敬大(けいた)視点 ―オレと悪友の最後のやんちゃ 中―
樹海に足を踏み入れると、入口からそう離れていない所に爽介の姿があった。
爽介はオレ達を見るとニカリと歯を見せて笑い、朝に教室で会った時のように呑気に手を振る。
「よ~う。来たか二人とも」
黙って歩み寄り、爽介の前にたどり着いた直後、オレと佑也は黙って爽介の頭を叩いた。
それでもケロリとしているが、一応けじめだ。
二人で爽介の左右を固め、いざとなったら首根っこ引っ掴んで引き摺ってでも連れて帰る構えを取る。
本当はすぐにでも連れ帰すつもりだったが、この辺りはまだごく普通の心霊スポットのようだった。
精々ちょっとした曰く付きの廃墟とか、廃病院、といった感じだ。
だったらある程度爽介が満足するまでいて、適当な所で切り上げよう、と思いしばらく
散策する事にした。
ところが一歩足を踏み出すと、佑也に腕を掴んで止められた。
「待て。方向音痴の癖に先頭を切ろうとするな」
その通りで、オレはどうも方向音痴らしい。
お化け屋敷や迷路でも道に迷ってスタッフの方(と思っていたが、後でそこの住人と判明)に道を聞く位だ。
親父曰くオレはなまじっかそうした力を持っているから、あちこちの幽霊や霊的な存在に誘われて方向感覚が狂うんだろう、との事だったが、何にせよ方向音痴なのは変わらない。
逆に佑也は方向感覚がとてもいい。
今も地面に白地図を広げて、方角やこれまでの進路を書き込んでいる。
…自力でマッピングとか、ただの男子高生に出来ることじゃないぜ?
佑也の後を追い散策しながら、お節介のついでだと、あちこちに札を貼り付け浄化する。
下手にこんな事すると、この場の連中を刺激するだけなんだが、あれだ。交通事故の現場に供えられた花を見て、一瞬悼ましい顔をするようなもんだ。
もしもうっかりここの連中をぞろぞろと引き連れて帰っても、玄関で親父に塩をぶつけられるだろうから安心だ。
その時はこいつらも連れて行くから、こいつらの家族やご近所さんにも害は及ばない。
そう。こうした心霊スポットに行った後は、三人で雁首揃えてウチに出頭して、親父と祖父ちゃんの説教プラス鉄拳制裁を受けることになっている。
身内はともかく、余所様の子供に何て事を、と言われそうだが、むしろ二人の親からもよくよく頼まれている。
大盤振る舞いとばかりに札を消費していると、爽介から呆れた声がかかる。
「オイオイ。こんな入り口でそんなに使ったら、札無くならねーか?」
「そら、持って来た分は無くなるな」
そう言うと引き攣った顔をした。
もっとも、札が無くなっても木の枝で地面や木に刻むなり何なりで十分対処出来る。
あくまでお札は依代にすぎず、要は神様の象徴を書いて、そのご加護を得よう、ってこった。
小三の時の生霊騒ぎでも、ノートの切れっ端に書いた即席の札で通じたし。
とはいえ、これはウチが特殊なだけの気もする。
普通は神様にお伺いを立ててこっちを認識してもらい、その上で遜って力をお貸しいただけるよう訴える。
だが、ウチの家系はすぐ傍らに神様がいるし、大抵の願いは聞き入れてくれる懐の大きさをお持ちだ。
…オレはそれに胡座をかいて力押しの邪道しか覚えていないから、親父によくどやされる。
一応ある程度までなら相手に出来るが、一定ラインを越えたら手も足も出なくなるだろう。
それに、形式や様式に従っていないから、そもそもオレのやり方が通じない相手だっているだろう。
霊的な相手の退治方法はある意味見立てに似ている。
ちゃんとその意味するところを理解し、従わないと何をしようと、どんだけ力押しで押し通そうと意味が無い。
だからオレや親父、もしかしたら神様でも外国から来た脅威には対処できないかもしれない。
言葉も文化も通じないから当然の事なんだろうが。
何はともあれ、オレの力量には問題が多いのも確かだ。
だが、爽介はオレや神様を万能薬のように勘違いしている節がある。
だったらその辺りを説明せずにビビらせとくか。
そう思い、オレはあえて札が無い時の対処の手がある事を言わなかった。
そのおかげか、爽介はいつもよりいくらか大人しく、慎重だった。
「お」
緩やかな坂を登り切ると、佑也が声を漏らす。
後ろから首を伸ばして見てみると、目の前には大きな池が広がっていた。
