三十四. 父との対峙(二)
「……穏翊! お前、一部始終をこの女に話したのか⁉」
憤ったように声を上げた長兄の直謙が、穏翊の胸倉を掴み上げる。しかし当の穏翊は、頬を歪めて笑って見せた。
「……話の流れで、つい。ですが、真実を知ったとして、この者に何が出来ると?」
せせら笑うような義弟の言葉に顔を顰めつつ、直謙は振り解くように、穏翊の襟元を掴んだ手を離す。
二人の息子が繰り広げる、そんな騒動には目もくれず、父帝は澄蘭に冷ややかに応じた。
「それはあくまで、第二皇子の世迷言だが──。
事実だとして、それを誰が信じる? それを公表し、お前は何をしようと言うのだ」
姿勢を正して座り、眉一つ動かさず、感情の読めない冷ややかな声で問う父帝に、澄蘭は内心の怯懦を懸命に押し殺す。父と同じように伸ばした背筋に力を入れ、袖に隠した拳を握りしめ、澄蘭は微かに息を吐いた。
「お認めにならないのなら、私は今後、取り調べの場でも、処刑の最期の時までも、温家の無実を叫び続けましょう」
毛一筋も表情を変えない父を真っ直ぐに見つめ、澄蘭は淡々と続ける。
「皇族に手を掛けようとした者は、誰であろうと死刑。皇族同士であれば賜死が通例でしょうが、私はそれを受け入れる気はありません。もちろん、黙って殺される気も。
……私は、何もしていないのですから」
「澄蘭、貴様……!」
父帝に代わり、長兄の直謙が声を荒らげるが、澄蘭は見向きもしない。
この騒動の真の首謀者は、父だ。この人の心を動かせなければ、澄蘭がどれほど言葉を紡ごうと、何も変わらない。
ならば、国の安定を望む父が、何よりも嫌がることを言えば良い。
澄蘭は腹を括った。
「民は温家を、『隣国から食糧をもたらしてくれた、飢饉対策の救世主』と崇めていました。その彼らが急な罪で死んだことに、疑問を抱いている者もいるでしょう。
彼らの無実を訴える私の言葉を聞いた民の怒りが、何を引き起こすのか……試してみますか?」
直謙と穏翊が息を飲むのを横目に、澄蘭は父の目をまっすぐに見つめる。父の表情はやはり変わらないが、その口元がほんの少し歪むのを、確かに澄蘭は見た。
その極わずかな変化に、澄蘭は勝機を見出した。
父が、民に反乱の糸口を与えるような危険を冒すはずがないと、澄蘭は確信している。
民の自由を尊重するあまり、皇族の権威を揺らがせた結果滅んだ前王朝、暁。その前王朝に倣おうとした先帝の轍を踏むまいと、父が慎重に民を管理することを心がけているのは、これまでの行動から見て取れた。
飢えた民は、錚雲から穀物が入ってくることを、諸手を上げて歓迎していた。
だが、異国からの主食物の大量の流入は、下手をすれば自国の農業を破壊し、経済に大打撃を与えかねない。遠珂自身もそれを危惧していたと、取調室で穏翊は述べていた。
かと言って、その流入を妨げることも出来ない。礼国内で食糧が足りていないのは、紛れもない事実だ。そんなことをすれば、国に不満を持つ民が、分かりやすい「英雄」である温家を担ぎ上げ、反旗を翻すかも知れない。ゆえに、何もかもが本格化する前の「今」、父帝は手を打ったのだ。
隣国からの米は手に入れつつ、反逆の旗印になりかねない温家は滅ぼす。錚雲との交易はあくまで、国が、父帝が、その主導のもと、厳重に管理する。
その形を完全なものにするために、今回の事件は仕組まれたのだ。
父帝は不機嫌そうに眉を顰め、無言で澄蘭を見下ろしている。
あの牢の中で抱いた疑問――なぜ澄蘭をすぐさま処刑しなかったかの答えにも、彼女は思い至っていた。
皇帝の娘を、正規の手続きを経ず葬ることもまた、民へいらぬ疑惑を生ませる契機となりかねない。
『女』の反乱を防げず、正しく裁くことも出来なかったと評され、皇帝として、父としての威厳を損ねてしまう。
皇太子妃の出産という慶事を、霞ませたくない思惑もあったのだろう。だが、それはあくまで、名門である彼女の実家への『配慮』だ。
父は、情に流されず、国の維持発展を至上とする人物だと、今回の件で痛感した。そんな父であればこそ、国の威信を揺らがすような決断は、決してしないだろう。
「……それは、困るな」
目線を伏せ、父帝は不意に苦笑いを浮かべた。
驚いて自身を振り仰ぐ息子たちを尻目に、寛いだように玉座に背中を預けた父帝は、澄蘭に改めて向き直った。
「――澄蘭よ。何が望みだ?」
澄蘭も内心の驚きを押し隠しながら、握り締めた拳に力を込める。
「先ほど申し上げた通りです。……温家の名誉の回復。願うのは、それだけです」
まだ言うのかと、二人の義兄が不愉快そうに顔を歪めているのが見える。しかし、父帝は小さく笑い、玉座の肘掛けに右肘をついた。そして笑みを引っ込め、鋭く細めた両目で、澄蘭をひたと見据える。
「──父と息子は拷問の末、罪を認めて死に、妻子は宮刑を受けた。傍系の処刑は、皇太子に世継ぎが産まれたために寸前で中止しているが、いつ再開されてもおかしくない。
……お前は簡単に言うが、ここまでの事態となった以上、どう収拾させるつもりだ」
確かに、ここまで大掛かりな罠を仕掛けた以上、周囲を納得させることは容易ではないだろう。事態をなかったことには出来ず、曖昧に誤魔化しても、別の誰かに累が及ぶかも知れない。
二日前、牢獄の中で陽葵の寝息を聞きながら、澄蘭は必死に考えを巡らせていた。
澄蘭は覚悟を決め、父帝を真っ直ぐに見つめた。
「──温家に恨みを持つであろう、行家の生き残りが陥れたことにするのはいかがでしょうか」
澄蘭のその言葉に、穏翊が険しい顔で立ち上がった。
「澄蘭……!」
「落ち着け、穏翊!」
怒りに震え、今にもこちらに殴りかからんとする穏翊を、直謙が慌てて取り押さえている。けれど、その表情もやはり苦々しい。
だが、そんな息子たちを意に介した様子もなく、父は澄蘭に「続けよ」と、淡々とした声で命じた。澄蘭も、義兄二人に目を向けることなく、言葉を続ける。
「かつて、温統業が秘密裏に行った調査によって罪を暴かれ、一族誅滅となった行家の者が、ひっそりと生き延びていた。
かの人物は、温家へ復讐するため、今回の事態を仕組んだものの、玄以鋭と影廠が全力でその者を突き止め、すでに処分した。これ以上の生き残りはいないと、今度こそ確認が取れている。
温家には同情の余地があり、その死は無念なことではあるが、付け込まれる隙を作ったことは事実であり、過酷な取り調べも仕方のないことであった。
──このように収めては、いかがでしょう」
ふん、と鼻を鳴らし、父は目を伏せ、何かを考えるような表情を見せる。耳が痛くなるような息詰まる沈黙の中、澄蘭は黙ってその姿を見守っていた。
背を幾筋もの汗が伝い落ち、上がりそうになる息を懸命に殺す。
やがて再び目線を上げ、父帝は澄蘭をひたと見据えた。




