第33話 幸せな朝は、長く続く
――翌朝。
太陽がようやく地平線上に顔を出したくらいの時間に、執事さんの私室には、烈火の如く怒り狂っている人が二人いた。
いや、正確には三人いたのだけれど、うち一人は怒り心頭でさっさと部屋を飛び出て行ってしまったのだ。
その出て行った一人というのは昨夜、伯爵に袖にされたノイエッタ嬢。
執事さんから事情を聞いたヴァネッサさんが、彼女を伯爵の私室に閉じ込めておくのは問題になるからと、逆に私と伯爵のいる執事さんの私室に入れないよう、高度な封印魔術をかけていた。
なので、伯爵がいつまでも部屋に戻らないことに痺れを切らしたノイエッタ嬢は、自由に城内を徘徊して伯爵を探すことが出来たのだけれど、どう頑張ってもこの部屋に入ることは出来なかったのだ――今朝、ヴァネッサさんが封印を解きに来るまで。
ヴァネッサさんはと言えば、昨晩、正面玄関以外の場所からノイエッタ嬢に侵入されてしまったことが、どうにも許せなかったらしい。
今朝この部屋を訪れた彼女は、にこやかな表情を作ってはいながらも、今にも発火せんばかりの張り詰めたオーラを身に纏っていて。それがほんの少し緩んだのは、裸の伯爵と私を目の当たりにしたノイエッタ嬢が部屋を飛び出して行った時だった。
そして、彼が腹を立てるのは当然だろう――自分のベッドを私達にばっちり『使用』されてしまった、執事さん。
『どう見ても事後』の私達の様子に、「あんなに念を押したのに!」と白く美しい顔を真っ赤にして怒っていた。だけど、文句を伯爵にぶつけこそすれ、私を責めるようなことは一切しなかった。どうも、伯爵がその気になったら私が抵抗出来る訳ないと思ったらしい。だからと言って我関せずといった態度を取るような真似は出来ないので、私は目でひたすら謝意を訴え続けたのだけれど。
「……まあでも結果的には、おめでとうございますと申し上げるべきですわね」
しばし険しい面持ちをキープしたままだったヴァネッサさんが、ふといつもの優しい彼女の表情に戻ってそう言った。しかし、御礼を言わなくちゃと私が口を開きかけた瞬間に、別の人の台詞でそれを遮られる。
「私は素直に祝福出来ませんよ!その……自分のベッドをこんな風にされてしまって」
「済まない。加減が出来なかった」
「言わないでください!!」
伯爵の言葉に、執事さんがますます赤みを増した顔を両手で覆い隠す。
どうも、怒り以上に、ぐちゃぐちゃに乱れたシーツを目撃した恥ずかしさのようなものに襲われているみたいだった。いやいや、見られた私達(もしかすると私だけ)のほうが恥ずかしいんだけれど。
「――二人には感謝している」
不意に、枕に肘をつき、私を後ろから抱きしめるような体勢で寛いでいた伯爵が、真面目なトーンで執事さんとヴァネッサさんにそう告げた。
ヴァネッサさんが胸に手を当て、「そのお言葉が聞けただけで充分ですわ」と睫毛を伏せる。
「でしょう?レオン」
「そりゃ、ディアス様がお幸せなら、これ以上何も申し上げられませんよ……」
渋々ではあったけれど、執事さんもこれに同意した。彼の中には今、複雑な想いが色々と渦巻いていることだろう。それを知りながらも有無を言わせないヴァネッサさんの強さに、私は内心苦笑してしまった。
「さて、リンディール家の皆様に朝食をお出ししなくては。ノイエッタ様には食器を全て銀製でご用意したいところですけれど、我慢いたしますわ」
伯爵の脱ぎ捨てた物を拾い集めながら言ったヴァネッサさんの、猫目石の瞳がぎらりと光る。冗談めかして言っているけれど、身分の高い大事なお客様じゃなかったら本当は、いっそのこと実行しちゃいたいんだろうな……。
「事情が事情ですし、今朝は同席なさらないほうが宜しいでしょう。私が上手く執り成しておきます。御二人の朝食はこちらにお持ちいたしましょうか?」
普段通りに近い落ち着きを取り戻した執事さんが、クローゼットから替えのシーツを取り出しつつ伯爵に尋ねた。
すると伯爵は、私の髪を撫でさすりながら、少し考えた後。
「……面倒な御機嫌取りを、俺自らがやらなくてもいいと言うんだな?」
「ええ、晩餐会前にお顔を合わせて、揉め事が大きくなるのはまずいかと」
「なら、もう少し二人きりにさせてくれ」
ぞくりとするほど色っぽい声で答えた。
私は顔と身体がかあっと熱くなるのを感じ、ヴァネッサさんはきょとんとし、執事さんは眼球が零れ落ちそうな勢いで目を見開く。
「そ……!」
「本当に仲睦まじくていらっしゃること」
執事さんが大声を上げかけたところ、にっこり微笑んだヴァネッサさんが手で素早く彼の口を塞いだ。そのまま執事さんが引き摺られるようにして扉のほうへと連れて行かれるのを、私は何とも言えない気持ちで見つめる。
「午後からは他のゲストの皆様もいらっしゃいますし、色々と準備もありますので、お昼前にはミオさんを解放してくださいね」
「努力しよう」
伯爵の返事が完全なイエスではなかったので、ヴァネッサさんが「まあ」と笑った。私としては、『これから時間を気にしないほどいちゃいちゃする』と宣言されたようで、顔から火を噴きそうだったんだけど。
「ごゆっくり」というヴァネッサさんの台詞と、執事さんの呻き声と共に扉が完全に閉められる前に、もう伯爵の手は毛布の下で既に悪さをし始めていて。
この調子じゃ、私は一体いつ服を着られるんだろうとぼんやり思ったけれど――彼の唇がうなじに押し当てられた瞬間に、それ以上何も考えられなくなった。




