16.静かな庭園
ある日、俺、モルドレッド・ドレイクが王宮の会議へ向かう途中、廊下で兄上に呼び止められた。
「港の視察に行ってくれないかな。もうすぐバケーションが終わるだろう? その後各地で行われる豊穣祭に向けて、ゲルソンとの貿易が盛り上がっているから、港で人手不足らしいんだ」
ゲルソンは海の向こうにある隣国だ。俺が生まれる頃までは戦争が続いていたらしいが、ここ最近は小康状態が保たれている。
たしかに、東部貴族からは輸入品を運ぶための街道整備を求める声が上がっていた。
「承知しました、兄上。人夫がどのくらい必要か確認してくればいいかな?」
「うん。あと、運び込まれる物資の内容と一日あたりの総量、それから各地域へどれくらい流れていくかも確認してほしい。ほら、少し前の会議で街道整備の話があっただろう? その優先順位を決めるためだよ」
「わかった。正式な依頼書は?」
「この後の会議で出すよ。それとヴォーティガン嬢にも依頼があってね」
「ジニーに?」
今まで、兄上がジニーに直接頼み事をすることなんてあっただろうか。
つい声が低くなってしまう。
兄上はくすりと笑い、両手を肩の前まで軽く上げてみせた。
「そんなに警戒しなくていい。実は見合いを申し込まれていてさ」
「そんなの、ここ十年ほどずっとじゃないか」
「そうなんだけどさ。そろそろ婚約者の一人くらい決めないとうるさくてね。それで何人かに絞ったから、相手の様子をヴォーティガン嬢に聞きたいんだ。ここ最近、第二王妃殿下と一緒によくお茶会をしているだろう? 女性の目から見て、どんな人柄か教えてほしくてさ」
筋が通っているような、微妙に誤魔化されているような話だった。
というか、兄上は母上とジニーがお茶会を開いていることを把握していたのか。
「……わかった。俺から彼女に伝えればいい?」
「頼む。後で第二王妃経由で正式に依頼するから」
「了解」
小さく頷いて、会議室に向かった。
ふと振り向くと、窓から射し込む陽光が兄上の足元だけを照らしていた。首から上には影が落ち、少し距離があるだけで、どんな表情をしているのかまるで見えなかった。
***
数日後、俺は補佐官と共に港へやって来た。
潮風が髪を揺らし、辺りには潮と魚の混じった港特有の匂いが満ちていた。
「ジニーも一緒に連れてきたかったな」
「仕方ありません。ヴォーティガン嬢もお役目がありましたから」
「そうだけどさ」
今日は、ジニーが兄上に頼まれた見合い相手とのお茶会らしく、こちらには来られなかった。向こうの都合もある以上、仕方ない話ではあるんだけど。
「ま、さっさと終わらせて帰るか。ついでにジニーに土産も山ほど買っていこう」
「馬車に乗る程度でおねがいしますよ、殿下」
「乗らなかったら君には走ってもらわないといけないな」
「そうなったらこちらで馬を借りて帰ります。お代は王家につけておきますよ」
補佐官と軽口を叩きながら、貿易用の巨大な帆船が停泊する桟橋へ向かった。すぐ傍に建つ王家の紋章入りの建物へ足を踏み入れる。
「これはこれは、モルドレッド殿下」
「お世話様です、ご主人。豊穣祭用の荷物の一覧ってあります?」
「用意しておりますよ。こちらです」
差し出された帳簿の分厚さに、思わず目眩がした。
どうも、今日のうちに発つのは難しそうだ。
「アーサー殿下からのご依頼で、こちらもご用意しました」
さらに追加で分厚い帳簿が差し出された。表紙を見ると、我が国で保有している帆船と乗組員の一覧らしい。
……一週間以内には帰れればいいんだけどな。
***
どうにか視察を終え、俺は王宮へ戻ってきた。
馬車を降り、王宮へ足を踏み入れた瞬間、妙な違和感を覚えた。
「なあ、警備の配置って、こんなんだっけ」
小声で隣りに立つ補佐官に確認する。
補佐官は目を細め、口を真一文字に結んだまま、小さく首を横に振った。
「いえ……王家の紋章がついているとはいえ、馬車が入ってきたのにこの手薄さは、いささか不自然かと」
「だよな……。なんか、嫌な感じがする」
ともかく、止められる様子もないので、そのまま場内へ進んだ。
兄上を探すと、父上の執務室のソファで、山積みの書類に延々と決裁印を押していた。
「おかえり、モルドレッド。大変だっただろう?」
