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【AI小説】胞子の園|2026  作者: 茉莉花イツカ


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第5話 管理者

 加賀谷誠にとって、培養室の仕事は朝の巡回から始まる。

 白衣の擦れる音と、床のコンクリートが足音を吸い込む無機質なリズム。地上では陽光が世界を照らしている頃だろうが、この地下施設に朝も夜もない。左右に並ぶ円筒形のタンクからは、常に一定の青白い光が揺曳し、霧に煙る内部を淡く照らし出している。その光景は、どこか静謐な聖域のようでもあり、あるいは巨大な標本室のようでもあった。


 六番タンクの前で、加賀谷の足が止まった。

 ガラスに顔を寄せると、霧の向こうに横たわる輪郭が、以前よりいっそう希薄になっているのがわかった。宿主の生命力と引き換えに、その肉体を食い破って咲き誇る子実体は、今や完成の時を迎えようとしている。

 加賀谷は感情を排し、タブレットに数値を入力した。そして十二番タンク――かつての『管理者』であった桐生が入っている場所へ回線を繋ぐ。


「桐生」

「んっ……なんだ?」

 スピーカーから漏れる声は酷く不鮮明だったが、加賀谷には聞き取れた。

「六番がもうダメそうだ」

「そうか……。質はまあまあだったが、収穫量はそれなりに期待できたのだがな」

 桐生の声には、自身の現状への悲観も、死への恐怖もなかった。あるのは、一人の研究者としての純粋な損得勘定だけだ。


「死体は冷凍庫へ。次の『苗床』の準備手順は、後で教えよう」

 加賀谷は黙って操作盤を叩き、十二番タンクへ至上の安楽をもたらすソーマの霧を送り込んだ。桐生が短く喘ぐ。


 巡回の最中、ポケットのスマートフォンが震えた。画面には「柴田恵子」の文字。行方不明になった息子の捜索を依頼してきた、あの母親だ。

「もしもし」

「加賀谷さん、何度もすみません。その後、息子のことで何か進展は……」

 受話器越しに伝わる震える声。加賀谷は目の前の七番タンクを見つめた。そこには、首から顎にかけて青白く光る菌糸に覆われた、彼女の息子であったはずの『個体』が漂っている。


 母親というのは、これほどまでに執着が強いものか。

 その愛情の深さに、加賀谷は微かな羨望と、それ以上に冷ややかな憐憫を感じた。彼は淡々と、しかし優しく嘘を紡ぐ。

「実は、廃墟の周辺で手がかりが見つかりました。現場を見ていただいたほうが早い。直接お会いしましょう」

「え……本当ですか。すぐに行きます。どこへでも」

 声に灯った希望の光。加賀谷は密かに場所を指定し、通話を終えた。


 七番タンクの『息子』は、霧の向こうでただ静かに発光し続けていた。


 夜、加賀谷は培養室のメイン照明を落とした。

 闇の中で、十二基のタンクだけが命の灯火のように青白く浮かび上がる。彼は七番タンクの前に腰を下ろし、壁に背を預けた。

 手の中には、一瓶のソーマ。

 栓を開け、掌に落ちた白い粒子を深く吸い込む。


 瞬間、世界の境界が溶け出した。

 肺から全身へ巡る感覚の奔流。それは、かつて味わったあらゆる快楽を一つに凝縮し、無限に増幅させたような衝撃だった。肉体の重みは消え、意識は青白い光の粒となって、この地下室を満たす濃密な胞子の海へと溶け込んでいく。


 視界が眩いほどの光に支配される中、ふいに父の声がした。

『正しくあれ』

 厳格だった父が口癖のように言っていた言葉。かつての自分なら、その重圧に押しつぶされていただろう。だが、今の加賀谷は揺るがなかった。

 光の洪水の中で、彼は微笑む。


(ああ、これこそが俺の『正義』だ)

 誰にも見られない場所で、丹念に、完璧に、この園を管理し続けること。

 悲しみも苦しみも、すべてをこの美しい光の中に溶かし、楽園を維持すること。

 それ以上に『正しい』ことなど、この世に存在するだろうか。


 加賀谷は天を仰いだ。

 頭上に掲げた瓶から、光り輝くソーマの雪が降り注ぐ。

 漆黒の虚無の向こう側で、圧倒的な光に満たされた楽園が、彼を優しく迎え入れようとしていた。




──THE END──

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