余程深いのか見渡す限りの青い池で、頭上を覆う木々から差し込む光の角度のせいか、神秘的な雰囲気を醸し出している。
ただ、足元から這い上がるような嫌な気配が辺りに立ち込め、水場ということを差し引いてもじめじめして澱んでいる。
原因は何かと池の周りをグルリと見回すと、古びて朽ちかけた祠がポツンと佇んでいた。
…原因はこれか…
どうも随分前に祀られなくなって忘れられた神様の祠のようだ。
しかし、今その祠は空っぽだった。
信仰を得られなくなって場所替えしたわけでもないようで、わずかに神様らしい気配は残っている。
どうも、このあたりに漂っていた思念体や木や石の精のようなか弱いものと一体化し、どうにか存在を保とうとしたようだ。
最早神とも呼べないが、もしもの話、何か供物を捧げたなら確実に願いを叶えるだろう。そんなある意味お手軽な存在になっている。
しかしそういったものに分別や寛容は期待できない。
一度願ったなら取り消しても履行するだろうし、捧げるものも選べないだろう。
…けど、民間信仰とかでの信仰の対象になるだろうな…
願いを叶えられたとしてどんな代償を払う事になるか、そもそも願いを聞き届けると言っても、どういう意味で叶えるのか、そうした危うさがあろうとも、なりふり構わず縋りたい人間は現代でも少なからずいるだろう。
そう思うと無下にもできないが、存在の怪しいものに無闇に頭を下げるわけにいかない。
ところが、オレが物憂げに佇んでいたのが悪かったのか、爽介達もやって来て、おもむろにその前にしゃがみこんで拝む。
…日本人って、そこに祀ってあるものを知らずに、とりあえず拝むし願掛けするよな…
人によるんだろうが、街角に祠やちょっとした石像があったら、とりあえず拝む。
信心深いのは結構だが、相手が何者かも知らずに向けた信仰にさして意味があるとは思えないし、そもそも日本人は怨霊を神に祀り上げることで、その崇りを鎮める文化の持ち主だ。
…まぁ、怨霊ったって、時の為政者の差し金で実際はそう悪人でも無い人の方が多いんだろうけど…
池を離れると開けた場所に出て、いくらか気が楽になった。佑也は地図を地面に広げ、コンパスと睨めっこする。
しかし、ずぐに「げ」、と蛙が潰れたような声を漏らす。
「…どうした」
「コンパスがいかれやがった」
見るとコンパスの針がふらふらと頼りなく揺れている。
そういや、この辺りには休火山があって、昔の噴火の名残で磁力を含む固まった溶岩が一帯の地中に埋まっているって聞いたことがある。
「…よくわからんが、とりあえず北がわかりゃいいんだろ?」
「ああ。そうだが何を…」
佑也に答えずに少し高い足場に移動し、太陽の位置を確かめる。
太陽に背を向け、出来た自分の影に短針を合わせ、長針との丁度真ん中に真っ直ぐ伸ばした方向が北だ。
他にも太陽と腕時計の短針を合わせる方法もあるんだが、太陽を直視できないから、こっちの方が使い勝手がいいし確実だ。
「…お前。方向が分かる方法を知っているのに方向音痴ってどういうことだよ…」
「オレの場合、位置関係が掴めないんだよ」
だから地図を見ても道に迷う。
親父はああ、もっともらしいことを言っていたが、もう単に方向感覚と位置把握能力が無いだけなんじゃないか?
佑也がマッピングする間、腹が減ったという爽介に持参の携帯食料を投げ、ついでに自分も腹ごなしをする。
とここでふと神様の気配がしないのでお伺いを立てると、オレに背を向けて体育座りしていた。
地面に『の』の字まで書いた、わかりやすいいじけ具合だ。
…どうもさっき池の畔にいた神様の名残に同情したから拗ねているようだ。
そろそろ引き揚げようかと思ったが、昨日の今日ならぬさっきの今で祠の側を通るともっと臍を曲げそうだ。
だったら、まだ安全圏のようだから、もう少し奥に分け入って神様の機嫌が直るのを待とう。
そう判断した。
…神様は自分のつまらない嫉妬でオレにそう判断をさせた事を、引き返せる最後のタイミングを逃させてしまった事を悔いているようだが、こればかりはどうにもならなかったと思う。
オレだって直前になるまで、自分が一体どんな所に足を踏み入れてしまったのか、本当の意味で理解していなかったんだから。
噂に反して肩透かしとも思える、ごくごく平凡な心霊スポットぶりに気が抜けていたのは、オレも神様もだった。
その結果があの体たらくだ。




