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カフヒーで始まった恋  作者: たらふく
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三十八、老夫婦




私たちは旅館を出て、別の宿泊先を探すのに横浜の街を歩いていた。

私は歩きながら、城田さんが旅に出て留守の間、店で起こったことを話した。

すると城田さんは、言葉を失って聞いていた。


「糸田は執念深い男ですね」

「そうなんです。なので、旅館に訪ねてきた男性というのも、糸田が差し向けた可能性もあります」

「確かに・・」

「私・・城田さんが酷い目に遭うんじゃないかと心配で・・」

「僕なら大丈夫です」


でも・・城田さんは糸田と戦っても敗北するって言ってたよね・・

どうして大丈夫って言えるのかしら・・


「なんですか」


私が心配して城田さんを見上げていると、城田さんはそう言った。


「いえ・・なんでもありません」

「僕が糸田に敗北すると言ったのは、会社としての規模の差を言ったまでです」


城田さんは私の心を見透かすように言った。


「僕は水樹さんを守ることくらいは、できるつもりでいるのですよ」

「いえ、私は別に・・」

「そうでなければ、あなたと逃げたりしません」

「・・・」

「水樹さん」

「はい・・」

「後悔してるんですか」

「え・・」

「僕と逃げたこと」

「いえっ!後悔なんてしてません。私は城田さんが心配なだけです」

「あはは。話が堂々巡りになりますね」

「そう・・ですね・・」

「もうこうなってしまったのだから、開き直りましょう」

「・・・」

「なるようになりますよ」


城田さんは本当に開き直ったかのように、明るく笑った。


城田さんの言う通りなのかも知れない。

今さらジタバタしたところで、どうなるわけでもない。

もう私は行動を起こしてしまったんだ。

それは城田さんも同じ。

それなら明るく笑って過ごす方がいいに決まってる。


「さて・・あそこに旅館がありますね」


城田さんは通りの端にある、建物を指した。


「そうですね」

「あそこへ行きましょう」


私たちはそこまで歩き、ほどなくして旅館の前についた。


「こんばんは」


城田さんが扉を開けた。


「いらっしゃいまし」


玄関の上り口で、老夫婦が座っていた。


「お泊りですかな」


お爺さんが訊いた。


「はい、空いてますか」

「空いてございます。志津(しず)、ご案内して」


お爺さんが、お婆さんに言った。


「はいはい、お二人さんですねぇ。どうぞ上がってください」


私たちは志津の後に着いて行った。

志津は曲がった腰に手を当てて歩いた。


「女将さん」


城田さんが志津を呼んだ。


「はいはい、なんでございますか」


志津は歩きながら答えた。


「食事はできますか」

「ああ・・えぇ」

「軽くでいいんです」


志津が口籠ったからか、城田さんは気を使ったようだった。


「はい、それならできます」

「お願いしますね」


そして私たちは一階の四畳半の部屋に通された。


「こんな部屋しかなくて、すみませんねぇ」


その部屋には床の間はあったが、たたみ半畳もない小さなものだった。


「もうねぇ、こんな年寄りがやってる旅館なんて、客が来やしませんでねぇ」

「そうですか。いい旅館ですよ」

「旦那様、お上手ですねぇ」


志津は顔をしわくちゃにして笑った。


「では食事の用意ができたら、持って上がりますねぇ」


志津はそう言って部屋を出た。

私は窓の障子を開けたが、向かいは路地だった。


「景色は見えませんね」


城田さんが私の後ろに立って言った。


「そうですね」


私はそっと障子を閉めた。


「あの、私、お手伝いしてきます」

「え・・食事のですか」

「はい!」


城田さんはニッコリと微笑んだ。


「あのお身体じゃ大変そうですし」

「あなたの気の済むようにしなさい」

「はいっ」


そして私は部屋を出て、玄関の上り口に座っているお爺さんに「調理場はどこですか」と訊ねた。


「え・・調理場ですか」

「私、お手伝いします」

「なにを仰るかと思えば、手伝いなどと・・」

