガラガラと崩し去った。


閉ざされた執務室の窓を通り抜け、外からは敗残兵たちの喧騒と、重苦しい呻き声が煤けた風と共に流れ込んでくる。


「馬謖参軍の経験が不足していたのだ」

「いや、覚悟が足りなかった」

「攻めてきた魏の張郃が鬼神であったのだ。あれこそが真の武人だ」

若い将校たちは、この敗戦の痛みをなだめるように、血を吐くような議論を繰り返している。


(……そうではないのだよ、若者たちよ)


私は算木を弾く手を止めず、心の中で静かに毒づいた。

確かに街亭という局地戦の結果だけを見れば、彼らの分析は正しいだろう。だが、なぜ最前線の、それも一地方の要衝に過ぎぬ街亭が敗れただけで、十万の全軍が即座に撤退を余儀なくされたのか。その本質を突ける者は、この軍に何人いようか。


それは、精神論でも覚悟の差でもない。


兵站という名の物理法則が、断絶したからだ。


人間に例えるなら、街亭のそれは指先の傷ではない。首筋に矢が刺さったようなものだ。

兵站という名の血管が断たれ、養分を失えば、軍という巨大な肉体はどれほど精強であっても壊死するしかない。


街亭は、その血管が最も脈動し、そして最も重要な拍動を刻んでいた「弁」であった。


街亭とは、この北伐における攻勢限界点そのものであったのだ。


(攻勢限界。算盤そろばんが叩き出す、戦場の死刑宣告だ。ここから先の勝利は、勝利ではない。勝利は破滅の皮を被った自死へと反転する、見えざる断崖。……若者たちよ、この崖は見えているか?)


【数字という名の冷徹な秩序】


パチリ、パチリ。


静寂な執務室に、算木の弾ける音が乾いたリズムを刻む。


「……おや、また計算が合わんな」


私は独りごちて、筆を静かに置いた。

帳簿が間違っているのではない。私が構築した「兵站の計算式」と、現実という名の残酷な結果との間に、埋めがたい乖離が生じているのだ。


私の名は、向朗。字は巨達。


荊州に在りし日より、先帝・劉備様に付き従い、蜀に入ってからも、私の役割は一貫している。

剣を振るうことではない。策を弄することでもない。


ただひたすらに、物と人の流れを計算し、破綻なきよう循環させてきた。

華々しさとは無縁の、地味で、しかし残酷なほどに確かな実務の積み重ねの日々であった。


此度の敗戦の責任を取り、私は官を辞し、隠退する。もうすぐ齢七十を迎える私だ。心のおもむくままに、好きな書物を読んで過ごしてもよい年だ。


だが。


次代を担う若者たちが、兵站とは何か。土台を知らぬまま再び死地へ赴こうとしている。

(……少しばかり、若者にこのことわりをお裾分けしてから隠居するのも、年寄りの役目というものか)


【書庫への闖入者たち】


午後の日差しが、書庫に舞う埃を黄金色に染めていた。 私は愛用している竹編みの椅子に深く腰掛け、手にした古い竹簡の感触を楽しんでいた。静寂、古墨の枯れた香り、そして悠久の歴史との対話。これぞ、老い先短い身に許された至福の時間……のはずであった。


「向朗長史! お願い致します、我らに『ことわり』をご教授ください!」


静寂は、若さという名の暴風によって破られた。 書庫の入り口に、土埃の匂いをさせた男たちが立っている。 先頭で目を血走らせているのは、姚伷と楊顒。私の可愛い、しかし融通の利かぬ副官たちだ。 そして窓際で、勝手に私の蒼漆の鞘に収まった愛刀(立派な見た目だが杖代わりでしかない)を抜き身にして眺めているのが、魏延。 最後に、木簡の山に圧倒されながら、おずおずと進み出てきたのが、新入生の姜維であった。


(やれやれ。今日は『春秋左氏伝』に注釈を書く予定だったのだがな……)


