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第55話 そして時は再び、動き出す

「ザカリアの怒りが凄まじかったんだろうねえ。エネルギーがかなり強かったから、魔術を使わなくても感知出来ちゃったんで、一体何事かと見に来たんだよ」


 腕を組みながら、オーギュスト公がじろりとノイエッタ嬢を睨みつける。

 その彼の言葉を証明するかのように、いつの間にか、ヴァネッサさんを始めとする魔族スタッフの大半が部屋の入口に集まっていた。感知した訳ではないのだろうけど、執事さんの姿もある。皆、私達の前にある砂の山が、オーギュスト公の話でザカリア様であることを知り、ショックを受けているようだった。


「ゼーレ様、どうかお慈悲を……」


 『魔王』の登場に怖気づいたのか、一転して弱気な態度になったノイエッタ嬢が、膝をついてオーギュスト公に懇願する。

 しかし公は、汚らわしいものを見るような眼で「僕さあ、行儀が悪い女ってほんと嫌いなんだよね」と一蹴した。


「レナードの娘だからと、ある程度大目に見てきたけどさ。こんなことになっちゃって、これ以上慈悲も何もないよね」

「そんな!!わたくしはただ、弱体化しつつあるヴァンパイア族にかつての栄華を取り戻そうと――」

「それはさ、別に誰かに命令されたとか、そういう訳じゃないんでしょ?ザカリアがリンディール家の当主になったら、君は居場所がなくなるから、自分の思い通りに出来る玩具モノが欲しかっただけでしょ」


 オーギュスト公の追及が図星だったのか、ノイエッタ嬢がぐっと言葉に詰まって視線を泳がせる。今更何をどう取り繕っても、彼女が挽回出来るような隙など無いような気がした。味方をする人も、同情する人も、ここには存在しない。


「これが、魔族としては衰退の一途を辿りつつあるウィランバルじゃなくて――どうせなら成り上がってやろうと、このオーギュストを狙うくらいの気概があれば、君は物凄くいい女に見えただろうにね。残念だよ」


 不自然なほど大げさな身振りと口振りから、公が残念だなどと微塵も思っていないことは明白だった。仮にノイエッタ嬢が彼の言う通りにしていたとして、それを受け入れるような真似は、オーギュスト公は決してしないだろう。

 長く一緒にいた訳じゃなくても、私は彼の性質のようなものを何となく理解し始めていた。だからこそ、強く感じる。ノイエッタ嬢に向けられている、静かな、しかし深く激しい憤りを。


「さて、そろそろいいかな」


 ふう、と一息ついたオーギュスト公が、その指先を宙に滑らせて何か描くような仕草をしてみせる。するとノイエッタ嬢の後ろの空間に赤い閃光が斜めに走り、火山口を覗き込んでいるような灼熱の光景を湛えた裂け目が姿を現した。そこから漏れ出る熱気が伯爵の私室にじわじわと広がり始め、私達の額に微かに汗が滲み始める。


 ノイエッタ嬢は振動する機械の中に入れられているかのようにガタガタとおののき始め、そんな彼女にオーギュスト公はにっこりと笑いかけると、右手を顔の高さまで上げ、その指先をぱちんと鳴らした。


「さ、まずは僕の可愛いオルトロスに、百万回引き裂かれておいで」


 彼がそう言った瞬間、その裂け目から黒く毛深い巨大な獣の足が現れ、鋭い爪をノイエッタ嬢の肌にざくりと食い込ませた。耳をつんざくような悲鳴が辺り一面に響き渡る。されどそれは、彼女が裂け目の向こうに引き摺りこまれたことですぐに聞こえなくなった。


 何ヶ月か魔族の城で暮らしてきて、ファンタジー的要素にはある程度慣れたつもりでいたけれど、ここまで現実離れした現象を目の当たりにするのは初めてで。

 伯爵にそっと肩を撫で擦られながらも、私はしばし呆然としていた。


 指先に微かに残る砂を見てふと我に返り、再びこみ上げてくる涙を、唇を引き結んで耐える。すると伯爵が私を抱き寄せ、慰めるようなキスをこめかみに落としたので、私は少しの間、声を立てずに泣いたのだった。


「大丈夫、肉体は砂になってしまったけど、ザカリアの魂は無事冥界に送られたよ」


 空間の亀裂を跡形もなく閉じ終えると、オーギュスト公は全員の耳に届くようにしっかりとした発声でそう告げた。安堵の溜め息があちこちから聞こえ、涙する者あり、お悔やみを口にする者あり、それだけでも弟君が悪く思われていなかったことがよく分かる。


 遺灰とも呼べる弟君の砂は、オーギュスト公の魔術も使って一粒残らず丁寧に集められ、ウィランバル家でも特に価値の高い骨董品の中に収められて、リンディール家へと届けられることになった。ノイエッタ嬢のこともあるから、葬儀が執り行われるかどうかは分からない。間もなく真実を知ることになるだろう御両親の胸中は察するに余り有るため、しばらくは様子を窺うことになりそうだ。

 この世界では『喪に服す』という習慣がないし、そもそもザカリア様は血縁ではない、けれどももう少し落ち着くまで挙式は控えたいという私の申し出を、伯爵は快く受け入れてくれた。


 この後、彼は強引に、「式は延期するが、せめてミオと寝室を共にするのを認めて欲しい」と執事さんに迫ったのだけれど。

 延期の理由が理由だけに、執事さんも渋々ながらこれを承諾してくれたので、親子で同室だったマディがライラの所に移り、私が伯爵の私室でやすむ日々が始まった。


 こうして、私達の胸に大きな傷痕を残しながらも――婚約に纏わる最大の懸念事は、決着の刻を迎えたのだった。

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