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第三章 落ちこぼれ剣客と神算の事務屋。三国志の英雄たちが「ドン引き」した、たった一夜の復讐譚 徐庶と向朗の完全犯罪  作者: こくせんや
第三部 落ちこぼれ剣客と神算の事務屋。三国志の英雄たちが「ドン引き」した、たった一夜の復讐譚 徐庶と向朗の完全犯罪

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第16話 移動都市 1/3

1.大地を揺らす律動


大地が、規則正しく脈動していた。


ドォン、ドォン、ドォン……。それは雷鳴でもなければ、地震でもない。


十万人の人間が、一糸乱れぬ歩調で大地を踏みしめる音であった。

陽翟ようてきを出発してから数日が経過していた。


当初、烏合の衆と思われた十万の難民は、今や一つの巨大な生き物へと変貌を遂げていた。


隊列は一万人ごとに十の集団に分けられ、それぞれが三色の腕章によって機能的に統制されている。

前衛と側面を固める赤き腕章の警護班、中央で荷車を引き、物資を運ぶ青き腕章の運搬班、そしてその内側で守られる、黄色の腕章を巻いた老人や子供たち。

彼らは無言だった。

無駄口を叩く余裕がないというのもあるが、それ以上に、この集団全体を支配する奇妙な規律が、彼らを沈黙させていたのだ。


「止まれ!小休止!」伝令の銅鑼どらが鳴り響くと、十万の足音がピタリと止まる。

向朗が定めた「律動」である。

一刻(約二時間)歩き、半刻休む。このリズムは絶対であり、老人の歩幅と体力を基準に算出された、最も効率的に距離を稼ぐ速度ペースであった。


休憩に入ると、即座に青き腕章の男たちが動き出す。

彼らは街道の脇に、先発の工作班が掘っておいた溝へと人々を誘導する。

そこには白い粉――石灰が撒かれていた。

「用を足す者はここへ!終わったら必ず土を被せろ!隠さぬ者は食い扶持を減らすぞ!」

排泄物の管理。

それは向朗が最も厳しく命じた規律だった。

数万人が野放図に垂れ流せば、瞬く間に疫病が発生し、この集団は内部から腐って死ぬ。

白い粉は、彼らにとって命を守る結界そのものだった。


そして、食事が配られる。

決して豪勢ではない。


雑穀を煮た粥と、干し肉の欠片、そして塩。

だが、それは必ず配られた。

飢えを感じる寸前の、絶妙なタイミングで、温かい湯気と共に現れるのだ。


馬上の向朗は、果てしなく続く隊列を見渡し、血走った目で竹簡に墨を入れていた。

その口元は、常に何事かをブツブツと呟き続けている。


「……第五隊、歩みの遅れにより、兵糧の消費予測が減少……。いや、疲れが見えるな。荷車の車輪、脂が切れてきしんでいる……牛への負担が大きいか。……ならば、積載量を一割減らして第六隊へ分散させるのが最善……」


向朗の手には、常に筆と算籌(さんちゅう・計算用の竹棒)が握られていた。

彼は行軍中も、休憩中も、そして夜営に入って民たちが泥のように眠った後も、たった一人で焚き火の前に座り込み、算籌を弾き続けていた。

カチ、カチ、カチ……。静まり返った荒野に、向朗が計算棒を弾く音だけが響く。

彼はその日一日の十万人の食事量、疲労の色、進んだ距離をすべて書き留め、翌日の行程を寸分の狂いもなく修正していたのだ。


そして朝になれば、細かく、時に不可解とも思える変更指示が飛ぶ。


「第三隊の荷車、左側の牛を二頭、第七隊の牛と交換してください」

「今日の粥、水を一割増やします。塩の量は変えないでください」


最初は、民衆も「おかしな書生がいる」「細かすぎて頭がおかしくなったんじゃないか」

と陰口を叩いていた。


だが、数日経つと、誰もがその異様な事実に気づき始めた。

牛を交換した荷車は、なぜか嘘のように軽く進むようになり、水を増やした粥は、乾いた喉に驚くほど染み渡り、体に力が戻ったのだ。


「……まただ。あの方の言う通りにしたら、楽になった」

「予言者様なのか?それとも術使いか?」


違う。


彼の指示は、感情を排した機械的なものであり、妖術でも予言でもない。

ひたすらに膨大な記録を積み重ね、理詰め導き出した「準備(段取り)」の結果であった。

明日食う米があるか分からない恐怖。

どこへ向かえばいいか分からない不安。


それら全ての「迷い」を、この頼りない風貌の書生が、夜を徹した計算によって肩代わりしてくれている。


彼に従い、足を動かしていれば、水が飲める。飯が食える。前に進める。


その事実は、民衆の中に一種の宗教的な安寧を生み出していた。


彼らは思考を停止し、ただ巨大な「移動都市」の一部品として、南へ、南へと歩き続けた。

端から見れば、その整然としすぎた行軍は、死者の葬列のようでもあり、あるいは大地を食らい尽くす蟲の群れのようでもあり、見る者に根源的な畏怖を抱かせる光景となっていた。


2.美しき聖女の流言


その「畏怖」を「信仰」へと昇華させているのが、一人の少女(?)だった。


「まぁ、お婆様。足が痛みますか?少し荷車に乗りましょうね」

休憩中の隊列を、天女のような美少女が回っていた。

豪奢な着物は泥で汚れていたが、それがかえって「民と共に苦難を歩む聖女」のような神々しさを演出している。李譔りせんである。


彼は(彼女は)、老人の手を握り、子供の頭を撫でながら、鈴を転がすような声で囁いて回る。


「大丈夫ですよ。この行軍は、天に見守られています。見てください、あの雲の切れ間を。水鏡先生が祈りを捧げた途端、雨雲が避けていったのです」


実際には、向朗が雨を避けるルートを選んでいるだけなのだが、民衆は涙を流して頷いた。


「ああ、ありがてぇ……。水鏡先生と、あの一番弟子の軍師様がいれば、俺たちは助かるんだな」

「ええ、そうですとも。向朗様には『千里眼』がおありです。先生の徳と、向朗様の知恵。この二つがある限り、董卓ごとき鬼も、我らには手出しできませんわ」


李譔は、扇子で口元を隠し、完璧な聖女の微笑みを振りまく。

だが、その内心では舌を出していた。

(チョロい。チョロすぎるわね。人間、極限状態になると『すがるもの』を欲しがる。そこへ分かりやすい『奇跡』の物語を提供してあげれば、あとは勝手に信じてくれる。……ま、これも向朗の計算通りなんだけど)


李譔の巧みな流言は、疲労した民衆の心に「信仰」という名の芯を通した。


不平不満が出そうになっても、「先生が悲しむぞ」「バチが当たるぞ」という同調圧力が働き、暴動の芽は未然に摘み取られていく。李譔にとって、この巨大な集団心理を制御することは、ある種の快感でもあった。

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