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【番外編】



 俺たちは、時間の流れが最も歪んでいる場所――「時間の淀み」の中心を目指して歩き出した。


 俺はかつて時の加護を受けていた。だから、この静止空間中でも動けている。

 しかしこの元勇者は、そうではない。だというのに、時間停止の影響を受けていない。


 常人ならば、ここで『なぜ』と問うだろう。しかし俺はそんな無駄なことはしない。

 なぜならローレンスとは、そういう男だからだ。理外の存在だからだ。

 何者にも影響を受けない者、それがこの超勇者なのである。


 さて。俺たちがやってきたのは、村の奥にある、古びた教会。

 近づくにつれて、空気が重くなっていくのが分かる。

 音がない。

 色すらも彩度を失い、まるでモノクロームの古い映画の中にいるような錯覚を覚える。


 ズキリ。

 俺の右目が疼いた。

 かつてそこに宿っていた神眼が、同質の力に共鳴しているのだ。


「あそこだ」


 俺が指差した先。

 教会の礼拝堂の扉は開け放たれていた。

 中へ足を踏み入れると、ステンドグラスから差し込む光の中で、無数の埃がキラキラと輝きながら静止している幻想的な光景が広がっていた。


 そして、その祭壇の前。

 一人の幼い少女が、膝を抱えてうずくまっていた。


「あの子は……ミナちゃんか?」


 ローレンスが息を呑む。


「知っているのか?」

「ああ。最近、隣の廃村から逃げてきて、この村で保護した身寄りのない子だ。人見知りが激しくて、いつも怯えていたが……」


 俺たちの足音に気づいたのか、少女――ミナがビクリと肩を震わせた。

 彼女がゆっくりと顔を上げる。


「こ、来ないで……っ!」


 悲痛な叫びと共に、彼女はこちらを睨みつけた。

 その右目。

 俺は確信する。


 彼女の右目は、透き通るような黄金色に輝いていた。


「間違いない。あれは『時王の神眼(クロノ・サイト)』だ」

「なっ……!? だ、だが、あれはもうこの世に存在しないはずじゃ……」

「突然変異か、あるいは隔世遺伝か。いずれにせよ、封印されたはずの力が、彼女の中で『開花』してしまったんだ」


 ミナの瞳からは、大粒の涙がこぼれ落ちていた。

 だが、その涙さえも頬を伝う途中で静止し、水晶玉のように張り付いている。


「ごめんなさい……ごめんなさい……っ! 私が、怖がったから……みんな、動かなくなっちゃったの……!」


 彼女は泣きじゃくっていた。

 どうやら、意図して時間を止めたわけではないらしい。

 新しい環境への不安、孤独、あるいは「この穏やかな時間が壊れてほしくない」という切実な願い。

 そうした感情の爆発がトリガーとなり、制御不能な力として周囲を飲み込んでしまったのだ。


 彼女を中心に、拒絶の波動が広がっている。

 不用意に近づけば、俺たちの時間さえも凍結させられるだろう。


「ど、どうすればいい! このままじゃ、村のみんなは……それに、あの子自身も!」


 ローレンスが焦燥の声を上げる。

 時間の停止は、術者の生命力をも削る。

 このまま暴走を続ければ、彼女の命が尽きるか、あるいは村全体が永遠の時の牢獄に閉ざされるかだ。


「落ち着け。止められる」


 俺は静かに告げ、一歩前へ出た。


「この世でただ一人、元・所有者である俺だけが、あの領域に干渉できる」


 俺は少女の拒絶――物理的な時間の壁を、かつての経験則と魔力操作ですり抜けながら、ゆっくりと近づいていく。

 肌を刺すような時間の歪みを、意思の力でねじ伏せる。


「大丈夫だ。怖くない」


 俺は武器を持たず、両手を広げて彼女の前へと歩みを進めた。



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