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フィンネルの紅剣  作者: 楠楊つばき
Episode 2 開戦の足音
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11.囚人

 ネーセルは言葉を発さない。瞬きをせず、何か言いたそうに口を開けたままだ。まるで時間が止まったかのように停止している。

 とある可能性を導き出した紅剣は間髪を入れずに振り返った。視線の先にいた颯瑪は剣に手をかけていた。けれども抜刀する瞬間は訪れない。

 現状の確認に数秒もいらなかった。


「精霊時間だとっ!?」


 焦りを隠せない紅剣は声高らかに叫んだ。

 冷たい雨が降り続ける中、動ける者は一握り。

 紅剣の叫び声で心を動かすものも()らず。

 颯瑪さつばとネーセルは時間の概念から外され。ラグリは暴走したまま術を行使し続け。

 紅剣がたとえ強い力を持っていたとしても、この時間の概念を壊せるわけもなく。


 敗北。

 負けるのは久方ぶりだった。屈辱だ。恥だ。フィンネルに出会ったとき、どんな顔をすればいいのだろうか。


 フィンネルが一緒だったら、負けるはずなんてなかった。一戦交わした中には強い相手だっていた。でも負けるなんて一度も思わなかった。周りに不可能だと思われた作戦も、できる気しかしなかった。奇襲や撹乱かくらんもフィンネルと契約した時は失敗などしなかった。


 フィンネルと一緒だった毎日が幸せだった。喧嘩で(なか)(たが)いをすることはあっても、翌日には仲直りをしていた。生活の上で気に入らない所もなく、傍にいるだけで心が穏やかになった。

 勝利は神に約束されていたようなものだ。フィンネルは息をする間に敵の息の根を止めたものだ。

 そのような契約者に出会うまで自分がどういう生活を送っていたか覚えていないほど、フィンネルとの生活は大切なものだった。


 だからこそ(おご)ってしまうのだろう。

 勝手に暴走し始めたラグリに最も落ち度がある、と。


 誰かが乱暴に地面を蹴った。

 クライムが悪態をついていたのだ。

 紅剣は思考を止め、クライムに立ちはだかった。


「チッ、おっせえんだよ。死ぬかと思ったじゃねーか。とろのろまのせいで……! って処罰は後で決めりゃあいいんだよ。なあ……"フィンネルの紅剣"。ここがてめぇの墓場になりそうだぜ」

「墓場? 寝言は寝て言え」

「それハッタリだろ? さっさとこっちに(くだ)れ。……ヤ、それじゃあつまんねーよ。(ひざまず)いて許しをこえ。それでオメガの分もちゃらにしてやる」

「下るとは敗北を認めろということなのか? その気はない。あたしはフィンネルと共にある。フィンネルがいないところに行く気はない」


 紅剣がそう言いきると、クライムが口の端を不気味に持ち上げた。

 背筋が寒くなるような笑顔がクライムの言いたいことを代弁しているようだった。


「……フィンネルがこっちにいるとしたら、どうする? 俺らのところに来いよ。歓迎するぜ」

「あたしはお前を信用していない。もっとましな冗談を考えられないのか?」

「俺じゃなくオメガが言っていたら、そう返せなったでしょ。……"フィンネルの紅剣"」

「誰が言おうとも、フィンネルのことを信じている。…………ラグリ、聞こえるか? 自分でなにをしたかわかっているか?」


 紅剣はクライムを無視して、ラグリに手を差し伸べた。

 ラグリの両肩に手を置いて、体を揺らす。すると腕と頭が脱力しているためかぶらぶらと揺れた。


「信じる……貴様が、人間を? ンなわけねぇだろ。下等生物に道具として扱われた俺らが、どの面さげてそんな馬鹿なことできるかよっ! 貴様だってそうだったんじゃねぇの? 戦績を奪う奴や、挙句の果てには戦場から逃げ出す人間もいる。なのにあいつら自分のおかげで勝ったんだ、と法螺(ほら)を吹くんだぜ。笑っちまうよ。あいつらこそ、マシな冗談言えよっての」

 

「テオっ!」


 瞳を潤ませながら紅剣は精一杯叫んだ。言葉が届かないとわかっていながらも、必死で叫び続けた。

 二、三回呼びかけたあたりでラグりが顔を上げた。


「…………エグス?」

「……え? あたしは……」

「エグス、教えて……」

「ラグリ、悪戯(いたずら)ならやめてくれ。あたしは"フィンネルの紅剣"だ」


 ラグリの手が紅剣の頬に触れた。愛おしく優しく触れた。さすって、で回して、生きていることを確かめるかのように執拗に触れる。もう片手は紅剣の腰に回されており、自由を奪われた紅剣は狼狽(ろうばい)しながらも抵抗する。

 

