第34話 厨房乱入ハプニング!?
「ふふ、ミオったら、いかにも寝不足って顔がや~らしい」
メインディッシュを盛りつけるためのお皿を並べながら、リズがにやにや笑っている。
「晩餐会がなかったら、ディアス様と一緒に仕事をお休みすることも出来たのにねえ」
リズほどではないものの、いつになく目尻が下がっているコレット。
「思ったより早い展開でしたね。まさか晩餐会の前にこうなるとは思っていませんでした」
ライラは嬉しそうな表情ではあるものの、割と平常心。まあ彼女の場合は半ば巻き込まれたようなところがあるし、昨夜から大体の事情は分かっていたのだろう。
「もう、それ以上は勘弁して……」
顔から湯気が立ち上っているような気がする私は、ずっと下を向いてカトラリーの準備をしていた。
自分より歳下の、うら若き娘さん達に、昨夜のベッドのことを知られるのがこんなに恥ずかしいなんて。大人の女の余裕なんて、どこかに吹き飛んでしまったみたいだ。いや、最初からそんなもの持ち合わせていなかったのかも。
「まあ、詳しいことはまた明日のティータイムにでもゆっくり聞くことにして」
茶目っ気たっぷりの視線を私に寄越してきたリズは、今度はくるりと別の方向を向いて。
「ライラ、本当の本当に昨夜は何もなかったの?」
ホールから戻ってきたグラスを洗って拭いているライラに水を向けた。
「やだ、何度も言いましたけど、本っ当に別々のベッドでぐっすりだったんですよ!そりゃ、最初は物凄く驚きましたけど」
グラスの拭き上がりを光にかざして確かめながら、ライラが苦笑いを零す。
彼女は、私がなかなか部屋に戻って来ないのを心配していたところに、訪れた執事さんが寝間着を抱えていたのを見て、まさかの夜這いに来たのかと仰天したらしい。
執事さんは女性も抱けると言っていたから、自棄になってライラに手を出す可能性は完全にゼロではなかったけれど、紳士の彼に限ってそれはないだろうと思っていたし、その通りになって良かった。
ただ、気の毒だけど恐らく『ぐっすり』だったのはライラだけだと思う。
「ごめんね、何だか変なことになっちゃって……」
「あら、ミオさんが責任を感じるようなことじゃないですよ。むしろお役に立てたのなら嬉しかったです」
私が謝ると、ライラは本当に気に留めていない様子でにこりと微笑んでくれた。
そして、執事さんがヴァネッサさんに、「馬鹿正直にライラさんの所へ行かなくても、他に男性スタッフ達の部屋だってあったでしょうに」と呆れらていたというおまけ話まで披露してくれたので、私達は顔を見合わせてくすくす笑った。
「こらこら、お喋りもいいけど手を動かして」
メインの肉料理を果物のソースで美しく彩っていたシェフのエルクさんが、自分自身も作業スピードを緩めないままでちらりとこちらを見やった。
「……と言いたいところだけど、お喋りしながらちゃあんと手も動かしてるのが君達なんだよなあ」
「あらだって、『上手なさぼり方』はこの城の皆さん、お得意でしょう」
リズがエルクさんを下から覗き込み、エルクさんがこりゃ一本取られたというようにニカッと歯を見せる。
この二人を始め、厨房組は皆和気藹々としていていいなあなんて思っていると、主に皿洗いを担当している羊角の男の人――チェリオさんが、時折リズのほうに『同僚以上』の視線を送っていることに気付いた。
リズは全然気付いてないみたいなんだけど、私の隣にいたコレットが、「ミオもやっぱり、そうだと思うわよね?」と耳打ちしてきたので、うんうんと首を縦に振る。
すると、チェリオさんの気持ちを知ってか知らずか、エルクさんがやや揶揄うような口振りでリズに尋ねた。
「リズは人の色恋ばかり気にしてるようだが、お前さん自身はどうなんだ。種族さえ構わなければ、この城もなかなか好い男が揃っていると思うが」
まあ、お前さん好みのガチムチ系は少ないが……と最後に小声で付け足されたので、リズがうふふと声を立てて笑う。だけど、その笑顔はどことなく寂しそうだった。
「私は、いいんです。ここで好きな人が出来ても、そう遠くないうちにお別れしなくちゃならないから……」
しんみりと零れた彼女の言葉に、厨房にいたスタッフ全員がはっとする。特に私とエルクさんは、視線を交わして互いに眉根を寄せた。
大丈夫だよ、お城にいられるから――そう声をかけてあげたくても、今はまだ、それは完全な決定事項ではない。どんなに早くても、そのために動き出せるのは晩餐会が無事終了してからなのだ。
これは、チェリオさんも、告白とかし辛くなったよなあ……。
「ごめんなさい、雰囲気を暗くするつもりはなかったのよ。伯爵とミオのことは本当に良かったと思っているし」
リズが慌てて明るく取り繕うも、一度どんよりと停滞したムードはそう簡単に盛り上がりそうになかった。コレットが「そうよね、私もそう思うわ」と同調して事態の回復を試みたけれど、彼女自身もリズと全く同じ立場なので、周りの人の心情はますます複雑なものになっていく。
エルクさんが『やっちまった』という顔でお皿一つ一つにクロッシュ(ドームカバー)を被せ始めた時、そんな窮地とも言える厨房内部の状態を、ライラが救った。
「何か……廊下が騒がしくないですか?」
不意に放たれた彼女の言葉に、誰もが目の前の問題を一旦放り出して、じっと耳をそばだてる。
確かに、何やら男性の大きな声が聞こえるようだった。今日は廊下に上質な絨毯が敷かれてあるから足音こそしてこないものの、声だけは段々と近付いてくる。
そしてそれは、一人の男性が何回も叫んでいるのだということが、厨房の出入り口のすぐ傍まで来てようやく分かった。軽いけれども分厚い扉のせいで外の音が聞こえにくかったけれど、たった今廊下に響いた「お待ちください!」という声は、間違いなく私達の耳慣れている執事さんのものだ。
それで多分、私も含めて厨房にいたスタッフほとんどが、ノイエッタ嬢の襲撃を予測した。
私は思わず身を固くし、そんな私の両肩をコレットがむんずと掴んで入口から見えないようにしゃがませ、何を思ったかリズが自分のエプロンを脱いで私に被せ、ライラがまだ使われていないワゴンを引っ張ってきてバリケードを作る。
自分の作業に一区切りをつけたエルクさんだけが、大して動揺もせずに扉の前に立ちはだかった。
厨房の責任者として、最初の防波堤になってくれるつもりなのだろうか。
程無くして、扉が大きな音を立てて勢い良く開かれた。
「――この、サラダを作ったのは?」
その低く太い声の持ち主が毛むくじゃらの手で掲げたのは、僅かに野菜が残った小さな小さな陶器のお皿。いや、小さく見えるのはその人の身体がこの紅夜城にいる誰よりも大きかったからで、実際は普通のサイズのお皿なんだけど。
ノイエッタ嬢とは似ても似つかない、初めてお目に掛かる強面の人物の登場に、私達一同の眼は、一つ残らず点になった。




