10.処刑台
広場に大勢の人が集まっていた。武器を持つ人もいれば、丸腰の人もいる。どちらがどちらなのかは一目瞭然だった。
「よぉ……遅かったじゃねーか」
「…………」
中でも二人の男が異彩を放っていた。
真ん中に置かれた処刑台。血にまみれたそれを二人が注目している。
ギロチンにこびりついた血は幾人をも殺めた証。そこらじゅうに死体は転がり、胴体と頭部を切り離されたまま放置されている。
切断部から流れ出る血を飲む人もいた。彼らは同じ人間なのだろうか。
「……ううっ」とラグリは口元を手で隠しながら涙を流し、ネーセルは無言のまま視線をそらした。
紅剣と颯瑪だけがしっかりと現実を受け止めた。
「へぇ~、血眼になってでも止めるかと思っていたんだけどなー。期待はずれじゃんか。つまんねーの」
「……お前ら、土人形か。土色ではないなんて血色が良いな」
「あ? なんだてめぇ……ふーん、見覚えのある顔だぜ」
「"フィンネルの紅剣"は、あたしのことだ。忘れたとは言わせない」
土人形の外見は以前と違っていた。肌色の皮膚と艶のある髪は一見、人と変わらない。
二人の男は数日前に精霊時間中に出会った。
ラグリが顔を引きつらせ、一歩下がる。
「やめて……こんな、こんな残酷なことしないで……」
「ラグリ=テオ=ハーデンス。これはあなたが招いた事態です」
土人形で落ち着いている紳士が言った。"フィンネルの紅剣"が一番初めに出会った土人形は彼だ。
「ラグリ殿は中立を保つおつもりですか? 前回、あなたは参戦しませんでした。こちらとしてはあなたに今回参戦してもらわないと困ります」
「わたくしは……戦いを望んでおりませし、そもそもその戦争の先には何が在りますか!? 人を悲しませるためにわたくしはいるのではありません!」
「清らかな気持ちを汲みたいのはやまやまです。しかし、人類は戦いの歴史。人が進歩していくためには、それ相応の犠牲を伴います」
「だとしても……納得できません! わたくしはあなた方の玩具でも手下でもありません! この心はいつまでも自由です!」
ラグリが静かに呪文を唱えた。己に問いかけるような意味を持つ言葉の羅列が彼女に力を与えていく。
「わたくしは水に生まれしもの。水流は時間のごとく流れ、清き水底に封印された心はいつになったら取り戻せるのだろう。……美しき日々、争いのない世界を生きていたかっただけなのに……」
「これは……!? 詠唱を止めろ、ラグリっ! それはお前が扱える力ではない!」
複雑な魔方陣がラグリを中心として広がっている。曲線と直線、そして文字によって構成された魔法陣は刻一刻と形を変え、新たな祝詞が刻み込まれていく。
「……ラグリさん?」
「万籟、間抜けなこと言うな! 踏ん張れ!」
状況が理解出来ない颯瑪は剣を構えたまま硬直していた。戸惑いで汗が額から落ちた。ラグリの力は人とは異質だった。そのことを身近な場所で体感しているからこそ、今の現象に逃げ腰になっている。
紅剣は輝く炎をまとい、ラグリに向かって加速した。だが、うまく位置を捕らえられなかった。目の前にいるというのに、周囲の気が水の影響を受けている。気が在りすぎて一人に特定できない。まるでラグリが数十人いるかのような錯覚に陥った。
ラグリはゆっくり朗読するかのように言葉を並べていた。
異変は始まっている。
雲行きが怪しくなり、雨が振り出した。
周囲に隠れていた黒い鎧の兵士が異変を察して土人形へと近づくと、クライムの罵声が飛んだ。
「なんで来た!? 隠れないと死ぬぞ!」
――母なる海へ。
最初に聞こえた悲鳴は誰のものだろうか。
やがて呻き声と断末魔が交じり合う。
