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第三章 落ちこぼれ剣客と神算の事務屋。三国志の英雄たちが「ドン引き」した、たった一夜の復讐譚 徐庶と向朗の完全犯罪  作者: こくせんや
第一章 丞相を継ぐ者 諸葛亮の法に抗い、諸葛亮の情を支えた一人の友の物語。

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19話 対立 白き策は血の匂いを知らず 泥の真実は静かに警鐘を鳴らす

さて、蜀軍の破綻に物語が移っていきます。。。

【才気と泥臭】


天水太守・馬遵の逃亡により、冀県城は無血開城した。 蜀軍の展開は、我々が想定していた図面の上を、さらに上回る速度で進んでいた。南安、安定の諸郡も動揺し、涼州全土が漢の旗の下になびこうとしている。


その熱気冷めやらぬ中、軍議が開かれた。 地図の前に立ったのは、参軍の馬謖である。彼は、この順調な戦況が、自身の描いた絵図の正しさを証明していると確信し、その表情は自信に満ち溢れていた。


「戦況は極めて順調。これより、占領地の平定と、敵反攻への備えを固めます」

馬謖の采配は、流れる水のごとく淀みがない。


「当初の予定通り、西方の隴西方面には、呉班将軍と、参軍の廖化の両名に。北方の武威ぶい方面には、高翔将軍。」

そして、馬謖は地図上で最も重要な一点、北東の街亭に指を突き立てた。 長安から押し寄せるであろう魏の大軍を迎え撃つ、蜀軍の生命線とも言える最前線である。


「そして、この街亭。敵の喉元をやくするこの最重要拠点には……」


馬謖は一瞬言葉を切り、周囲を見渡してから、高らかに宣言した。


「私、馬謖自らが向かいます!」


その言葉が落ちた瞬間、幕舎の空気が変わった。 沈黙の後、歴戦の猛者たちが並ぶ武官の列から、忍び笑いのような、あるいは呆れたような声が漏れ始めた。


「おいおい、参軍殿。街亭は長安からの大軍が最初にぶつかる場所だぞ」

口火を切ったのは、泥と血にまみれて戦ってきた古参の将軍だった。彼は悪気なく、新兵をからかうような口調で言った。


「机の上で駒を動かすのとはわけが違う。魏の大軍が出てくりゃ、矢の雨あられだ。馬参軍のその綺麗な白面が、泥で汚れてしまわぬか心配でな」

ドッと、小さな笑いが起きる。 しかし、その軽い空気を断ち切るように、低く、重い声が響いた。


「馬謖参軍」

声の主は魏延であった。彼は笑っていなかった。腕を組み、歴戦の古傷が刻まれた顔で、馬謖を真っ直ぐに見据えていた。


「兵法書には『勝つ理屈』は書かれておるが、『負けぬための泥臭さ』は書かれておらん」

魏延の言葉に、周囲の笑い声が止んだ。


「街亭は死地だ。敵の猛攻に晒され、水も食い物も尽きかけ、兵が恐怖に震える時……彼らを繋ぎ止めるのは策ではない。将が共に泥をすすり、血を流して立つ覚悟があるかどうかだ。 ……あんたのその綺麗な手で、兵の命の重さを支えきれるか?」


その言葉は、数多の修羅場をくぐり抜け、多くの部下を看取ってきた者だけが吐ける、血の通った真実であった。 周囲の将官たちが、深く唸るように頷いた。「……違いねえ」「魏将軍の言う通りだ」という声が漏れる。それは揶揄ではなく、戦場の厳しさを知る者たちの共通した想いであった。


だが、その重みは、才気走る馬謖には届かなかった。 彼にとって、それは「古い世代の精神論」であり、自分の完璧な知性を軽んじる「無理解な雑音」に過ぎなかったのだ。

馬謖の顔から、笑みが消え失せた。 彼は魏延たちの懸念を一蹴するように、冷ややかに吐き捨てた。


「……兵法を知らぬ者ほど、汗と血を誇る。戦とは算段です。無知な精神論で勝てるほど、魏の軍勢は甘くありませんぞ。私の頭脳には、既に勝利への方程式が完成しているのです」

「なんだと……!」


【重き戦場】


「無知な精神論」と切り捨てられた魏延の顔には、怒りを通り越した、深淵な冷たさが宿っていた。 彼は一歩、馬謖に詰め寄った。その一歩だけで、幕舎の床が鳴り、空気が軋んだように感じられた。


「精神論ではない。……臭いだ」


魏延は、馬謖の鼻先で止まると、低く唸るように言った。


「戦場には、特有の臭いがある。臓腑が飛び出した死人の甘ったるい腐臭。何日も洗えぬ兵たちの汗と垢の臭い。恐怖で垂れ流された排泄物の臭い……。最前線とは、その汚泥の中で、泥水を啜りながら敵を待つ場所だ」