「ああ。せっかく海まで行ったのに、さざ波じゃなく書類の波に飲まれてたよ。ところで、警備の配置って変えた?」
「いや? 交代のタイミングだったんじゃないかな」
「……そうか」
兄上は薄く笑い、ソファから俺を見上げた。
「ともかく、疲れただろうから今日は離宮に戻って休めよ。あとは僕の方で確認しておくからさ」
「頼む」
俺の補佐官が、兄上の補佐官へ書類を引き継いだ。
軽く頭を下げ、執務室を後にした。
王宮を出て離宮へ向かう途中、何人か警備兵とすれ違った。けれど、どういうわけか誰一人として俺と目を合わせようとしなかった。
離宮の入り口にはいつもの警備兵が待っていた。
「殿下、おかえりなさいませ。離宮一同、殿下のお帰りを心待ちにしておりました」
「そんな大袈裟な。……でも、ありがとう。ただいま。母上とジニーは?」
「第二王妃殿下は自室に、ジェニファー様は庭園にいらっしゃいます」
「……先に、ジニーの顔を見に行ってもいいかな」
ついそう口にすると、警備兵はにやりと笑って庭園の方へ顔を向けた。
「ええ、もちろん。ジェニファー様はここ数日、ずっと落ち着かないご様子でして。殿下のお帰りを待ちわびていらっしゃいましたよ」
「じゃ、行ってくる」
「私は先に執務室に戻らせていただきます」
「よろしく。そっちも疲れてるだろ、早めに上がってくれ」
「ふふ。私が執務室に居座っていては、ヴォーティガン嬢とゆっくりできませんからね」
肩をすくめて笑う補佐官を、じろりと睨みつけた。
「ああ、そうだよ。ジニーとゆっくりしたいから、お前はさっさと帰れ」
そう言い捨てて、俺は庭園へと向かった。
***
庭園では、俺の妖精ことジェニファー・ヴォーティガンが、咲き誇る花々を静かに眺めていた。
夏の終わりを告げる涼しい風が、彼女のふわりとした髪を優しく揺らしている。
「ジニー、ただいま」
できるだけ明るい声をかけると、彼女はぱっと振り返り、大きな瞳をまん丸に見開いた。
「モルドレッド殿下……、おかえりなさいませ!!」
腕を広げると、ジニーがパッと飛び込んできた。
柔らかくて温かくて、甘い花みたいな香りがした。
ようやく帰ってこられたのだと、胸の奥がじんわり緩んだ。
「いや、忙しかったんだ」
「お話を聞かせてくださいませ」
ジニーの手を取り、庭園の隅に置かれた白いベンチまでゆっくりエスコートした。
控えていた侍女が、すぐにお茶と菓子を近くの丸テーブルへ並べてくれた。
その中には、俺がジニーへの土産に買ってきた焼き菓子も混ざっていた。
「……ってわけで、補佐官と頭を突き合わせながら、毎日ひたすら帳簿をめくってはメモを取り続けてきたよ」
「それはそれは……お疲れ様でございました」
「君にそう言ってもらえるだけで、疲れなんて吹き飛ぶよ。この焼き菓子、最近ゲルソンで流行ってるらしくてさ。味見したらかなりおいしかったから、ジニーにも食べてほしかったんだ」
ジニーの皿に、侍女が焼き菓子を乗せた。
彼女は目を輝かせながら焼き菓子を頬張り、口元についた欠片をぬぐうと、恥ずかしそうに視線をそらした。
「ジニーのほうは、何か変わったことはあった?」
「いいえ、とくには。……ただ、朝晩の訓練の際に、一緒に訓練している兵の方々が送り迎えをしてくださるようになりまして」
「今までしてたっけ?」
ジニーは首を横に振った。
そんな役目があるなら、俺が真っ先に名乗り出ていたはずだ。
「理由を聞いても、『近頃は物騒ですから』とか、『姫様に何かあったら殿下に叱られちまうんで』としかおっしゃらなくて」
「まあ、君に何かあったら暴れるけども」
ジニーは口を閉ざして、庭園へ視線を向けていた。
夏の終わりの日差しが、母上自慢の庭園へ眩しいほど降り注いでいる。
「最近、周囲が静かすぎる気がするのです。……私たちが何をしても、誰も反対なさいませんし、声すら上げない……それって、普通のことだったかしら」
「どうかな」
王宮へ戻った時の違和感が、ふいに脳裏をよぎった。
やけに少ない警備兵。
ぼんやりした表情の父上。
安堵した顔で俺を出迎えた、離宮の兵士たち。
嫌な予感が胸の奥に沈み、無意識に唇をかんだ。
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