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呪歌  作者: 野中
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第二章(4)

「やっぱり? 記憶にないけど、なんか勘が騒いだんだよね」

「勘ではなく記憶力を磨きたまえ」


視界の隅で、カサネがフリーダの捕らえた女に八の字眉で尋ねる。

「お姉さん、盗賊なの? 何を盗みにきたの?」

女は答えない。無言で、私を睨む。

タキから少し離れ、私は真っ向から受けた。

彼女と私を交互に見比べ、カサネは自分の膝を強く抱え込んだ。


「困ったなあ。答えてくれないと、拷問しないといけない」


口調は変わらない。

気弱で、怯えすら含んでいる。

なのに、双眸の奥で底知れない闇が澱み、輝いた。

イエルとゼンが、ハッと顔を上げる。

「待て、カサネ」

「その必要は…っ」


女の髪の合間から、何かが飛んだ。


小さく放物線を描き、地面に落ちた小さなそれは、胎児とよく似た形のもの。

目を見張った女が、声を飲み、歯を食い縛る。

フリーダに押さえられた全身が苦痛にくねった。顔の右横から流れた血が、顎を伝う。


耳を切られたのだ。


膝を抱えたカサネの両腕は、動いたと見えなかったのに。

少年は、下手に出た。

「ね、話してくれる? 話してくれないなら、足から骨を削っていくね」


「よしなさい、カサネ殿」

制止したのは、フリーダだ。カサネは目を瞬かせる。

上目遣いに、冷然とした侍女の顔を見上げた。

「だって、話してくれないから」


「これ以上続けたら、鶏肉料理を食べさせますよ」

たちまち、いっぱいに見開かれたカサネの目が潤んだ。

青ざめて震え出す。

「ひどい…」

イエルが、大きな手で少年の頭をぐしゃぐしゃかき回した。


「あー、カサネ、マジでそこまで。ん?ソラはどうした」

ソラというのは、カサネの梟の名だ。

首を捻るイエルにカサネが答える直前、女が血をはくような声で叫ぶ。

「部下に始末させて、自分は絶対手を汚さないのね、ユカ・オーウェル!卑怯者!!」

彼女は、溺れるように土を引っ掻く。

「守られてないで、正々堂々勝負しなさいよ、男に飼われるしか脳のない売女!!」

フリーダの顔色が変わった。

「カサネ殿、どうぞ続きを」


「冗談だよね、フリーダちゃん」

カサネの耳を塞ぎながらイエルが引きつった笑いを浮かべ、ゼンはやりにくそうに呟く。

「女性の罵詈雑言は、聞くにたえん…」

妙なところで繊細だ。

フリーダから半泣きの顔を背けていたカサネが、黒頭巾を剥がされた男の一人を見て、声を上げた。

「あ! あのヒト、僕知ってる。ゴルベさんちの使用人だよ。お得意さんで、何回も顔合わせてるから間違いない」

イエルとゼンが顔を見合わせる。

「商家のゴルベか? 昔店に、趣味で壺をよく見に行ったな」

「お前の趣味は毎日変わる」

脱線するイエルを一言で切り捨て、ゼンは蜜色の瞳で轟然と女を見下ろした。


「ゴルベが盗賊稼業とは聞かないな。貴様ら盗賊が、ゴルベに雇われたと見るべきだろうが。…さて、太守の館から、何を盗み出そうとしたのだね」


女の視線は私からはがれない。答えは明白だ。

ゼンは頷いた。

「ユカ様か。あの方に、刃物は向けなかったようだしな…攫う、目的はなんだ」

「知らないわよ。わたしはただ、ぬくぬく過ごしているあの小娘のそばにいければ他はどうだってよかった。仕事は拐しでも、わたしは殺すつもりだったんだから」

一呼吸置いて、ゼンは尋ねる。


「恨みは、先代へのものか」

「同じ血を引くなら、あの小娘だって同罪よ!わたしの背中にあんな」




「女」




言葉が途切れた。鋏で切ったみたいに、唐突に。

彼女は蒼白の顔でタキを見る。

タキは凪いだ湖面みたいに静かだ。