「私たちがいきなり来て、女将さんも困ると思いまして」

「ははは。旅館ですからねぇ。いきなりも何も」

「とにかく、お手伝いしますので調理場を教えてください」

「そうですかぁ・・」


お爺さんは「よっこらしょ」と言って立ち上がり、「こっちです」と私を調理場へ案内した。

調理場では志津が、まな板で野菜を切っていた。


「女将さん、それ、私がやりますよ」

「おや・・」


私を見て志津は唖然としていた。


「ほらほら、貸してください」


私は包丁を志津から取り上げ、白菜を切った。


「これをどうするんですか」


私は志津に訊いた。


「ちょっと・・お客さん、なにをしてるんです・・?」

「お手伝いですよ」

「あはは、お客なのに手伝うんですか。呆れますねぇ」

「ま、いいじゃないですか」


その実、私は四畳半という狭い部屋で、城田さんと二人で居るのが恥ずかしかった。

それと・・やっぱり怖くもあった。

いつかは、そうなってしまうのはわかっている。

でも私はまだ、心の準備ができていなかった。


それから私は志津に料理の指導を受け、野菜の煮物、焼き魚、漬物、みそ汁を膳に並べた。


「ああ、そうそう」


志津はそう言って、棚から袋を取り出した。


「これねぇ、頂いたんだけど、私らには贅沢品だし作り方もわからないんですよ」


志津から袋を受け取ると、中にはコーヒー豆が入っていた。


「あ、これ、カフヒーの豆ですね」

「そうそう、カフヒーと言ってましたよ」

「私、作り方知ってますので作りましょうか」

「ええっ・・お嬢さん、知ってなさるのかね」

「はい」


そして私は豆を煎り、すり鉢で豆を潰し、それを湯で沸かしてコーヒーを作った。


「女将さん、出来ましたよ」


私は湯飲みにコーヒーを入れて、志津に渡した。


「おやおや・・」


志津は一口、含んだ。


「まあまあ・・これがカフヒーというものですか」

「味はどうですか」

「うーん・・私には苦いですかねぇ」


もちろん砂糖は入れてあるが、志津は初めて口にする飲み物に違和感を覚えたようだ。


「お客さんにこれを出したら、喜ばれますよ」

「そうですか。ありがとうねぇ」


私と城田さんは食事を終え、コーヒーも飲んだ。


「ここで、水樹さんの淹れたカフヒーが飲めるとは思いませんでした」


城田さんはとても嬉しそうにしていた。


「あはは。私もまさか作るとは思いませんでした」


食事を終えて一時間ほどが過ぎた時だった。

なにやら、玄関の方で大きな声がした。


私と城田さんは部屋の障子を開け、その声を聞いた。


「城田の若旦那と、水連亭の水樹って女だよ」


男の低い声が聞こえた。

私と城田さんは思わず顔を見合わせた。


「そう申されましても、知らないものは知らないですよ」


お爺さんがそう言った。


「若くて背の高い男と、女も若くて背は中くらい。男は紺色の着流し。女も紺色の浴衣。どうだ、来てないか」

「そんな人、来てませんよ」

「あなたねぇ、こんな潰れかけの旅館にどこの若い方が来られると仰るかねぇ」


志津がそう言った。


「隠し立てすると、ためにならないぞ」

「なにを理由に隠し立てすると仰るんですかねぇ」

「まあいい。また来る」


どうやら男は出て行ったようだった。


「誰かわかりませんが、僕たちをしらみつぶしに探しているようですね」

「そうですね・・」


こんな小さな旅館にまで来るとは・・

この町でとどまっていると、いずれは見つかる。


「お二人さん・・」


そこに志津がやってきた。


「女将さん・・」


私が呟いた。


「あなたがた・・訳ありみたいですねぇ」


私たちは黙っていた。


「心配いりませんよ」


志津は優しく微笑んだ。


「女将さん、申し訳ありません」


城田さんが頭を下げた。


「わたしら夫婦は、これでも伊達に年を取ってきたわけじゃないですからねぇ。あなたがたを見れば、どんなお人かわかりますんでねぇ」

「・・・」

「また来ても追い返しますんで、どうぞ安心しておやすみください」

「ありがとうございます・・」


私たちは同時に礼を言った。

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