表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/62

第36話 イエス以外の答えなんて、ない

「もう、いいわよね……?」


 皆でリズを励ましながら仕事を続け、料理の提供が全て終わって、一息ついていたところ。

 疲労困憊といった様子でゆらりと厨房に姿を見せたのは、ヴァネッサさんだった。


「お疲れ、ヴァネッサ」


 椅子に座って寛いでいたエルクさんが立ち上がり、彼女を抱き留めるようにして迎える。


「君は本当に良くやったよ」

「ノイエッタ様の言動を監視しているだけで血が沸騰しそうよ」


 ヴァネッサさんがエルクさんの肩に頭を預け、肺の中が空っぽになってしまいそうな息を吐いた。そんな彼女の背中をエルクさんが大きな掌で優しく撫でさする。


 いいなあ、夫婦のこういう、甘やかしたり甘やかされたりみたいなのって。

 私がそんな風に思ったのも束の間、「いけない、こんなことをしている場合じゃないわね」とヴァネッサさんがすぐに気を取り直し、私達に声を掛けた。


「これより、ディアス様から大事なお話があります。身形みなりを整えて、全員ホールへ」


 大事な話、と言われて心臓がどくんと高鳴る。

 皆と一緒に威勢良く返事をして、厨房を出て行こうとしたところで、私はヴァネッサさんに捕まった。


「ミオさんは、私と一緒にいらしてください」


 そう言われて連れて行かれたのは、お針子組の皆さんが普段使っている裁縫部屋。

 そこに待っていたのはお針子スタッフ責任者のリュノーさんと、トルソーに飾られ上品に輝く――コレットが修繕して皆を驚かせたという、あの『カーミラ様のドレス』だった。


 思わず「まさか」と私が言うと、リュノーさんがにっこりと笑った。ヴァネッサさんが、「ノイエッタ様の出る幕はないということを存分に見せつけてやりましょう」と、私のエプロンやメイド服をさっさか脱がし始める。


 一見私に入るかなと心配になるような細身の作りのドレスは、不思議なことに、まるで私の身体にあつらえたかのようにぴったりだった。驚いていると、リュノーさんがよくぞ気付いてくれましたという表情で「実はコレットが、ミオのサイズに合うよう調整してたのよ。まさかこんなに早く着てもらうことになるとは思わなかったけど」と私のボディーラインをなぞる仕草をする。


「えっ、でも、私、寸法測られたりとかしてないですよ!?」

「彼女の手が触れるようなことはあったでしょ?親指から小指までの長さとか、手首から肘までの長さとかを利用して、さりげなくチェックしたそうよ」


 そう言って唇の端をにっと持ち上げるリュノーさん。

 私には出来そうもない高度な採寸テクニックに、感嘆の溜め息を漏らしていると、いつの間にやらヘアセットからメイク直しまで、ほとんどが終わっていた。所要時間、体感で十分程度。恐るべき早業だ。


「本当はもっと丁寧にしたいのですが、皆様をお待たせしていますので、今日のところはこれで。婚礼の際にはしっかり時間をかけますからご安心くださいね」


 そう言ってヴァネッサさんが仕上げのパウダーを私の頬にはたいた時。


「――それは楽しみだな」


 いつからそこにいたのか、マント付きの正装でいつも以上に男らしさが際立つ伯爵が、扉を押さえていた背中を離して部屋に入ってきた。

 今までほとんど呼んだことのないゲストもいるし、リンディール家の面々もいて気を張りっぱなしだったのだろう、その表情には晩餐会の疲れが幾らか浮かんでいる。


「大変お待たせして申し訳ありません」

「いや、大丈夫だ。メラニー夫人のダンスの相手が終わったところでけてきた」


 深々と頭を下げたヴァネッサさんとリュノーさんにそう答えると、伯爵は傍まで歩いて来て腰を下ろし、私の全身をじっくりと眺めてから「美しい」と呟いた。

 二十八年間の人生で、殿方にそんな風に言われるのは初めてで、体温が一気に上昇する。リュノーさんが小さく「きゃあ」と叫ぶのが聞こえた。


「もう後戻りが難しいところまで来た。覚悟は出来ているか」

「はい」


 伯爵に問われ、しっかりと頷く。

 それじゃホールへ向かおうと、立ち上がった伯爵に手を引かれて私も腰を上げたところ、「お待ちくださいませ」とヴァネッサさんからストップがかかった。


「ディアス様、ミオさんに正式な結婚の申し込みはお済みですの?」

「……今から、皆の立ち会いのもとでするつもりだが」


 伯爵が答えると、ヴァネッサさんが眉を少しひそめ、「差し出がましいようですが」と前置きした上でこんな提案をする。


「私達が証人になりますから、今、ここでなさっては?そして皆様には、もう『決定事項』として発表してしまうのが宜しいと思います。『申し込み』からなさった場合、どなたかがミオさんの返事を出来なくさせるような魔術をかけたら厄介ですわ」


 彼女の発言にリュノーさんもうんうんと頷く。そんな恐ろしい魔術をかける人がいるとは……って、その口ぶりからして可能性が高いのは、やはりノイエッタ嬢かしら。妨害するような動機のある人って他にいなさそうだし。命さえ無事なら私は大丈夫だと思うけど、例えばこの城の魔族の皆さんがそれで怒ってしまったりしたら、血を見るような騒ぎに発展して晩餐会どころじゃなくなりそう。


「――なるほど」


 伯爵は一理あるな、と小さく呟いた後、再びその場にひざまずき、取っていた私の手の甲にキスを落としてから顔を上げた。


「では、ミオ」


 鋭いけれども優しい光を湛えた黒曜石の瞳が、私を真っ直ぐに見つめる。


「どうかこの、ディアス・ザナンダール・ウィランバルの妻に」


 その言葉は私の鼓膜に甘く響き、胸を震わせ、熱い電流となって身体中のありとあらゆる神経を駆け巡った。

 「はい」と答えた声が少し潤んだけれど、メイクが涙で流れ落ちないようにぐっと堪える。


 お城に来てそう何ヶ月も経っていないのに、彼と思いが通じ合って間もないのに、結ばれたのもつい昨日のことなのに――私は何の迷いもなく、伯爵の伴侶になることを正式に決めた。

 初めは命だけでも助かりたいという下心だけだったし、元の世界ならばストックホルム症候群だと言う人も出てくるような状況だけれど、それでも私は確かに彼に恋をして、受け入れてもらったのだ。


 異世界で、異世界の人と、この先ずっと生きていく。

 傍目に見れば物凄く不可思議だろうこの決断が、私にとっては他の何にも代え難い幸せ。


「おめでとうございます。それでは急いで参りましょう!」


 ヴァネッサさんとリュノーさんが、揃ってにこやかに祝福してくれた後、裁縫部屋の扉を開けてホールへと先導してくれる。

 どきどきと高鳴る胸を押さえながら、伯爵の腕に自分のそれを絡めて廊下を進む、その間は本当に言葉に出来ないくらいの幸福感でいっぱいだった。


 だから私は、微塵も予想していなかったのだ。

 この後、ホールで、とんでもないトラブルが口を開けて待ち受けていようなどとは。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=297154173&s
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