私は内心で小さく舌打ちをしつつも、表面上は穏やかな笑みを浮かべて、ゆっくりと顔を上げた。


「おや、揃いも揃って血相を変えて……どうしたのだ? 兵糧の計算ならば、とうに済ませておいたはずだが?」


すると、姜維が一歩前に踏み出し、切実な眼差しで私を見つめた。


「計算ではありません! ……いえ、計算なのですが、もっと根本的な『何故』が分からないのです!」


「何故、とは?」


姜維は、抱えてきた竹簡の束――「黄巾の乱」に関する記録――を机に置き、問いかけた。


「向朗長史。どうして黄巾の乱はあれほどの規模で興り、そしてすぐ鎮圧されたのですか?」


直球の問いかけだ。 私は読みかけの簡を置き、興味深そうに彼を見た。


「ほう。史書には何と記されておるかな?」


「張角が妖術を使い、民を惑わせたと……。ですが、妖術だけで数十万もの人間が動くものでしょうか? そして、それほどの大軍が、なぜ数ヶ月で崩壊したのか。……孫子の兵法を読んでも、その『理屈』が腑に落ちないのです」


姜維が頭を抱える。高度な戦術論を学べば学ぶほど、あの乱の「異常な膨張と収縮」が理解できなくなっているようだ。


横から姚伷も身を乗り出した。 「我々も議論しました。宗教的熱狂だ、漢軍の精強さだ、と。しかし、なにか腑に落ちないのです」


「戦略の話であれば、参軍に。それこそ丞相・諸葛亮に聞くほうが早かろう?私は帳簿の事務屋でしかありませんよ」


少し悪戯心をめぐらし、私は彼らに問いかける。


「朱儁将軍や皇甫嵩将軍の軍記も読んだのですが……何かが欠けている気がするのです。先程丞相ならば、と伺ったのですが、丞相は「そのような事でしたら、「向朗」が適任でしょう。と」


(……なぜ、私なのだ?孔明は、帳簿の話をさせたいのか?)


また、孔明が無理難題を押し付けてきたな?


「……飯だろ」


窓際から、魏延将軍が低く呟いた。彼は剣を鞘に納め、ニヤリと笑った。


「あいつら、腹が減ってたんだろ? 腹が減って暴れて、食うもんがなくなって死んだ。……単純な話だ。だが、その『食うもん』はどこから手に入れ、どこに消えたのかが、俺にも分からねえ」


(……ああ、そういうことか。だから孔明は、私に話を振ってきたのだな)


……ふふ。 私は口元を緩めた。 姚伷たちは真面目に悩み、姜維は理屈で悩み、魏延は感覚で正解を掠めている。 実に面白い「生徒」たちだ。


「なるほど、なるほど。……妖術でもなければ、奇跡でもない。そこにあるのは、冷徹な『数字』と『物流』の破綻だ」


私はよっこらしょ、と椅子から立ち上がった。 私の安穏な時間はなくなったが、彼らの曇った瞳に「理」の光が宿る様を見るのも、悪くはない娯楽だ。


「よかろう。私の書庫整理はまた後回しとなるが……可愛い孫たちの頼みとあっては、断れぬわな」


「そ、孫!? 長史、我々は一応将校ですが……!」 姜維が顔を赤くするが、私は構わず杖を突いた。


「さあ、黄巾の乱の真実。今日は、五十年前近くも前の地獄……『黄巾』という名の、巨大な飢餓の正体について講釈してやろう」


私は悪戯っぽく片目をつむり、彼らを導くように歩き出した。 彼らはまだ知らぬ。歴史の記録に書かれた「悪逆非道な反乱」が、実は我々が今直面している「兵站」という問題の、最も巨大な失敗事例であるということを。


一人称視点で歴史ものを書きましたら、

背景描写、向朗が見ていないシーンの描写、

そしてテーマである「兵站」について解説する事が難しいのですよね。


なので、三国志の歴史や背景についての解説を、向朗さんに語ってもらう話です。

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