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第37話 青天の霹靂

 ホールへと続く扉が大きな音を立てて開かれ、人々の視線が一斉にこちらに集まった時。

 ワイングラスを手に歓談していた人々の中に、十五、六歳くらいの、ヒウムと思われる青髪の少年が混ざっていることに気付いた。


 年齢的に飲酒がちょっと気になったのと(まあ、この世界にはそれで罰せられるような法律はないんだけれども)、見た目の若さに似つかわしくない貫禄のようなものが、私を惹きつけた。

 晩餐会のゲストに関する資料の中に、彼と思わしき人物の詳細があっただろうか?と記憶を辿っていると、何と伯爵が私を連れて真っ先にその少年に近付いて行き、驚くべき台詞を口にする。


「オーギュスト公、彼女を紹介させていただいても宜しいでしょうか?」


 動揺のあまり、目を見開いて伯爵のほうを見てしまった。すると、オーギュスト公と呼ばれたその少年がぷっと噴き出し、ケラケラと声を立てて快活に笑う。


「ディアス、さては僕のことをその女性ひとに話してなかったね?」

「は……その、『器』に関しましては」


 伯爵が畏まった様子で頭を下げる。

 何が何だか分からないけれど、私もとにかく伯爵と組んでいた腕をそっと離し、あまり広がらないスカートの上のほうを摘まんでお辞儀をした。


「お会い出来て光栄です、公爵様。ミオ・トウドウと申します」


 先程までとは全く違った種類の鼓動が私の身体を支配する。


「やあ、ミオ。カーミラのドレスのはずなのに、カーミラよりよく似合っているね。おっと、こんなことを言ったら冥土で彼女が怒るかな」


 オーギュスト公は気さくな印象のする微笑みを見せると、吸い込まれそうな菫色の瞳で私をじっと見つめてきた。品定めをされているような感覚に、緊張が走る。

 やがて彼は、ふうん、と何やら頷いた後、私の耳元で囁いた。


「君は、不思議な匂いがするね――まるで、この世界の者じゃないみたいだ」


 ぞく、と鳥肌が立った。それは小声ながら、伯爵の耳にもしっかり届いていたようで。

 僅かに彼の眉が動いたのをオーギュスト公は見逃さず、「ちょっと、あっちで話そうか」と私達を人の少ない壁際へ誘導した。


「図星みたいだね」


 天鵞絨ビロードのカーテンを捲って外を眺めながら、オーギュスト公が嬉しそうに言った。


「ということはだ、ミオ。きっと君が、僕が探し求めていたひとだ」


 高校生くらいの少年のような見た目から、歯の浮くような台詞が、しかも恋人の前で吐き出されたので、何とも言えない居心地の悪さに顔が引き攣りそうになる。平静を装って「どういうことでしょうか?」と尋ねると、彼の唇が悪戯っ子のように歪んだ。


「――この世界と、別の世界……多分、君のいた世界。それらを繋ぐゲートを開けたのは僕なんだよ」

「……!!」


 オーギュスト公が事もなげに明かしたその事実は、私にとっては他に匹敵するものが思いつかないくらいの衝撃だった。

 全ての、始まり。

 何がどうしてそうなったのかは分からないけれど、どうやら私は意識のないうちに、この人の力によってこの世界に転移されたようだ。


 もしもオーギュスト公が再びゲートを開いたら、私は元の世界へ帰れるのかも知れない。

 だけど、それが出来るかどうかを訊く気も、お願いする気もなかった。私はここで伯爵と共に生きていくと決めたんだから。


 しかし、私の帰りたい・帰りたくないという意思は、そもそも関係のないことだった――私をこの世界にんだ『魔王』、ゼーレ・フォン・オーギュスト公爵にとっては。


「ねえ、ディアトリス!」


 オーギュスト公が突然、彼のお世話係として付いてきた、秘書のような立場の女性を呼び寄せた。

 レトロな細工のモノクルに、胸元がはち切れそうなベージュのナイトドレスを身に着けた彼女が、「いかがなさいましたか、ゼーレ様?」と近付いてくる。

 そうしてディアトリスさんが公爵と並ぶと、何だかイケナイ関係に見えてしまって、私は頭の中からそんな雑念を追い出そうと必死になった。


「新しい愛人を迎えてもいいかな?」


 見た目に囚われてしまうと周りが卒倒してしまうような台詞を、またもオーギュスト公が口にする。


 年齢通りの見た目だと、確か百歳をとうに超えている彼は、よぼよぼのお爺さんになってしまうのよね……。伯爵が『器』とか言ってたし、何か自在に外見を変えられるような魔術を使っているのかも知れない。


「えええ、またですか?」


 呼びつけられた挙句とんでもない話を振られたディアトリスさんが、眉をハの字に下げて盛大な溜め息を吐いた。


「ゼーレ様、今現在、一体何人の愛人を囲ってらっしゃると思って?」

「一人を迎える代わりに、これまでの全員と手を切る。それでどう?」


 曇りのない爽やかな笑顔とは裏腹に、台詞の内容はちっとも爽やかじゃない。しかしディアトリスさんは、「それならまあ……経済的には助かりますし……」とやぶさかではない様子。


 このタイミングで愛人の話をし出すということは、私をスカウトするつもりなんだなと、さすがに察知した。それを裏付けるように、オーギュスト公が私の手を取って「ミオは別世界の女なんだから、それくらいの価値があるよ」とウインクする。


「あの、公爵様とは今後も仲良くお付き合いさせていただきたいと思っておりますが、私は……」


 やんわりと断ろうとすると、オーギュスト公は『逃さない』とでも言うように私の手をぐっと掴み直して「君に、断る権利はないよ」と言った。

 そこで「えっ?」とたじろいだ私に、彼は悪意を感じさせない瞳のままで、さらなる追い討ちをかけてくる。


「だって、僕は君を愛人にするためだけにわざわざ異世界から呼び寄せたんだから。『夜伽の相手にぴったりな女』を願ったら、君の所にゲートが開いたんだ。だからミオ、君は初めから『僕のモノ』なんだよ」


 そう言って唇の端をにっと持ち上げた公爵に――眩暈がした。

 

 自分のしたことに何の疑問も、悪気も持っていないオーギュスト公の朗らかな口調が、私の脳に強い打撃を与え、吐きそうなほど酷く揺らした。「私の知らぬ間にまたそんな御勝手を!」と怒るディアトリスさんの声が遠くに聞こえる。


「世界か違うからか分からないけど、感知魔術に引っ掛からなくてさ。もう見つからないかと思ったよ。運が良かった」


 公爵の言っていることは、分かるけど、ちっとも分からなかった。頭では理解出来るけど、心がそれを拒んでいた。味方だと思って招いた人が、実は最大の敵だったなんて思わなかった。


 『魔王』の求めに応じなかったら、どうなるの?

 断ったら、ウィランバル家は、ディアス様はどうなるの?

 ようやく手に入れたと思った幸せは?私とディアス様の未来は……?


 呆然としている私の手を、オーギュスト公が引っ張ってそのまま抱き寄せる。嫌なのに、身体が、動かなかった。腰に回された腕を振り払いたくても、彼を下手に刺激することへの恐怖が、思い通りにさせてくれない。


「ディアス、ミオをこんなに綺麗に仕上げてくれて、ありがとね」


 とどめと言っても過言ではないような公爵の言葉が、今まで見たこともないほど険しい顔をしている伯爵に真っ直ぐ突き刺さるのを、私はその時、黙って見ていることしか出来なかった。

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