三十三. 父との対峙(一)
皇帝の居所である、清寧殿。その北のはずれにあるこの一室には、腊月の低い陽の光は届かず、昼前とは思えぬほどの冷気が満ちていた。
澄蘭は玉座を仰ぐ板の間に一人、跪いて平伏し、父帝が姿を現すのをじっと待ち続けている。
当初、この部屋の脇にある小部屋に入るよう、澄蘭に命じた影廠の宦官は、集団の最後部にいた老女官を呼び寄せた。
彼女は戸惑う澄蘭を尻目に、無言で傍らに立ち、澄蘭の袖口や指先、懐や足元を執拗に検め始める。
「何をするの! ……どういうつもり?」
同性とは言え、抹胸の内部の胸元までまさぐられる不快感に、澄蘭は眉根を寄せて声を荒らげる。そうして、老女官を呼び寄せた宦官たち、その長と思われる男を睨んだ。
大きく広がってしまった彼女の襟元をニヤニヤと見つめる集団の中、中肉中背、色黒の肌に色素の薄い瞳をしたその宦官は、澄蘭の怒気を受け流すように肩を竦めて見せた。
「陛下は、貴女様との面会に、我々影廠の立ち合いを拒否された。陛下に万が一の事態が起こらぬよう、身体検査は厳重にさせていただく」
目を見開く澄蘭に構わず、女官は彼女が毒を仕込んだ可能性を疑ったのか、澄蘭の爪の先に視線を凝らす。両手の指先を引き、自身の腕を引っ搔くように爪を立てさせた。しばらく後、彼女は無言で首を振る。
皺に覆われたその顔はよく見ると、合間に垢が溜まり、痩せた頬は細かく震えている。彼女が女官ではなく、着飾らされた奴婢であることに、遅まきながら澄蘭は気付いた。
澄蘭が皇帝に害をなすようなことがあれば、簡単に責任を押し付け、処分出来る人材を選んだのだろう。咄嗟に彼女を引きはがし、襟元を掻き寄せ、澄蘭は怒りに頬を震わせる。
澄蘭の怒りには頓着せず、配下に命じて面会用に設けられた一室へ彼女の身体を押し込みながら、その宦官はせせら笑うように告げた。
「陛下は間もなくいらっしゃいます。中でお待ちください。──我々は正面の入り口前で待機しております。くれぐれも、お立場を弁えられますよう」
無理矢理肩と頭を押し付ける宦官たちには敢えて逆らわず、澄蘭はその場に跪いた。
そんな彼女に嘲笑を投げつけ、女官に扮した奴婢の腕を引き、影廠の一団は部屋から去った。
しんと静まり返った空間で、澄蘭はひたすらに平伏し続けていた。
やがて、板張りに直に跪いた足が痺れを訴える頃、彼女の耳は複数の衣擦れの音を捉えた。嗅ぎ慣れた沈香のにおいが広がったことに気が付き、澄蘭は思わ苦い表情を浮かべる。義兄たちまで同席するとは思わなかった。
澄蘭は黙したまま硬い床に膝をつき、入室してきた人物の言葉を待つ。裙越しに伝わる板張りの床の冷たさが、肌を突き刺すようだった。
「罪公主、澄蘭。……愚かな我が娘よ。申し開きがあるのならば聞こう」
ようやく発せられたその声は、親子の情など微塵も感じさせぬ、淡々としたものであった。
単刀直入なその言葉に、澄蘭はこわばった喉を動かし、掠れた声で応じる。
「……ございません」
彼女の返答に機嫌を損ねたように、父帝──大礼国第五代皇帝・蘇 冽然は、ふんと鼻を鳴らした。彼はそのまま冷ややかな声で、「面を上げよ」と吐き捨てる。
礼を述べ、澄蘭は身体を起こした。
(遠目には幾度も見かけていたけれど、これほど間近に見るのは初めてね……)
父の面差しを、不敬と謗られない程度に澄蘭はじっと見詰める。彼の背後には皇太子の直謙、第二皇子の穏翊が控えており、どちらも似た表情で澄蘭を睨んでいる。
礼国の皇帝にのみ許された、五爪金龍の刺繡が施された明黄の衣。その衣装に程よく鍛えた身体を包み、僅かに白いものが混じり始めた髪に冠を載せた父帝は、つまらない芝居でも見るような目で澄蘭を見据えている。
その視線のあまりの冷たさに内心気圧されながら、澄蘭は口を開いた。
「……申し開きはありません。ですが、父皇に話があって参りました」
「……ほう?」
僅かに首を傾げ、父帝は澄蘭を玉座の上から見下ろす。地に指をついたまま、澄蘭は父を見上げた。
「父皇様に申し上げます。国賊の汚名を着せられた温家の名誉を、回復してください」
色をなして立ち上がったのは、長兄である皇太子の直謙だった。彼は鎧のような筋肉に覆われた身体を怒らせ、鋭い声で吠える。
「澄蘭、貴様! 気でもふれたか⁉ 何を言い出すかと思えば……!」
「直謙」
冷ややかな声で、背後を振り返ることもなく息子の名を呼び、父帝は澄蘭をじっと見据える。澄蘭は震える拳を袖の中で握り締め、父帝を睨み返した。
「穏翊殿下はおっしゃいました。……温家を引き込むことが出来ず、反逆者に利用されることを危惧した父皇様の命で、彼らを罠に嵌めたと。私が皇太子位に野心を抱いているように偽装し、それに呼応した温忠業が長兄殿下を害そうとしたと、ありもしない罪をでっち上げたと。そもそも、私と彼の婚約も、その策略の一環であったと。
──温父子は、拷問の末の獄中死と発表されていますが、それは事実なのでしょうか?」
彼女の問いには答えず、父帝は左目を眇めた。不愉快そうなその様子に、澄蘭は背に冷や汗を浮かべながら、懸命に表情を取り繕い一息に続けた。
「彼らが真の忠臣であったこと、邪な企みなど抱いていなかったことは、父皇様が何よりご存じのはず。
彼らに不当に課された逆賊の汚名を、今すぐに雪いでいただきたいのです。……受け入れられぬとおっしゃるのならば、この件を速やかに、公の場で訴えます」




