07.異世界遭難者に遭遇した
標高5000メートル、森林限界を超えるこの山頂付近には草一つ生えていなかった。
天気は良好、視界も良好、おかげで敵も隠れづらいだろう。
それでももしかしたら岩場の陰にまだ身を潜めているかもしれないため、ナルミは警戒を怠らない。
やはり何も感じない。
あるのは銀色に輝く甲冑をまとった死体の山ばかりだ。
「ナルミ、そんなピリつかんでももう敵はいない」
「ん、一応」
ナルミは重い鎧をガチャガチャと言わせながら振り向いて答えた。
ナルミの見上げた先にいたのは眼帯をした大男だ。
渋い声同様に、渋い顔で笑みを浮かべている。
ナルミと違って彼は軽装であり、皮の鎧の上に外套を羽織っていた。
むしろそんな重装備なのは、転がっている死体を除けばナルミだけだった。
他にも十人の男女がこの場にいるのだが、こんな重装備、禍々しい形状の漆黒の鎧を装備しているのはナルミしかいない。
そしてナルミだけが肌の色が白かった。
もっともナルミの肌は装備の下で、見えていないのだが、他の者たちの肌の色は紫だったのだ。
といってもこれは病気などではなく、持って生まれた色である。ナルミたちの種族の中にはナルミのように白い肌で生まれてくる者もいるが、そちらの方が珍しい部類といえよう。
だからといって彼らは肌の色で人を差別することはない。差別されることはあったとしても。
「まぁいい。始めるとしよう」
眼帯をした大男、グラヘルはそう言うと頂上を振り返った。
そこがちょうど山頂に当たるのだが、そこには四本の柱が十メートル間隔で立っており、中央に石碑のようなものが建てられている。その石碑に埋め込まれるようにして、黄金に輝く石板のようなものが一つ飾られていた。
グラヘルがそちらへ向かうとナルミを含め、全員がそれに従った。
そこはまるで山頂に建てられた神殿だった。
事実、神殿には違いないのだが、柱はところどころ崩れており、どちらかと言えばかつて神殿があった場所、遺跡と呼んだ方がよさそうである。
しかしこの遺跡は朽ちてなお未だにその機能を失ってはいない。
その機能というのが黄金に輝く石板だ。
グラヘルもまたその石板に用事があってここに来ていた。厳密にいえばそこに用事があるのはグラヘルではないのだが、ナルミがここにいるのは少なくとも友人であるグラヘルが声を掛けてきたからである。
グラヘルについて来たことは正解だった。
わざわざ自分たちと敵対する“農牧の民”が、こんな重武装をして山を登ってきていたのだから。
ナルミがいなくとも、グラヘルさえいればどうとでもなる相手ではある。だがまだ若い彼の息子と娘も一緒だ。彼らには万が一のこともあってはならない。なぜならグラヘルは、ナルミたち、“狩猟の民”の長、つまり王なのであった。
今回ここに来たのはグラヘルの二人の子供のためだ。
頂上にあるあの石は“鑑定石”と呼ばれており、そこに一滴血を流すことでその者の持つ素質を読み解くこができる。子どもたちは十二歳の成人を迎え、大人となった彼らが進むべきを見定めるべく、ここを訪れていた。
ナルミたちは頂上付近まで行くが、神殿までは行かずその周りを固めた。
グラヘルは呆れたように溜息を吐く。
「大丈夫だ。もうここには誰も来ない」
家臣の一人が辺りを警戒しながら反論した。
「確かにここら辺一帯に人の気配はしませんが、いつやって来るかわかりません。警戒を怠るわけにはいかないかと」
「わかった、好きにしろ」
グラヘルは神殿で仁王立ちし、十二歳の息子と娘が成人の儀式とも呼べるこの通過儀礼を執り行うのを眺めている。
「グラヘル嬉しそう」
少し離れたところに立っているナルミがグラヘルの横顔を見つめ、呟く。
ナルミのすぐ隣にいた背の高いひょろりとしたオルクスという男がすぐに応じた。
「そりゃあ、子どもたちの成長が喜ばしいんだろうぜ。俺も子どもがいねぇからわかんねぇが、きっと良いもんなんだろうよ。あ、どうだ? 俺の子ども産んでみねぇ?」
「弱い遺伝子、いらない」
オルクスががっくりと項垂れる。
フラれた上に弱いとまで言われたのだから当然だが、ナルミには別に悪意はなかった。
そもそもナルミより強い男がいないのだ。いるとすればそれこそグラヘルくらいだろうが、彼はすでに既婚者。手を出すわけにはいかなかった。
といってもグラヘルほど強い必要もないし、なんなら自分より多少弱くても構わないのだが、自分より少しだけ弱い程度の男すらなかなか見つからない。見つかったとしても、年が離れすぎていたり、妻帯者だったりするのである。