「な、なにをするんだ。放せ、ラグリ!」

「――あなたは偽物?」


 目の前が真っ暗になる。何かを思い出してしてしまいそうで。気の巡りが早くなる。この体に流れているのは血ではなく火だ。

 偽物? と聞かれて口の中が渇いた。


「仲間割れか。ッハ、てめぇら勝ち目を失ったな。俺の不戦勝ってやつ?」


 クライムが口を歪めて笑う。

 その笑い声を聞きながら、意識は闇に沈んだ。



     *   *   *



 闇の中に残された。

 たった一つの小さな火が眼前で灯っている。

 手を伸ばしてみたら、それは暖かかった。思わず抱きしめる。

 命そのものが火だったため、手を伸ばすのも躊躇(ちゅうちょ)しなかった。


 その火は消えることを知らない。

 最初は今にも消えそうな弱々しい灯火だった。誰もが消えることは必然だと思っていた。

 けれども、消えることはなかった。むしろどんどん大きくなって道を照らすほどになった。


 火が動いた。紅剣の手から離れてゆらゆらと宙に浮かぶ。

 無意識に足が動いていた。走って、走って、走って――。


 


 光が溢れていた。いや、光ではなくて灯火だった。


「――」


 名前を呼ばれてような気がして、辺りを見回しても――誰もいなかった。



     *   *   *



「……ん」


 紅剣は目を覚ました。身体を起こし、頭を左右に振った後、自身の無事を確認した。

 元々が火であるため、偽りの姿には傷ひとつもついていなかった。粒子の結合も大丈夫なようで、腕や足も楽に動いた。全身のだるさは気持ちの問題かもしれない。


 青い髪をもつラグリは膝を抱えて部屋の隅で丸くなっていた。床に描かれた青い文字はラグリの仕業に違いない。部屋を汚すのは勧められた行為ではないが、事態が事態であるため紅剣は深く言及しなかった。


「……捕まったのか」


 立ち上がって素足から床の冷たさを感じた紅剣は一瞬顔をしかめる。


 丁重なもてなしは受けているようだ。

 紅剣とラグリの二人だけのためにあてがわれた部屋とは思えないぐらい広い。

 寝具はないようだが、掃除が行き届いていた。

 棚に並べられたアンティークもセンスがある。上品さの中にある遊び心は紅剣の心をくすぐっていた。ただ自身の好みを知っている者がいるかもしれない、という発想にはいたらなかった。


「ラグリ、お前は無事だったか?」

「……身体の損傷はありません」

「そうか、ならいいが」


 ラグリは壁から目を離さなかった。床に文字をせっせと書き、たまに壁に水の力をぶつけていた。

 その一切の行動で紅剣は悟った。


「ふん、ここはさしづめ檻か。窓も扉も壊せないとは頑丈なことだ」


 試しに紅剣も力を扉にぶつけてみた。びくともしなかった。跳ね返されてはいない。無効化されているのか。あるいは吸収されているのか。無駄に打つのはやめたほうがいいだろう、という結論に至った。


 窓から日光が注いでいた。朝か昼だろう。時計は部屋になかった。この部屋のとりえは広さだけかもしれない。テーブルとイスはあった。どこかの文化の文字が彫られていため、気味が悪いと二人は近付かなかった。

 

「"フィンネルの紅剣"さん。身体は平気ですか? 痛みやかゆみはありませんか?」

「ないぞ。特に不調はない。お前は平気なんだよな?」

「はい、ご心配なく」


 だったらなぜ壁を見ているんだ、と紅剣は言いたかったが胸先三寸に収めた。ラグリなりの考えがあるのかもしれない。出れないとわかっても紅剣はそれほど気がいてはいなかった。とくにやることもなく無心で周囲を眺めた。


「……気をつけてください」

「ああ、わかっている」

「わ、わかってなんかいません!」


 この部屋にいてから初めてラグリが紅剣を見た。


「わかっていたというなら、何故私を止めようとしたのですが。私を止めなければ、"フィンネルの紅剣"さん一人で逃げられたのではありませんか?」

「あれは精霊時間だった。動かないとは言えども、契約者がいつ巻きこまれるかわかったもんじゃない。気にしすぎだ」

「気にしすぎなんて……! もうマスターから離れて三日経過しています。私はまだしも、あなたはそろそろ依り代に戻るべきです」

「……三日。だいぶ経っていたな。お前はさみしくなかったか?」


 紅剣はラグリを後から抱きしめた。弱い力だが、ラグリはそれを受け入れる。


「寂しいという感情は置いてきました。ラグリ2を治めていた部分が空っぽなぐらいでしょうか」


 空っぽであるなら戦争を拒まなかっただろうに。

 紅剣はラグリが震えていることに気付いても、言葉にはしなかった。


「……ラグリ2は戻っていなかったのか」

「あの工房を守ってくれました。相打ちとなりましたが敵の手から守ってくれました」

「よくやったな、ラグリ」

「あ、いえ、そんな、私は無力で……」

「なあラグリ、あたしを"フィンネルの紅剣"って呼ぶのやめないか? 長いだろう」

「私に命名権などありません。颯瑪(さつば)さんに決めてもらったらいかかです?」


 気のせいだろうか。ラグリに壁を感じる。

 腕を放し、紅剣はのんびり部屋を歩き始めた。隅々まで歩くと、この部屋にかかっているじゅつに抜け道がないこともわかった。ほころびや濃さの違いもなく一定だ。かなり力の強い者が結界を張っているのだろう。


 エグス、という言葉のみが紅剣の心に影を落としていた。


 


 


 

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