混沌とした場に落ちるのは雨粒だけ。
「……ラグリ……成功させたのか……。冷たいな」
紅剣のぼやきは他の声に飲み込まれた。
冷たい雨が降っている。それだけで兵士が悶え苦しんだ。兵士は何者かに刃を向けられているのではない。雨で濡れているだけだ。だというのに、やがて動かなくなっていく。
「これは一体どうなっているんだ!? ラグリ、やめろ。こんなことをしても変わらない。逆に火に油を注いでしまう。落ち着けラグリっ」
「……ネーセルさん」
取り乱したのはネーセルだった。そんな彼女を颯瑪は同情するような目で見た。
「万籟は何も思わないのか? このままだといつ暴走してこちらにも火の粉が降ってくるかわからないぞ」
「降っているのは雨だよ」
「……はぁ。話にならんな。この雨は冷たいんだ」
「? 雨が冷たいのは当たり前だよね」
颯瑪の髪も肩も濡れていた。彼は雨が冷たいと思っているようだ。
紅剣の周囲が赤く光る。火のおかげで周囲の気温が少し上昇した。
「テメェ、説明しろ! んで、この雨をやめさせろ!」
土人形は土の壁で雨から身を守っていた。己の身を守るのが精一杯で、兵士への配慮ができていない。転がる躯は全て兵士のものだった。
クライムに催促された紅剣は目を細め空を見上げた。
「……秘術だ。あたしも多くは知らない。ただこれは敵と判断されたものだけを死に至らしめる。冷たいと感じたのが最後、体の熱を奪われる。万籟、お前は冷たいと感じたんだよな?」
「そうだよ」
「ガアアァァアッ!」
その場で息をしていた誰もが目を剥いた。
二体の土人形を守っていた壁が崩れそうになっていた。濡れて変色し、穴が開いた。
途端、雨の強さが変わる。
雨粒が雹に変わった。固形物になったそれは鋭利さを増し、土人形を貫こうとする。
一粒だけだったら耐えられらかもしれない。
片方が盾となり、雹の全てを身に浴びた。
土はまるで人形の糸を切ったかのようにボロボロと崩れていくのではなかった。原型を保てなくなるくらいに泥と化し、水溜りに沈んでいく。
「オ、メガ……」
盾になったのはクライムではなく、紳士――オメガだった。
「……あたしの手には負えない。ラグリの意識が切れるのを待つしかない」
「意識が切れれば、どうにかなるのか?」
「永続的なものは術者が行使し続けなければならない。故に術から意識をそらさせればいい」
「わかった。僕がやる」
颯瑪は躊躇わずにラグリの鳩尾に拳をのめり込ませた。
「お前は馬鹿かッ!? ラグリは人間の構造と違うんだぞ!?」
「……あ」
颯瑪は全身を硬直させていた。いや、動けなかった。拳はまだラグリにのめり込んでいる。
ぶつぶつと呟くラグリは手を伸ばした。青い手が颯瑪に伸びる。
「ネーセルっ! お前、契約者だろうっ。権限使って沈ませろ。このままだと取り返しのつかないことになるぞ!」
檄を飛ばした紅剣はラグリを牽制し始める。雨も雹も紅剣の火によって蒸発させていく。気温上昇だけでも効果があった。
冷たい雨も紅剣の火の勢力を抑えようと躍起になっていた。
水と火が互いに睨みを利かせあう。
「――契約者。颯瑪くんにも、そんなこと言ったかね。そりゃあ示しがつかないさ。ラグリ! 契約者ネーセルの名において命ずる。契約を切られたくないよね? 茶番を終わらせるんだ」
ラグリの手が止まった。
その瞬間をネーセルは見逃さなかった。もう一度言おうと深く息を吸う。
「ラグリッ、契約者ネーセルの名において――」
ネーセルが口をつぐんだ。
冷たい雨に晒され、疲弊していたからだろう。
誰もが油断していた。新たなる存在に。新たなる脅威に。
土人形について。始めは人、途中から物として表現しています。




