第41話 だから、止まない嵐はない
会場中が、大きくざわついた。
「どういうことだ」というような声があちこちから聞こえる。
ノイエッタ嬢が派手に振り撒いた種は瞬く間にホール全体に広がって、皆に動揺や疑心を植え付けた。喜びと驚きが入り混じっていたリズ達の表情も、今は混乱と戸惑いの色にすっかり塗り替えられている。
こんなタイミングでどういうつもりなんだと、反射的にノイエッタ嬢に強い視線を向ける。されど伯爵は極めて冷静に、「想定の範囲内だ」と耳打ちしてきた。
「……全ての質問に答えやすくなりますので、まずそこからお話しいたしましょう」
まるで全てが織り込み済みであったかのような余裕を以て、伯爵がホール全体をゆったりと見渡しながら話し始める。
「私は純血のヴァンパイアではありません。ヒウムと、ヴァンピールとの、混血です」
彼は、ウィランバル一族にヒウムの血が入ることになった時から、本日に至るまでの経緯を、包み隠さず、丁寧に語った。
中には私が初めて耳にする情報も勿論あった。
曾お爺様はヒウムの奥様を娶ったけれど、純血であったので、吸血行為を止めたが故に衰弱していき、ヒウムの平均寿命よりも早く亡くなったこと。
そうして早くに爵位を継いだお爺様は、ヴァンピールとして生まれながらも吸血衝動が非常に薄かったため、生贄の血を必要としなかったこと。
お父様の代からは記憶を消す能力もなくなり、ヒウムとさして変わらない状態になったけれど、友好関係が築けていない種族が少なくなかったため、まだ事情を伏せておく必要があったこと。
「まあ、御家存続のためと言われれば、全く分からないでもないが……」
「不必要な生贄を取っていたというのはねえ……」
打ち明けられた真実に難色を示したのは、どちらかというと古くから付き合いのある面々のほうだった。今まで互いに緊張状態にあった種族の代表達は、恐らく我が身に置き換えて色々思うところがあるのだろう。
「お分かりになりまして?皆様。ウィランバル伯は、純血のふりをして私達を欺いていましたのよ!力が無いことが知れ渡ると爵位を剥奪されかねないので、黙っていたんですわ」
ノイエッタ嬢がさらなるネガティヴキャンペーンで駄目押しをしようと声を上げる。
手に入らないと分かったら、こんなに振り切った行動に出られるものなのか。ウィランバル家を、ディアス様を悪役に仕立て上げようとしているけれど、私には彼女のほうこそ悪役にしか見えない。
そして昔馴染みのゲストの中にも、同じように感じた人がいたようだった。
「可笑しなことを仰るお嬢さんねえ」
上品な若草色のドレスをお召しの御婦人が、口元にあてた扇の下でくすりと微笑った。面識のなかった私に、すかさず伯爵が「メラニー夫人だ」と囁く。先程まで彼がダンスの相手を務めていたという、その方だ。私の記憶によればウィランバル家とは長年親交のあるダークエルフの一人で、御主人は昔に亡くされている。
「伯爵が欺いていたというなら、事情を知っていて黙っていた貴女も同じでしょう。『私達』という表現は正しくないわね」
冷ややかな眼差しに射竦められ、ノイエッタ嬢が再び開きかけた口を噤む。
私は今や第三者の立場からものを言える人間ではないので、いいぞもっと言ってやれと心の中で密かにメラニー夫人を応援していると。
「まあまあ、それくらいで」
ホール後方の大きな扉の辺りから、あまり若くはない男性の朗らかな声が響いてきた。
「私の代できちんと整理しておかなかったのが悪いんだ」
ぽりぽりと後頭部を掻きながら前に歩み出てくる、ロマンスグレーに同じ色の口髭の紳士。その優しい黒曜石の瞳と目が合った瞬間に、私の胸はとくんと高鳴った。
もしかすると、もしかして。
その思いを裏付けるように、オーギュスト公が「何だ、来ていたのかジーク」と近付いて行く。
「昨夜急に、レオンに喚ばれましてね。何やら出番があるかもと――『魔族ではないもので』馬車を急がせても、パーティーには間に合いませんでしたが」
ノイエッタ嬢をちらりと見やりながら、肩を竦める仕草をしてみせる父上・ジークハルト様。そのチャーミングな様子に思わず伯爵のほうを窺うと、どうも彼は聞かされていなかったらしい。唇を薄く開けて、驚いた顔をしていた。
オーギュスト公が続けて、ジークハルト様の斜め後ろに控えている、美しい金髪の御婦人に声をかける。
「久しいな、ステラ」
「ふふ、ゼーレ様もお元気そうで」
なぜか「ステラ様!?」「この方が!?」と、旧知のゲスト達が口々に言いながら目を丸くしている。
ああ、伯爵夫人がヒウムだということを隠すために、今まで人前に出ないようにしていたのかしら。そんなことを考えていると、ステラ様がスカートをふんわりと摘まみ、それはそれは優美なお辞儀を披露した。
「お初にお目に掛かります、の方が多いですわね。私はステラ・ウィランバル、ジークハルトの正式な妻にございます」
「貴女が……!」
口元をほころばせて彼女に近寄って行ったのは、先程のメラニー夫人だ。
「社交の場は他の方が代わりに出ていらしたけれど、私がお手紙でやり取りしていたのは貴女ね?」
「ええ、そうですわメラニー夫人。こうして直接お話出来る日が来るなんて感激です」
「私もよ!ああ、これで『ウィランバル夫人』がいつもパーティーだと妙に静かでいらした理由が分かったわ」
長い年月を超えての対面を果たした御二方は、揃って声が弾み、とても嬉しそうだった――しかし。
「ちょっと!皆様、こんな横暴を受け入れると仰るの!?」
そこに水を差したのは、またもや懲りないノイエッタ嬢だった。
「リンディール家はあくまで純血を保って参りましたから、同じように思われたくなかっただけですわ!好きこのんで黙っていた訳ではありません」
弱みにつけ込んでこの城を乗っ取ろうとしていたくせに、手のひらを返すような態度に、いっそ清々しささえ覚える。
まあ、このぶんなら私が出しゃばらなくても勝手に自滅してくれるだろうと、彼女を生温い目で眺めていたら。
「――僕も黙っていた一人なんだよね、『好きこのんで』」
さっさと決着を付けたかったらしいオーギュスト公が、凍てつくような眼差しでもってノイエッタ嬢の前に立ちはだかった。
「もし同罪だと言うのなら、このゼーレ・フォン・オーギュストの爵位は誰が剥奪するのかな?」
そう言って彼がぱちんと指を鳴らすと、何と――ノイエッタ嬢の姿が、その場から跡形もなく消えてしまったのだった。