その静寂を裏切り、周囲に、初夏から真冬に変わったみたいな極寒が立ち込める。


タキが上機嫌とは誰も思うまい。


彼は、絶対零度の声音で尋ねた。

「先代との関係は」

聴くだけで凍死しそうだ。

私は山に圧し掛かられた小石の気分で、ひたすら耐えた。

骨まですり潰されるような圧迫は、常人には耐え切れまい。


突如、女の目から夕立みたいに涙が落ちる。

答えたくないに違いない。

なのに、逆らうことなど思いもよらないのだ。

彼女は惑乱に、ゆるゆる首を横に振った。

「…妾」


タキは何の反応も示さない。無力に、女は怯えた。

「ねえ、ころ、ころさないで…しにたく、ないっ」

刹那、フリーダが弾かれたように跳ね退く。

イエルとゼン、カサネが彼女に続き、地面を蹴った。女から離れる。


全員の顔に抜き差しならない危機感があった。


解放され、跳ね起きようとする女に手を伸ばし、フリーダは叫んだ。

「危ない!」

とたん。


ドンッ。


地面を下から衝く音がして、血と、肉片と、土が舞った。

成人男性の胴ほどはある漆黒の杭が、地面から生えている。倒れた女の真下だ。

彼女は腹部を貫かれ、一度身体が宙に浮く。


凍りつくような間を置いて、上半身と下半身が分かれて落ちた。

フリーダは悔しげに手を引っこめて、距離を取る。

とたん、杭が三つに分裂した。

それぞれが、忙しく形を変え、粘土を捏ね上げるように、たちまち三体の番人の姿が現れる。


三体同時に、私を見た。


番人たちの四肢が、蜘蛛みたいに地を這う。と見る間に、氷の上を滑るに似た動きで私に迫った。

イエルたちの制止の手を嘲笑う速さだ。

私は指先の包帯に触れる。

難しいが、動く本体に直接血文字を描くしかない。


中央に狙いを定めた瞬間。


番人たちは足を止めた。私との間にはまだ数歩の距離がある。


棒立ちの彼らに、私は惑う。なんのつもりだ。

次の行動を取り損ねた刹那。




タキが一歩、前へ出る。




とたん、心などないはずの番人が、無様に二歩後退した。私は目を見張る。

番人たちは、タキを警戒していた。

彼等には、感情などない。

つまり、タキへの警戒は、恐怖などではなく。

純粋に、…力量の差が起こすもの。


タキの表情は、常と変わらない。

長剣の柄に、手がかかる。彼は言った。

「邪魔だ」


私が見たのは、結果だけだ。

キン、と小さく、タキの手元で鍔が鳴った時には、番人たちの身体が、それぞれ縦三つに分断されていた。

仮面ごめに。

遅れて、突風が、私の顔面を叩く。剣風だ。

それに巻かれるみたいに、番人の姿は失せた。仮面ごと。

タキはどうでもよさそうに呟く。


「消えたか」


正確には消した、だ。私は曖昧な顔で沈黙した。

太古の名門、その知識の集大成のひとつを、呪いの仕掛けごといとも容易く葬ったタキは、蝿を追い払った程度の感慨すら残していない。




非常識な男だ。




うまく笑えない私を促し、タキは回廊から庭へ降りる。ゼンが生真面目に尋ねた。

「タキ様、先ほどの影のようなものは」

「気にすることはない」

凄まじい脱力に襲われた私の胸の中央で、気のせいか毒から来る痛みが強まった。


「死んだか」

「はい」

女を見下ろしたタキに、ゼンが頷く。イエルが低く言った。

「背中がどうとか言っていたなぁ。見てみるか」

「イエル、賊だろうと、ご婦人にそのような真似」

「見ろ」

「…御意」

タキの命令に、ゼンはイエルが女の黒衣に手をかけるのをそれ以上止めない。

いつものふやけた表情はどこへやら、イエルは怖いほど真摯な顔で女の衣服をひき下した。

朝陽の中、露になった背中に全員、目を瞬かせる。


「どういう意味があるんだろうね?」


言ったのは、カサネだ。私は首を捻る。

昨日見たのは、確かにどこかの間取り図だったと思う。