どこかに強い男はいないものかと、ナルミが頭を悩ませていると、頂上から兄妹のはしゃぐ声が聞こえてきた。
どうやら望んだとおりかそれに近い素質があることが分かったのだろう。二人の声はとても嬉しそうで、ナルミも心の中で安堵していた。
しかしその喜びは長く続かなかった。
突如周囲の空気が変わる。
これが何かわからない。今まで一度も経験したことがないものだった。
新手の襲撃か何かか。
ナルミは考えるよりも早く行動していた。
グラヘルではなく兄妹の方に向かって走り出す。守るならグラヘルではなく兄妹であるし、むしろグラヘルの周りにいては彼が十分に力を発揮できないだろう。もしそれでも肉壁が必要になるなら、それはナルミの役目ではなくグラヘルの配下の役目であり、その役目を負った者はすでにいつでもグラヘルの盾になれる位置についている。
グラヘルの護衛は練度の高い戦士揃いだ。
ナルミが兄妹の下にたどり着いた時には、すでに戦いの準備は整っていた。
空気の歪みが強くなり、やがてそれが目視できるまでに至った。
神殿の空間一部、ナルミたちとグラヘルの間当たりが実際に捻れているように見えるのだ。
神殿だけではない。山頂のあちこちで同じ現象が起きていた。
そして次の瞬間それは起こった。
空間の捻れは突如穴となり、そこから何かが飛び出してきたのである。
人だ。
一人ではない。
ナルミの目の前の穴からは三人の男女が飛び出し、他の穴からも続々と人が出てきている。出てきた者はその穴から吐き出されるようにして、その場に倒れ込んでしまった。
いったい何人いるのかはわらないし、ナルミにとってそれは重要ではない。
重要なのはこの突然現れた人間たちが、敵なのかどうか、自分より強いのかどうかということだけだ。
目の前に現れた男がすぐに立ち上がり、辺りを見回す。
5000メートルの高所だというのに、有り得ないほどの軽装だった。武器を所持しているようには見えないが、何らかの異能を持っている可能性だって大いにある。
しかしナルミには彼が敵意を持っているようには見えなかった。それどころか、こちらをまだ認識すらしていないようだ。
男がようやくナルミに気付き、ゆっくりと近づいてきた。
ナルミは一気に警戒した。
目の前に立つ男は只者ではなかった。
軽装で武器も持たない男だが、その体は隅々まで鍛え上げられており、練度の高い戦士であることが窺える。その立ち居振る舞いにも隙がない。
だがやはり敵意はないようで、すぐに立ち止まった。
「××××、××××××?」
ナルミは頭の中で首を捻った。
何を言っているのかさっぱりわからないのである。声が小さいとか早口とかで聞き取れなかったのではなく、むしろ声は大きく聞き逃す方が難しいくらいだ。彼が同じ人間であるなら、そんなことは起こりえないことであった。
「××××、××××××?」
男は先ほどと同じと思われる言葉を繰り返した。
さっきより声が大きい。ナルミの守る兄妹はそのあまりの声のデカさに耳を塞いでしまっていた。
男が首を傾げた。
聞こえていないと思っているらしい。
「××××××?」
もはや爆音だった。
今となってはグラヘルもその護衛も、突如現れた人間たちまでこの男に注目していた。
男がさらに首を傾げる。
そして大きく息を吸った。
堪らなくなったのだろう。ナルミが庇っていた兄妹のうちの妹の方、フォルテナが慌てて飛び出して両手を前に突き出した。
「やめなさい! あなたの声が聞こえていないんじゃない、何を言っているかわからないの!」
男は満足げに頷くと、その場で頭を下げた。
どうやら謝っているようなのだが、何を謝っているのかもわからない。男は頭を再び上げると、また意味のわからない言葉を話し始める。
「××××××××××××××××××××。××××××××××××××××××××××。×××××××××××××××××」
声量はだいぶ落ち着いたものの、やはり何を言っているのかさっぱりわからず、期せずして交渉役になってしまったフォルテナは、困惑した顔をするばかりだった。
男はそんなフォルテナを前にしても表情を変えず(といっても前髪で目元は隠れているのだが)、今度は自分を指差し、一つの単語を繰り返して言う。
「××××」
フォルテナはどうするか考えるので精一杯で、男が何を言っているのかわかっていないようだが、傍観していたナルミは気付いた。
男は「ユースケ」と言っているのだ。その単語を、自分を指差しながら何度も繰り返し言っている。
「あなたの名前は『ユースケ』?」
思わずナルミが呟くと、男は再び満足げに頷き口元を綻ばせたのだった。




