三十九、次の居場所
そして次の日、私たちはここを発つことにした。
「女将さん、お世話になりました。僕たちはもう発ちますので、勘定をお願いします」
朝食を終え、膳を下げに来た志津に、城田さんがそう言った。
「おやまあ、もう発たれるんですか」
「ここにいては、ご迷惑がかかりますし、早い方がいいと思いますので」
「どこか行く当てはあるんですか」
そう訊かれ城田さんは黙っていた。
「行く当てもないのに、どうやって逃げるというんですかねぇ」
志津は、私たちが逃げていることを見抜いていた。
「あなたたちさえよければ、私ら夫婦の知り合いのところへ行きませんか」
「と、申されますのは・・」
「いえね、昨晩、夫と話をしたんですがねぇ、知り合いのお坊さんがいるんですよ。どうですか、寺へ行きませんか」
「お寺ですか・・」
「そこなら誰も追って来やしませんよ」
「水樹さん、どうしますか」
城田さんが私に訊いた。
「私は城田さんにお任せします」
「そうですか。わかりました。女将さん、ぜひ、ご紹介いただけますか」
「はい、承知しました」
「ご迷惑をおかけし、申し訳ありません」
城田さんは手をついて志津に頭を下げ、私も同じようにした。
「よしてくださいよ。頭を上げてくださいな」
私たちが頭を上げると、志津はニッコリほほ笑んでいた。
「それから、お勘定の心配はいりませんのでねぇ」
「えっ・・それはいけません。お支払いします」
「いえいえ、ほんとにいいんですよ。こちらのお嬢さんに手伝いまでさせて、反って申し訳なくてねぇ」
「そんな、あれは私が勝手にやったことです」
「いいんですよ。あ、ちょっと待っててくださいよ」
志津はそう言って部屋を出て行った。
「城田さん、どうしますか」
私は勘定のことを言った。
「当然、払います」
「そうですね・・。なんか私、城田さんに甘えてばかりですみません・・」
「あはは。なにを言ってるんですか。水臭いことは言いっこなしですよ」
「はい・・」
「確かに寺だと、追っ手は来ないでしょうね」
「はい」
「そこで今後のことを、ゆっくりと考えましょう」
「そうですね」
「はいはい・・お待たせしました」
そこに志津が戻ってきた。
「これをお嬢さんに」
志津は、たとう紙を抱えていた。
「これなんですがねぇ、お嬢さんには少し地味かも知れませんが、よかったら持って行ってください」
志津は紙を広げて着物を見せた。
「おお・・これは小紋ですね」
城田さんがすぐに答えた。
その着物は薄い青地に、白の小さな斑点模様が鏤められていた。
「はい・・私の若い時のですから、反ってご迷惑かも知れませんがねぇ」
「女将さん、いいんですか・・」
私が訊いた。
「着替えもいるでしょうし、そろそろ寒くなってきましたしねぇ」
「ありがとうございます・・」
「さて、それじゃ、人力を呼びますから、お待ちくださいねぇ」
そして志津は、再び部屋を出て行った。
「人力って・・人力車のことですか」
私が訊いた。
「そうですよ」
そうなんだ・・この時代じゃ人力って言うんだね。
「力車とも言います」
「へぇ~・・そうなんですね」
「水樹さん」
「はい」
「いいものを頂けて、よかったですね」
城田さんは着物のことを言った。
「はい。なんか申し訳なくて。でもありがたいです」
「きっと似合いますよ」
「そうですか・・」
ほどなくして人力車が到着し、私たちは玄関まで行った。
「女将さん」
城田さんはそう言って、お金を出した。
「いえいえ、要りませんって」
志津は両手を振って、受け取るのを拒否した。
「そういうわけにはいきません」
「旦那様」
そこでお爺さんが口を開いた。
「志津は、こらちのお嬢さんが色々と手伝ってくれたことを、嬉しく思ってるんですよ。どうが汲み取ってやってくださいまし」
「・・・」
「それと・・まあ、なんですかねぇ、これからのお二人を思うと、ですね・・」
お爺さんは言いにくそうだった。
「めでたく夫婦になったら、またここへ来てくださいまし。その時にはきっちり頂戴いたしますんで」
お爺さんは優しく微笑んだ。
「そうですか・・。それではお言葉に甘えさせていただきます・・」
「あの・・本当にありがとうございました。このことは一生忘れません」
私と城田さんは揃って頭を下げた。
「ほらほら、早くお行きなさい。それと坊さんには私の名前、松五郎を仰ってくださいまし。そう言えばわかりますんで」
私たちはお爺さんに促され、外へ出た。
そして志津は、車夫に行き先を告げていた。
私と城田さんは並んで人力車に乗り、旅館を後にした。




