20.最果ての地へ
作戦実行当日。私は半信半疑のまま、軽装で薄暗い地下通路を進んでいた。
何度も、足元をネズミがぴしゃぴしゃと水音を立てながら走り去っていった。
モルドレッド殿下付きの兵が二人同行してくれていて、何度も方向を確かめながら、小声で道順を指示してくれていた。
そして最後の角を曲がり、梯子を上って天井の石を押し上げると、薄闇の向こうに丸めた背中が見えた。
「本当に、いらした……」
そんな状況ではないのに、ついこぼしてしまった言葉に、モルドレッド殿下が振り向いた。
「ジっ」
唇に人差し指を当てると、殿下ははっとした顔で自分の口を押さえた。
声にならないほど小さな声で「参りますわよ」と告げると、殿下は音を立てずについてきた。
私たちは素早く地下通路へ降り、そのまま目的の出口へ急いだ。
「殿下、ヴォーティガン嬢、こちらです」
狭く湿った通路が、不意に途切れた。
顔を上げると、木立の隙間から冷たい星空がのぞいていた。
「……泣きそう」
殿下はかすれた声でつぶやき、そのまま私へ体重を預けてきた。
「泣いている場合じゃありませんわ」
「そうなんだけど……」
消え入りそうな声に、私は思わず振り返った。
モルドレッド殿下の顔は木々の影に沈み、表情までは見えなかった。
私は手探りで殿下の手をつかんだ。
「殿下ったら……じゃあ、私を自由にするというのを諦めるんですか?」
小さく息をのむ音が聞こえた。
つかんだ手が握り返される。
「……それは、嫌だなあ」
「もうちょっと、頑張れますか?」
「応援してくれる?」
私は反対の手も伸ばし、力なく下がったままの殿下の手を強く握った。
「この命が尽きるまで、お付き合いしますよ」
「プロポーズじゃん……」
殿下が笑いながら言って、私たちはまた歩き出した。
***
枯れた雑草を踏み分けて進んだ先は、城下町の外れだった。
城下町を囲む石塀の手前には、小さな見張り小屋がぽつんと建っていた。
「殿下、こちらでお召し替えを」
小屋から離宮で私の世話をしてくれていた侍女が出てきた。
「どうしてここに?」
つい尋ねると彼女はニヤッと笑った。
「今晩の見張りが私の弟なんです。姉に従えない弟はおりませんから」
彼女の後ろでは、門番の制服を着た屈強な男性が、露骨に嫌そうな顔をしていた。吹き出しそうになるのをこらえながら、私は門番へ向き直った。
「ご協力、感謝します」
「お気になさらず。俺は横暴な姉に振り回されているだけですので」
次の瞬間、侍女の足が目にも止まらぬ速さで門番のすねを蹴り飛ばした。
さすがは門番である。顔ひとつしかめず、姿勢も崩さず立っていた。ほんの少し涙目ではあったけれど。
「お待たせ、ジニー」
着替えを済ませたモルドレッド殿下が、小屋から姿を現した。私と同じ、商人風の軽装姿だった。
「馬はこちらです」
門番が馬小屋へと案内してくれた。
「よしよし、いい子ね。一緒に頑張りましょうね」
馬の首筋をひととおり撫でてから、私は鞍へまたがった。殿下も静かに馬へ乗り、手綱を引く。
「このご恩、決して忘れませんわ」
「とんでもございません。今までしていただいたことを、お返ししているだけです。いってらっしゃいませ、モルドレッド殿下、ジェニファー様。離宮一同、お二方のお帰りを心よりお待ちしております」
侍女と門番が頭を下げた。
私と殿下は振り返ることなく、夜の道へ馬を走らせた。
***
夜明け前の冷たい空気の中、私たちは走れるだけ走った。
モルドレッド殿下が進めてくださっていた街道整備のおかげで、その一晩だけでも全行程の七分の一ほどは進めただろうか。馬だけでヴォーティガン領まで行こうとすると、だいたい六日から七日はかかる。
あまり飛ばして馬を潰してしまっては元も子もない。それに、途中で第二王子派の貴族たちへ事情を説明しながら進む予定だったから、焦りながらも無茶は避けて進んだ。
そうして一週間ほどかけて、ようやくヴォーティガン領の城塞都市へたどり着いた。
道中、何度も父宛てに早馬を飛ばしていたおかげで、門番もすんなり私たちを通してくれた。
「ジニー!」
帰宅すると、父が駆け寄ってきて私を抱きしめた。
「無事でよかった……! 殿下も、ご無事で何よりです……」
父の腕がゆるんだので、私も慌てて殿下のほうへ振り返った。
殿下は床へ膝をつき、深くうなだれていた。
「申し訳ございません、ヴォーティガン卿。お嬢さんまで巻き込んでしまい……」
「殿下、頭をお上げください!」
慌てて駆け寄って、殿下の前に膝をついたけど、彼は顔を上げなかった。
「俺が助けを乞うたばかりに、お嬢さんだけでなく、ヴォーティガン卿にまで嫌疑が及んでしまった……。あなた方の誇りを汚すような真似をしてしまったこと、まことに申し訳なく……っ」
重たい足音を響かせながら、父がこちらへ歩み寄る。
私は床につかれた殿下の拳へ、自分の手を重ねた。
「殿下」
返事はない。それでも聞こえているはずだから、私は言葉を続けた。
「城から脱出したとき、私がお伝えしたことを覚えておいでですか? この命が尽きるまで、お付き合いすると申しました。お慕いしております、ルディ。あなた様には、このジェニファー・ヴォーティガンがついているのです。何を気弱になる必要がありますの」
モルドレッド殿下がゆっくりと顔を上げた。
長く馬に揺られ続けていたせいで、顔は汚れ、唇もひび割れていた。瞳は涙でぐしゃぐしゃで、私の顔がちゃんと見えているのかも怪しい。
そんな有様なのに、殿下はわずかに口元を緩めた。
「こんな状況で言われるとは、思ってなかった……。君は本当に、俺に逃げ道をくれないんだね」
「だって、約束したじゃないですか。私を自由にしてくださるのでしょう? 兄上に反逆なさるのでしょう? 第二王妃殿下だって、『辺境伯をこけにしたことを、後悔させてあげましょう』とおっしゃっていましたし」
「母上もか……。ほんと、頑張らないといけないのに……ごめん、もう体が動かないんだ」
その瞬間、殿下の体からふっと力が抜けた。
支えを失ったように、そのまま床へ崩れ落ちる。
次にモルドレッド殿下が目を覚ましたのは三日後のことだった。
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