魏延の言葉は、単なる脅しではなかった。彼の身体から発せられる、長年染み付いた鉄錆の気配が、その言葉に圧倒的な説得力を与えていた。


「馬謖。あんたのその白い衣が、糞尿と血で汚れ、隣で部下が首を飛ばされた時……あんたは、吐かずに指揮を執れるか? 震えずに地図を見れるか? 儂は言っているのだ。あんたには、その『重さ』が背負えるのかと」


それは、戦場の現実を知る者からの、容赦ない事実の突きつけであった。周囲の将たちも、その凄惨な光景を思い出し、無言で頷いている。

だが、馬謖は一歩も退かなかった。 彼は魏延の威圧を、まるで柳が風を受け流すように、冷ややかな笑みでかわした。


「野蛮な臭いなど、将が嗅ぐ必要はありません。将に必要なのは、戦局を見渡す『眼』です」

馬謖は扇子を広げ、悠然と言い返した。

「魏延将軍はお忘れか。先の南蛮征伐において、丞相に『心を攻めるを上策とする』と進言し、あの大軍を動かさずして孟獲を心服させたのは、この馬謖です」


彼は、自らの最大の功績である南蛮での戦略立案を持ち出した。

「あの時、泥にまみれずとも、私の策は数万の蛮兵を無力化しました。戦とは、力比べではないのです」

馬謖は地図上の街亭を扇子で指し示した。

「街亭は山間の隘路。私は街道を塞ぐような、敵と正面からぶつかり合う愚策は採りません。街道脇の南山に陣を構え、そこを鉄壁の要塞とするのです」


彼の瞳に、完璧な図面を引く建築家のような光が宿る。

「兵法に云う、『高きより低きを視れば、勢い破竹のごとし』。山腹に幾重にも柵を巡らせ、我が軍が誇る連弩隊を配置すれば、どうなるか。 魏軍が街道を通ろうとすれば、頭上からの矢の雨で一方的に蹂躙されることになります。彼らは我らに指一本触れることすらできず、ただ屍の山を築くのみ」


彼の語る戦術は、兵法書にある通りの「理」にかなっているように見えた。


「……山頂だと?」

魏延が眉をひそめ、即座にその欠陥を指摘した。


「水はどうする。山の上に川は流れんぞ。道を捨てて山に登れば、包囲された時に……」

「ご心配なく」

馬謖は待っていましたとばかりに胸を張った。


「その点も抜かりはありません。古地図と現地の聞き込みによれば、南山の山頂近くには、古くから涸れぬ『井戸』があることが確認済みです。水の手の心配など無用」

これで論破したと言わんばかりの馬謖に対し、魏延は鼻を鳴らし、さらに鋭く食らいついた。


「井戸だと? その井戸一つに、何万の兵士が群がるつもりだ? たかが釣瓶つるべ数杯の水で、万余の喉が潤せるか! 堅守とは、一時いっときのことではないぞ。包囲が三日、四日と続くだけで、井戸の水など泥水に変わり、兵は渇きで狂うわ!」


魏延の指摘は、兵站と集団生活の現実を知る者ならではの、痛烈な一撃だった。一つの井戸で大軍を維持することの物理的な不可能性を説いたのだ。

しかし、馬謖はその懸念さえも、冷笑と共に切り捨てた。


「それも計算済みです。そもそも、包囲などさせません」

彼は扇子をパチリと閉じた。


「敵が包囲網を敷くよりも早く、我が軍の連弩が敵の前衛を粉砕します。長期戦になどなりようがない。……魏延将軍、貴殿の古い経験則で、私の新しい兵法を測らないでいただきたい」

「なんだと……小僧!」 「言葉が過ぎますぞ、老将!」


魏延の殺気と、馬謖の傲慢な才気。 二つの異なる「自信」が、火花を散らして衝突した。 一方は、血と泥に塗れた経験から来る、生存本能の叫び。 もう一方は、完璧な理論と過去の成功体験に裏打ちされた、揺るぎない確信。


両者とも、一歩も譲らない。 その場にいる誰もが、この議論が平行線であることを悟った。言葉を尽くせば尽くすほど、二人の間の溝は深まり、修復不可能なものとなっていく。


(……混じり合わぬ。決して)


私は、その光景を絶望的な思いで見つめていた。 この亀裂は、単なる意見の相違ではない。蜀漢という軍団が抱える、「現場の武」と「中枢の知」の断絶そのものであった。

一般的には、馬謖は指示を守らず山頂に布陣し、この後張郃によって包囲され水を絶たれたと言われます。


 史書には山に布陣する事が命令違反だったとは書かれていないんですよね。


個人的には、馬謖はそこまで「バカ」な人ではなかろうかと、元々予定していた堅陣築城。予定通りであれば有能な秀才、予定外の事が起これば……といった感じに作ってみました。


破竹の故事を持ち出して論破するくだりは、演義のまま。本来はもう少し後の時代、杜預の逸話ですね。


三国志に、向朗に、興味が湧いた方、ブックマーク・コメントなどしていただけるととても励みになります。よろしくお願いします。

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