第56話 妹といたい、痛い兄
「ねえ、週に一度は必ず帰るようにするから、もういいでしょう?」
「いいや、こればっかりは譲れない」
さっきから、似たようなやり取りを彼らは何度繰り返しているのだろう。
伯爵も半ば飽き気味の様子で座している玉座の前で、ずっと押し問答を続けている姉弟がいる。ライラと――その兄上のヴェインさんだ。
執事さんの迅速な手配により、三日前に無事、ライラの家族はウィランバル領内に引っ越して来ることが出来た。
そして、お城までは多少あるものの歩けない距離ではないため、ライラは少し悩んだけれど、結局は移動の手間を考えて『お城に残り、時々帰る』スタイルを選んだ。
すると何と、『一家を代表しての挨拶』という名目でお城を訪ねてきたヴェインさんが、「自分もここで働かせろ」と迫って来たのだ。理由は、『最愛の妹と二度と離れたくないから』!
「申し訳ございませんディアス様、どうか兄の言うことは聞き流してくださいませ」
「何を言っているんだライラ、そこは伯爵に俺を売り込むべきところだろう?」
「だって兄さんのセールスポイントが分からないわ!」
「何だと!?幾らでもあるだろう!」
傍目に見ている分には仲睦まじいし面白くもあるけれど、当人達にとっては大変らしい。ライラの素の表情を見られるのは嬉しく、同時に同情もせざるを得なかった。とにかく、ヴェインさんの溺愛っぷりが凄いのだ。
ライラがお城に連れて来られてからしばらくの間、ヴェインさんの喉は悲しみのあまり食べ物が通らず、一時は生死の境を彷徨ったらしい。
御両親の献身的な看病や励ましもあり、奇跡的に何とか快復したけれど、彼の喪失感はそう易々と埋められるものではなく。
『このままでは再び命が危うくなる』と体力を取り戻すためのトレーニングを医者に勧められ、呆然自失のままそれを何となく続けているうちに、彼はある日ふと思い立ったらしい。
魔族の城に乗り込めるくらい強くなって、妹を奪還すればいいのでは?と。
結果として、そんな危険を冒す必要はなくなった訳だけれど。
このままお城で働き続けたいという妹の意思を尊重するから、妹の傍にずっといたいという自分の意思も尊重してくれとヴェインさんは主張するのだった。
「兄さんが私を大事に思ってくれているのは本当に良く分かってるから……お願いだから、ここにいる皆さんをこれ以上困らせないで」
「困らせるようなことはしていない。人足として名乗り出ているんだ、有り難がられこそすれ迷惑ではないだろう」
「それ、本気で言ってるの……?」
ライラが悲鳴に近い声を上げながら両手で顔を覆う。
ヴェインさんは、造形は決して悪くないのに、思考回路がちょっとアレな人のようだった。おまけにライラの話では、彼はこれまで売れない小説家として実家の財産を食い潰しており、家事は勿論、力仕事もほぼ出来ないとのこと。『残念なイケメン』の要素が揃い過ぎている。
伯爵はどう思っているのかしらと、ちらりと視線を向けてみれば、さすがの彼も顔に貼りついた苦笑がなかなか消せないようだった。ヴェインさんの申し出はあくまで妹思いの延長上にあり、決して悪気がある訳ではないから、無碍にも出来ないのだろう。
「伯爵様、確かに俺は炊事や洗濯は不得手ですが、文章を書くことは得意です!」
「ここにそんな仕事ないわよ、招待状なんかは文面が決まっているし」
とにかくやる気に満ち満ちている兄と、それを何とか退がらせようとする妹。
個人的には、この家の都合で身を引き裂かれるような苦痛を味わった、ある意味被害者とも言える彼だからこそ雇ってもいいのでは?と思うのだけれど。役割という点で、彼に相応しい業務がこの城にあるかと言えば、かなり難しかった。
すると、これまで黙って成り行きを見守っていた執事さんが口を開く。
「書架係、というのはどうでしょう?」
「――書架係?」
その場にいた全員が声を揃えて訊き返した。それを受けて執事さんが頷き、説明を始める。それは今現在このお城には存在しない、新しい役割の提案だった。
「当家には、娯楽としての書物があまり多くありません。働く者達が休憩時に気軽に手に取れるような本が、もう少しあってもいいのではと。ヴァネッサの子どもが生まれたら絵本も必要になりますし――いっそ、図書室のような部屋を設けて、ヴェインさんにそこを管理していただいてはどうでしょう?」
執事さんの見事なプレゼンに、ヴェインさんの顔がぱあっと明るくなる。
「――そこに、俺の出版した本も置いていいですか!?」
「ええ、構いませんよね?ディアス様」
流れるように同意を求められ、伯爵もとうとう肚を決めたようだった。
「そうだな――では、正式に、このウィランバル家の書架係に任命しよう」
「ありがとうございます!」
歓喜のあまりヴェインさんがライラに抱きつき、ライラがそれを何とか振り解こうと身体を揺すりながら頭を下げる。
「本当に申し訳ありません……!度重なる御温情、心から感謝いたします」
「……兄貴の手綱は、しっかり握っておいてくれ」
「勿論です!」
彼女の返しがあまりに力強かったので、私も伯爵も執事さんも、吹き出さずにはいられなかった。つい先週、悲しい姉弟の葬送があったばかりなので、情を感じられる関係にほっとする。お兄さんの愛が重過ぎて、ライラはちょっぴり大変そうだけどね。
ヴェインさんは(失礼ながら、曲がりなりにも)小説家というだけあって、面白い娯楽作品を沢山知っていたため、さほど日数が掛からずに充実した図書室が紅夜城に出来た。
しかも全然売れていなかったという彼の著書は、ヒウムの日常や文化に触れられるという点で、魔族の皆さんの中では思いのほか流行し。
逆に彼は、お城の中の出来事をモデルにファンタジーを書き上げ、一年も経たないうちに人気作家の仲間入りを果たすのだった。確か、特にヒットしたのは、ヒウムの娘とヴァンパイアの伯爵の恋物語だったかしら?




