1
カヴェンディッシュ侯爵領、オールドガーデンの街には西日が差していた。
教会で何やら不穏な会話が交わされいる。
「オリヴィエ・ヴィルホール。今日をもって『守護聖女』を解任する」
オットー・カヴェンディッシュ侯爵の声は教会内によく反響した。
そして続ける。
「解任と同時に、お前との婚約は破棄させてもらう」
「では誰がこのオールドガーデンを守るのです。今夜だってモンスターたちが『深淵の森』から湧いてきますよ」
オリヴィエが静かに言う。
「僕を馬鹿にしているのか? それくらい考えている。キュルル、来たまえ」
小走りに駆けてくる少女が居る。ショートボブの髪は薄桃色で、下がった眉は庇護欲を掻き立てられるのかもしれない。
キュルルと呼ばれた少女の肩に、オットーは腕を回した。スキンシップの自然さ、そしてこのタイミングで婚約破棄を迫って来たのを考えると、ただの知り合いではないのは明白だった。
キュルルは白を基調としたローブを身にまとっているが、まとう魔力は聖女と違うことに気付いた。
「その方は白魔導士ですか?」
「そうだ。お前の代わりはこのキュルル・ノアイユが努める」
キュルルとオットーは視線を交錯させる。
「出来るのですか? 守護聖女の代役は生半可な気持ちやスキルでは務まりませんよ」
「それくらいの下調べはしているさ。キュルルはお前をはるかに凌ぐ魔力を持つ。実際にモンスターを遮断する結界を張れることも確認した」
このオールドガーデンには肥沃な大地が広がり、農作物や酪農が盛んだ。領地にとって重要地点である。
しかし近くには『深淵の森』というモンスターが湧き出す厄介な地がある。それ自体が意志を持っており、夜になると、森の中からモンスターたちをけしかけてくる。
人間を酷く忌み嫌っているのだ。
それを結界によって防ぐのが守護聖女の役割であり、現在任に就いていたのがオリヴィエだった。
「お忘れですか。私はあなたの父上、アウル様によって守護聖女に選ばれたのです。それを勝手に……」
「だが父上はもう亡くなった」
オットーは胸に手を当てた。
「父上は立派な方だったが、領主として有能だったわけではない。カヴェンディッシュ領は旧態依然のままでは駄目なのだ!」
またか、とオリヴィエは思った。彼女は前領主アウルと同じ伝統的なやり方を重んじる。刷新しようとするオットーとは常に衝突していた。
「唯一の存在理由だった結界を張る力もキュルルが上。口うるさいだけのお前はとことん不要な存在だ。さあ、出て行ってもらおう」
勝手な話だと思う。
これまでオリヴィエは毎晩、休みなく働き続けてきた。体を張ってきたと言って良い。
それがカヴェンディッシュ領のためになると信じていた。しかしオットーからは感謝されるどころか、すげ替え可能な部品のように扱わ、ごみのように捨てられた。
元からこの男のことを愛していたわけではないが、最早愛想が尽きたを遥かに通り越して見下げ果てていた。
「分かりました。でしたら私は出て行きます」
「ああ、ちょっと待て」
「まだ何か?」
「お前が使っていた水晶は置いて行ってもらう」
それはオリヴィエが持ち込んだものだった。
「これは私物ですよ」
「だからどうした。何より大事なのは誰の物かではなく、このオールドガーデンが平和でいられるかどうかだろう」
「……」
言い返せなかったのではない。領主ともあろう者が盗人のような真似をすることが信じられなかったのだ。
「あなたたちには無用の長物だと思いますが」
「負け惜しみか? そんなに惜しいのなら、相応の金で買い取ってやっても良いぞ。お前の実家は貧乏だものな」
「結構。従者のローランだけは連れて帰ります。彼は絶対に必要な存在なので」
「ああ、あの生意気な獣人か。それは勝手にしろ」
オリヴィエはさっさと歩きだした。これ以上ここに居るのは精神衛生上良くないと判断したのだ。
◆
実家であるヴィルホール伯爵家に帰る途中の馬車の中だった。
ドン! と御者にも分かる大きな音が響いた。オリヴィエと共に乗っていたローランが拳を座席にぶつけたのだ。
「ローラン、馬車が壊れてしまうわ」
「ですが、あの男の言動は許しがたい! ご主人様との婚約破棄を一方的に突き付けるのみならず、私物を奪い、侮辱までするなんて! 俺がその場にいたら八つ裂きにしておりました」
オリヴィエは苦笑いを浮かべる。
「だからあなたをあの場に連れて行かなかったのよ」
「ご主人様……」
心配げにオリヴィエを見やるその表情は狼のごとく洗練された美しさがある。
彼の頭からはぴょこぴょこと、二つの耳が生えていた。狼の獣人なのだ。
ローランとの出会いはまだ6歳の頃だ。奴隷だった彼を、オリヴィエがお小遣いを5年分前借りして引き取ったのだ。
オリヴィエは差別される対象であった獣人の彼を、他の従者と対等に扱った。
ローランはオリヴィエの恩義に報いようと、魔法の修練や勉強に明け暮れ続け、今や彼女にとって欠かせない存在である。
「ねえ、ローラン。私、守護聖女を解任されたのも、婚約破棄されたのも、悪いことじゃないと思うわ」
「何故です?」
「あんな男とも離れられたし、自由になれた。そしてあなたと一緒にいられる時間も増えるもの」
オリヴィエは夏の花のように笑った。
「お、オリヴィエ様。からかうのは止めて下さい」
ローランは顔を伏せた。耳がぺたんとお辞儀している。普段は誰よりも頼りになるのだが、こういう時は全く耐性が無いようだ。
◆
キュルルが順調に結界を張り続けて6日目。
異変が起こった。




