22.いざ戦支度
「えー……パパは、とても怒っています」
よく晴れた朝。ヴォーティガン邸の食堂で、私、ジェニファー・ヴォーティガンは一週間ぶりにモルドレッド殿下の顔を見た。
彼の熱が下がったのは昨日の昼前で、大事をとって、その日は丸一日客室で休んでいただいていた。
その間、私は訓練に打ち込み、我が領の兵士たちから「本当に人質だったんですよね? 王妃教育じゃなくて王国軍で訓練でも受けてきたんですか?」と半ば呆れられるくらいには鍛えていた。
つまり、今の私は絶好調だった。
一騎当千の働きで国王軍を蹴散らしてごらんに入れますわ!! くらいの勢いでモルドレッド殿下と再会した……のだけど、感動の再会より先に、父上が盛大に怒りを露わになさっていた。
母上はこうなることを予想していたのか、涼しい顔で朝食を摂っているし、弟は父上が話し始めた途端、パンを口へ押し込むようにして逃げていった。
「あの、お父様?」
「うん」
「朝食をいただいても?」
「もちろん。ジニーもモルドレッドくんも、しっかり食べなさい。腹が減っては戦はできぬ。東の国のことわざらしいが、いい言葉だ」
「いただきます……」
モルドレッド殿下は父上の顔色をうかがうように、おずおずとスプーンを手にした。
殿下は病み上がりということで、胃に優しそうな柔らかい食事が用意されていた。対する私は訓練後なので、香草焼きやソーセージなど肉料理が山盛りである。
「まず、第二王妃殿下からの手紙と、ジニー、モルドレッドくんの話で状況は理解した」
父上は焼きたてのパンを豪快に食いちぎりながら言った。
「『ゲルソンと王族の密通を防げないとは辺境伯も情けない』と、アーサー殿下は仰ったそうだね。そのことに遺憾の意を表明させていただこう。業腹だね」
お父様がものすごく怒っていることだけは、嫌というほど伝わってきた。
なにしろ、皿の上のゆで卵がいつの間にか粉々になっている。
「しかし、その気持ちは第二王妃殿下も同じらしい。まあ、当然だな。自分で仕掛けておいて、国防もなにもあったものではない。此度のことがゲルソン側に知れれば、国内政治のために他国を悪役に仕立てたと、たちまち火種になる」
モルドレッド殿下は神妙な顔で頷いていた。
私も似たような顔で、黙々と食事を進めた。
いつの間にか、母上は食事を終えて席を外していた。
「そもそも、我が家の国防のための備えを、国王陛下は反乱の兆しとして捉えたわけだ。それによりジニーは十年近くも人質にされ、我が家の誇りはいたく傷つけられた」
父上は鋭いまなざしで皿の上を睨みつけていた。
粉々になった卵にはドレッシングが乱暴にかけられ、最後はパンでぬぐうようにして食べられていく。
「そのうえ此度の件だ。……そろそろ、我が家に対して舐めた対応をとったことへの、それ相応の対価は支払っていただかなくてはならない」
父上の声がますます低くなった。
「これは我が家の問題ではない。国の問題だ。国防をおろそかにし、あまつさえ反逆の兆しと捉えるとは嘆かわしい。国王陛下が犯した過ちを、アーサー殿下がより悪い形で再現するとはね」
気づけば、全員の皿はきれいに空になっていた。
侍女たちが手際よく皿を下げ、湯気が上がるティーカップだけが卓上に残された。
「そういうわけだから、私は我が国の防人として遺憾の意を表明しに行こうと思う」
父上が私たちを見まわしたので、殿下とともに大きく頷いた。
「今のところ、王都で目立った動きはないようだ。貴族の間で動揺は走っているが、それも元から君たちが根回ししていたし、令嬢らを通じて第二王妃殿下も動いているようだから、さほどではない。だから、わたしは正面から国王陛下にお目通り願うつもりだ」
「正面からですか?」
思わず聞き返すと、父上はいたずらを企む子どもみたいな笑顔を私へ向けた。
「ああ、そうだ。モルドレッドくんと幽閉の指示が出ているジニーはともかく、わたし宛の指示は兵たちに出ていないそうだからね。それに、せっかくだからみんなで行こうと思う」
「みんな、ですか?」
モルドレッド殿下も不思議そうに首を傾げた。
「ああ。ちょうど社交シーズンも後半に入る。せっかくだから、みんなで王都へ向かい、王家主催の社交パーティーに参加させていただこうではないか」
私と殿下は顔を見合わせた。
父上は今までになくはつらつとした、実に楽しそうな顔でティーカップを傾けた。
朝食を終えた後、客室に顔を出すとモルドレッド殿下が笑顔で出迎えてくれた。
「ジニー、体調はどう?」
「私のセリフですわ、殿下。お加減いかがですか?」
「問題なし……と言いたいところだけど」
殿下が眉を下げた。
「君に会えなくて寂しかった」
そんなふうに腕を広げられたら、私のやることなんて一つしかない。
私はその腕の中へ飛び込み、温かい背中へ腕を回した。
「私も寂しかったですわ、殿下」
私の背中も、同じくらい痛くなるほど強く抱きしめ返された。
「ていうか、なんでお見舞いに来てくれなかったのさ」
耳元に不貞腐れたような声が落ちた。
「父に止められましたの。私まで倒れてはいけないと」
「それはそうだろうけど」
「それに、その時ではありませんでしたから」
「その時ではない?」
抱きしめていた殿下の腕から、少しだけ力が抜けた。
顔を上げると、モルドレッド殿下がひどく情けない顔で私を見下ろしていた。
まるで迷子の子犬みたいな顔だ。
「殿下、私、怒っておりますのよ。父や第二王妃殿下と同じくらいに。ですから、きっちり仕上げてまいりましたの」
殿下は小さく笑って、もう一度私を抱き寄せた。
「うん、そうだね。……俺も、ものすごく怒ってる」
「ところで、殿下。私一つ気になっていたのですけど」
「なんだい?」
「父はいつから殿下のことを殿下と呼ばなくなったのかしら」
「さあ?」
モルドレッド殿下は私を抱きしめながら答えた。
「たぶん、ジニーが俺の求婚を受け入れてくれた時、かな」
「まあ」
意外なような、でも妙に納得してしまうような話だった。
私の父はあれでけっこうロマンチストだし、内と外を区別する。
だから、きっと殿下はもう“内”なのだろう。なんだか少しくすぐったくて、でも心強かった。
「さあ、支度をいたしましょう、殿下」
手を離した。
私たちは、逃げるためにここへ来たのではない。
戦支度をしに来たのだから。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
楽しんで頂けたらブクマ・評価・感想などで応援いただけると大変嬉しいです。
感想欄はログインなしでも書けるようになっています。
評価は↓の☆☆☆☆☆を押して、お好きな数だけ★★★★★に変えてください!




