蒼の瞳
オルヴァルレートは帝国軍の支配下に置かれた。
大架橋は侵攻を防ぐために教会自らの手で落とされた。
絶壁の崖に立つ王都への唯一の道を断たれ、帝国軍も連合軍も王国領の各地へと散らばった。
祭壇の如き奥行きの大広間。
天井の奥一面を覆うステンドグラスの下には荘厳なパイプオルガンが顕在し、その前の祭壇には神を象徴する大きな金十字架が掲げられている。十字の交差点は二重円になり、円を貫くように斜めに線が入る。教会の信徒たちが胸元に提げる十字架は一様にそれと同じ形をしている。
しかし、教会の剣であるグリゼルダの首元を飾るのは、ロザリオとは異なるひとつのロケットであった。
彼は列を為して並ぶ長椅子のひとつに脚を組み非常に落ち着いた様子で腰掛けていた。豪奢な祭壇には四つの燭台が置かれている。
王都中央、教会の庭。信仰の総本山となる施設で四教皇と教会の剣による会議が執り行われた。
「その後、首尾は如何かな、クジュー教」
蒼い灯火が揺らぎ、声を発する。老獪たる声色は第一教皇レダールのものだ。
四教皇の姿はここになく、燭台がそれぞれの意志と声の媒介となって蒼の炎を灯らせている。
老いのさばる問いに、厳粛と確固たる硬さを以て第三教皇クジューの声が応える。
「帝国軍の力は一歩及ばず、王都侵攻を逃した。飛爬虫や飛空艇すら持ち出したが、教会の剣によって防がれた。民草のひとつたりとて、この喜ばしき報告に疑う余地もないだろう」
「まぁ、万が一ということもある。思想監視を続け、悪しき芽は早めに摘むことだ」
「言われなくとも」
クジューは無感情に返す。
レダールは続ける。
「王国領内に蔓延る敵対勢力は、魔王の侵入以来その勢力を強めている。審問官の手配は済んでいるかね、フリルダ教?」
第二教皇フリルダの穏やかな声が発する。
「ええ、抜かりなく⋯、主要地域への配備は完了いたしております」
フリルダの憂いに、第四教皇テオダスの嘆息に混じる声が返す。
「派遣は信仰要所に限ることは既に決定した筈だが⋯。シエロダーロ区の湿地帯にて審問官の姿が報告されている。フリルダ、君の指図かね?」
「存じませぬ」
フリルダは断ずるも、苦言を呈した。
「しかし、かのフーリエ司祭の隠居先が其処だと聞いております。異端者の悪心吹聴から信徒を守ることことは審問官の務めのひとつでありましょうから⋯」
「なるほどなぁ。先の決定に異言を唱えておった貴殿のことですから、私はてっきり⋯」
テオダスの追及をレダールが遮る。
「些末なこと。いずれの審問官が向かったかは追って報告なされよ、フリルダ教」
「承知いたしました」
「神の受肉は近い。万事抜かりなく、事を運ぶのだ」
レダールの言をクジューがつつく。
「問題は、魔王と毒竜だ」
その言葉にロケットに指先を這わせ、静かに瞑想するかの如く目を瞑っていたグリゼルダが、ゆっくりと顔を上げる。微かに笑みを浮かべて、揺らぐ蒼火を見つめた。
「かの者は未だ存命、いずれ神の庭へと至る――この定めは変わらず、と見做してよろしいか、グリゼルダ?」
クジュ―の問いに、グリゼルダは口を開く。
「仰る通りです」
「そなたの未来視は変えられる、そう聞かされていたが?」
レダールがクジューの言を引き継いで、グリゼルダに言い迫る。
「故にオルヴァルレートにて一劇講じ、大架橋すら落としたみせた。だが、肝心な魔王と毒竜は討てず仕舞い。こは如何に言い逃れるつもりかな?」
グリゼルダは、くすり、と喉を鳴らした。
「魔王の執着が我々の範疇を越えていたということです」
「五十人です。本件を為すために、受難塔より賜った神託は五十人分⋯それら全てが誤りだったと…無意味だったというのですか?」
フリルダがグリゼルダの言を繋いで、言い放つ。その言葉には静かな厳しさが滲んでいる。
「勘違いされては困ります」
しかし、グリゼルダは態度を崩さない。
「神の意志を愚弄するつもりはありません。私の未来視は神託とは異なります、それは貴方方が仰ったことではございませんか」
未来視の結果は、定めではあるが、”神託”ではない。神の言葉は受難の先から産まれるもの。この考えは、冷たく残酷な未来など神の言葉として広めたくないという教皇たちの身勝手な振る舞いによるものだ。神は愛に溢れているのだから。
「それに、大架橋の陥落は、救いの皿から零れた民草を切り捨てるための、体の良い言い訳が出来たではないですか」
「なんですって――」
「止めよ」
金切りに澱みだしたフリルダの言をクジューが止める。
「問題は魔王が此処へ至り、グリゼルダを殺す前に、どうにかして神殺しを為せねばならぬということだ。未来視を以てしても正確な神の受肉の刻は解らぬのだ、そうであろう?」
「はい」
「だが、魔王は濁流に姿を消し、行方は掴めぬ⋯。影無きものを殺すことも、押しとどめることもできぬ」
テオダスは嘆息混じりの老いた声で言う。
「私に考えがあります」
グリゼルダが片手を挙げる。
「未来視が見せる場面は全て教会の庭にて行われています。ならばそこから離してしまえばいい」
「神の胎を移せ、と?」
「はい、帝都がよろしいかと」
「ならん。竜は鼻が効く。”教会の花”、いや、ヴィラ・ヴェラの匂いが動けば、奴らは察するだろう」
「ええ、ですから移すのは神の胎のみでよろしいのです」
教皇たちが困惑する。
「そなたが此処にいて、受肉した神を誰が切るというのだ?」
「代わりの者が」
「馬鹿な。貴殿以外の剣では神殺しは為し得ぬ。未来視を持たぬ者に神は切れぬ」
「一度定めを固定してしまえば、神の動きも変わらない。それを事前に伝えておけばよいのです。腕の立つ審問官を一人、私自らが準備いたします」
グリゼルダには教皇たちの動揺が手に取るようにわかる。
長い沈黙の後、レダールが口を開いた。
「貴殿の考えは呑めぬが」
ひとつ嘆息。
「もはや未来がひとつというのならば、検討せざるを得ないのだろう⋯」
暫くして、燭台の火が揺らぎ消えていく。
グリゼルダだけがそこに残った。
教会の花たるヴィラ・ヴェラが不可視の覆いを解いて、背後から彼の傍に寄り添う。
「グリゼルダ、貴方は狡い人ね⋯真相を闇に晦ませて、万事が貴方の思うがまま⋯」
「そうだよ」
彼女の羽毛に包まれた身体を優しく撫でながら彼は微笑む。
「秘することこそ神なのだから」
ひとつ、ひとつ。
計画は進む。
全容を見据え得る者はただひとりだけ。
蒼の瞳こそ、それに相応しい――。




