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『狂犬お市様』 〜転生八回目、戦国を生活で支配した姫〜   作者: イサクララツカ


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第400話 水と土で国を作る姫

西暦1556年8月10日(弘治二年・葉月十日ごろ)

肥前国 伊万里川河口

伊万里川の河口は、朝から騒がしかった。

杭が打たれ、縄が張られ、土が削られ、兵も職人も入り混じって走り回っている。

戦場の喧騒とは違う。だが、どこか似ている。

城ではない。

商館でもない。

そのどちらでもあり、そのどちらでもない。

狂犬堂伊万里商館――その縄張りが、始まっていた。

「そこ、杭を半間ずらせ!」

藤吉郎が怒鳴る。

「水の流れを見ろ、水じゃ!」

蜂須賀小六も、腕を組みながら土の傾きを見ている。

「姫様の言う通りにしたら、ここに水が溜まるはずや」

「溜まらんかったら?」

「溜めるんじゃ!」

そんなやり取りの中心に、お市様がいた。

普段なら、丸投げして終わる。

任せた、と笑って去る。

だが今日は違う。

縄張りの線を、自ら踏み歩いている。

足元の土を踏みしめ、水の流れを見て、指で空に線を描く。

「ここじゃ」

と、お市様が地面を指した。

「ここに水を引く」

藤吉郎が眉をひそめる。

「姫様、ここは少し高いですぞ?」

「だからじゃ」

即答だった。

「高いところに引けば、落ちる」

「……は?」

「水は上から下に流れる」

「それは分かりますが」

「なら、最初を上にすればよい」

藤吉郎が黙る。

小六が、にやりと笑った。

「なるほどな」

お市様は、さらに続ける。

「商館の周りは、水で囲う」

「水堀でございますか」

島井宗室が帳面に書き込みながら問う。

「そうじゃ」

神屋宗湛が首を傾げる。

「なぜ、商館に水堀を?」

お市様は、くるりと振り返った。

「銭を守るためじゃ」

その一言で、宗室と宗湛の背筋が伸びる。

「よいか」

お市様は指を一本立てた。

「ここは城ではない」

「……はい」

「じゃが、城より銭が動く」

宗室の筆が止まる。

「なら、城より守らねばならぬ」

宗湛の喉が鳴る。

「盗人だけではないぞ」

お市様は、川の流れを見ながら続ける。

「火事、水害、争い、流言」

「……」

「全部から守る」

その言葉は、戦の話ではなかった。

だが、戦以上に現実的だった。

藤吉郎が、ぽりぽりと頭をかく。

「姫様、これ……城より金かかりますぞ」

「かかるな」

「それでもやるんですか」

お市様は、にやりと笑った。

「儲かるからじゃ」

利家が後ろで吹き出した。

「出たな、最終結論」

慶次が笑う。

「分かりやすい女やなあ」

その頃。

伊万里の周囲では、もう一つの“戦”が進んでいた。

風神高橋鑑種が、兵を率いて走っている。

泉山から有田へ。

有田から波佐見へ。

さらに川棚、南風崎へと。

山と谷を抜け、村を渡り、道を押さえ、話を通す。

「水田一割」

「畑は無税」

「三年は取らぬ」

その言葉を、繰り返し、繰り返し伝える。

農民は耳を疑う。

「ほんとか?」

「ほんまや」

「嘘じゃろ」

「嘘なら、わしを斬れ」

高橋は、真顔で言う。

その代わりに、従わぬ武士には容赦しない。

「従え」

「嫌じゃ」

「……そうか」

次の瞬間、叩き伏せる。

「次は?」

「……従います」

それを繰り返しながら、早岐瀬戸を北上する。

早岐へ。

佐世保へ。

そこからまた、有田、伊万里へと戻る。

まるで、地を塗り替えるように。

利家が、その報告を聞いて笑った。

「ほんまに風神やな」

慶次も頷く。

「通った後、全部風でなぎ倒したみたいになってるぞ」

さらにその外側。

景虎姉上――長尾景虎もまた、動いていた。

松浦党を壊滅させ、その残党を従え、武雄を押さえる。

そして、伊万里に近い地に本陣を置いた。

そのまま、伊万里へと馬を走らせる。

「……あの妹め」

口元は笑っている。

「また妙なことを始めておるな」

その頃。

伊万里川のほとりでは。

お市様が、簡素な平屋の前で腰を下ろしていた。

仮の本陣。

壁も薄く、屋根も簡単なもの。

だが、周囲はすでに動いている。

杭。

水路。

倉。

作業場。

そして人。

宗室と宗湛が、横で帳面を広げていた。

「材木、追加手配いたします」

「石工も足りませぬ」

「鍛冶も呼びます」

「うむ」

お市様は、川の流れを眺めながら頷く。

そこへ、馬の音が近づいてきた。

兵が道を開ける。

景虎姉上だった。

馬から降りると、そのままお市様の前まで歩いてくる。

しばし無言。

そして、ふっと笑った。

「……何をしておる」

お市様も笑う。

「国作りじゃ」

景虎が、周囲を見回す。

水路。

杭。

土。

人の流れ。

戦場のようで、戦場ではない。

「城ではないな」

「うむ」

「町か?」

「それも違う」

「……では、何じゃ」

お市様は、立ち上がった。

白い石――泉山の石を、ひとつ手に取る。

「これを売る場所じゃ」

景虎の目が、細くなる。

「ほう」

「これが、銭になる」

「……なるのか」

「なる」

断言だった。

景虎は、しばらくその石を見つめた。

それから、くくっと笑う。

「相変わらずじゃな、おぬしは」

お市様も笑う。

「姉上もな」

二人の間に、風が通る。

戦の匂いではない。

土と水と銭の匂い。

「……で、わらわは何をすればよい」

景虎が、楽しそうに問う。

お市様は、即答した。

「港の外、押さえよ」

「ふむ」

「海から来る銭、全部通す」

景虎が、にやりと笑う。

「よい」

「それでよい」

二人は、同時に笑った。

戦は終わりつつある。

だが、もっと大きなものが、今始まっている。

祐筆桃の日記

弘治二年 葉月十日(西暦1556年8月10日)

伊万里川河口にて、狂犬堂商館の縄張りが始まる。

姫様は普段と違い、自ら水堀の位置まで指示されていた。

藤吉郎殿と蜂須賀小六殿が、その意図を必死に形にしている。

島井宗室殿と神屋宗湛殿は、姫様の命を一つも漏らすまいと、帳面に書き続けていた。

高橋鑑種殿は風神の名の通り、周辺を制圧しながら帰還。

景虎様も武雄を押さえ、伊万里に来られた。

姫様は「城ではない、銭を守る場所じゃ」と言われた。

戦のあとに、国ができる。

その始まりを見ている気がする。

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