今目の前にあるのは、線と点だけだ。

右上に角があり、角を出発した線は左と下方へ中途半端に伸び、角の中に黒子みたいな点があるだけ。

これも、どこかの家の中なのか。




やはり、子供の落書きめいている。薄気味悪い。




瞬間、回廊の柱に矢が突き立つ。

ハッとするなり、近くの木から重いものが落ちる音。

大きな羽音が続き、鳥影が顔を掠めた。

カサネの肩に、梟が舞い降りる。

「ソラ、どこへ行っていたの?」


「…優秀だねえ、ソラは」

カサネの問いかけに、眠そうな声が重なった。

振り向けば、猫背のヴァルが、見慣れない男と共に茂みから姿を現す。

にこやかに匕首を男の首筋に押し当てていた。

「ゼン殿を射ようとしたコイツを引っ掻いたよ。…ここまで入り込んで、なんのつもり」

台詞の後半は、男へ向けてのものだ。

額に三本の赤い爪痕を走らせた壮年の男は、冷や汗まみれの顔を左右に振った。

「み、見逃してくれよ…頼まれただけ、なんだっ! いや本当、二度としないっ、だから」


「莫迦でも分かるように、質問をし直そう」


ヴァルは無気力に、手に力を込める。

皮膚が裂け、男の首筋から血が流れた。


「依頼主は誰」


「勘弁…してくれ…っ」

「あはは冗談」

顔は笑っているのに、黒瞳のかがやきが、いつもと違う。




「往生際悪いなぁ。さっきそこで自決したヤツいたけど、仲間とも思えないや。なになに、もしかして、依頼主って一人じゃないのかなー?」




男の顔色が変わった瞬間、ヴァルの顔から表情が抜け落ちた。

とたん、ヴァルは男を突き飛ばし、後ろへ跳ぶ。

男はよろめき、それでも逃げるべく足を踏み出した。


直後、男の身体を斜めに長槍が貫く。


使い込まれたイエルの槍ではない。真新しい。

槍は風を巻いて左肩から右腰を突き抜け、勢いもそのままに地面を穿った。

ヴァルは舌打ちをこぼす。

男が白目を剥いて、声もなく硬直した。


心臓を一突きだ。即死だろう。


長槍が飛来した方向を見遣り、イエルは目を細める。

「逃げたな」

ゼンは男に近付き、ヴァルを見遣った。

「この男が矢で狙ったのはわたしかね」

「そんなふうに見えたけど」


上の空で、ヴァルは懐から手拭いを取り出す。

拍子に転がり落ちたものを目で追いながら、ゼンは尋ねた。

「…怪我を?」

「さっき木で擦っちゃった」

ヴァルが左手を縛るのを横目に、ゼンは落ちたものを拾い上げ、険しい表情になる。


何事かと目を凝らした私は、目を瞬かせた。

ゼンの手にあるのは、紫色の丸薬だ。

彼は、すぐさまそれをヴァルに突きつけた。

「これはなんだね。さっき、お前の懐から落ちたが」

「ん?ああ、どっかで紛れ込んだんじゃない?」

ヴァルは悪びれない。

言い募ろうとするゼンを、片手を上げて制した。

「説教は勘弁してよ。寝不足の頭にはキツいのよ、アンタの声」


「そう言えば珍しいわね、ヴァルがこんな時間に起きているなんて」

小首を傾げた私に、ヴァルはふやけた笑みを見せる。

「用事があって早起きしたんだけどさ、ナツメに捕まって、さっきまで仕事の手伝いさせられていたんだよね。書庫で」

「もしかしてさっき、中央府の官吏叩き出したか、ヴァル」

イエルに、ヴァルは肩を竦めた。

「叩き出したのは、ナツメ」

ヴァルは欠伸交じりに言った。


「昨日トラップの点検をしてて、解除のまんま放ったらかしだったの思い出したからさ、仕方なしに早起きしたのにもう太陽があんな高さだ」

たちまち顔を見合わせ、ヴァルとタキ以外の全員が、声を揃える。

「それだ!」

「え、なに」

叱責の視線を一斉に受け、戸惑うヴァルを尻目に、タキが静かに言った。






「とりあえず、朝食だ」









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