第17話 黒き盾の防壁、白き旗の女神 5/5
6.終結
崩壊は一瞬だった。
横腹を食い破られ、精神的支柱をへし折られた賊軍は、恐慌状態に陥った。
指揮系統のない彼らは、一度崩れれば脆い。
我先にと逃げ出し、互いを踏みつけにして散り散りになっていく。
それは潮が引くような、あるいは悪夢が覚めるような、急速な撤退だった。
「追撃は無用!深追いするな!」
徐庶が、勝ちに乗じて追おうとする兵士たちを大声で制した。
「我々の目的は殲滅ではない。時間稼ぎだ。……奴らはもう、組織としては動けん。恐怖に支配された獣は、二度と刃向かってはこない。これで十分だ」
夕闇が迫り、星が瞬き始める中、戦場に静寂が戻ってきた。
残されたのは、おびただしい数の死体と、へたり込む民兵たち。
そして、風に揺れる荷車の軋み音だけだ。
しばらくして、白馬に乗った李譔が戻ってきた。
純白だった羽衣(布)は泥と返り血で汚れ、美しい長髪もボサボサな元の髪型に戻っている。
兵士たちの前では気丈に振る舞っていたが、徐庶の前に来るなり、その表情は一変し、げっそりとやつれた「素」の顔になった。
「……徐庶さん。もう二度とやりませんからね。二度と女装はゴメンだ」
李譔は馬から降りるなり、力が入らず地面にへたり込んだ。
「死ぬかと思ったよ。心臓が口から出るかと……。寿命が十年縮んだ」
「よくやった。お前のそのふざけた『演技』のおかげで、数百、いや数千の味方が死なずに済んだ」
徐庶は、李譔の肩に手を置き、珍しく穏やかに笑った。
その手は血に濡れていたが、温かかった。
「報酬はいくらでも払おう。……向朗が」
「ええ、そうします。縮んだ寿命を貰ってやる。呪ってやる」
李譔も、震える手で顔を覆いながら、力なく笑い返した。
その時、陣地の方から、わっと歓声が上がった。
呆然としていた民兵たちが、勝利の実感を噛み締め、互いに抱き合い、空に向かって拳を突き上げている。
「勝ったぞ!俺たちが勝ったんだ!」
「追い払ったぞ!俺たちは生き残った!」
彼らは知ったのだ。
自分たちは、ただ守られるだけの弱者ではない。
武器を取り、戦い、そして勝つことができるのだと。
その自信は、彼らを「難民」から「兵士」へと変える、何よりの洗礼となった。その歓声は、荒野の夜空に高く吸い込まれていった。
徐庶は、歓喜に沸く陣を見渡し、それから南の空を見上げた。
一番星が輝き始めている。その星の向こうには、十数万の民を率いて進む友がいるはずだ。
(……向朗。計算通りの時間は稼いだぞ。後は任せた)
徐庶は血糊を払い、剣を鞘に納めた。カチリ、という硬質な音が、この激闘の終わりを告げた。
「全軍、撤収準備!……本隊を追うぞ!」
勝利の熱気冷めやらぬまま、黒き盾と白き女神は、再び南へと歩みを進めた。
彼らの背中には、昨日まではなかった確かな「強さ」が宿っていた。




