関係の否定はサプライズにはなりにくい
お題をいただいたうえでそれに沿って書く、というのをしてみたことで、何もなかったらおそらくは書かなかったであろう内容のミステリを三話書くことになりました。(潜水館から歪杯まで)
それをしていく中でこちらとしても学んだことがいくつかあったため、これを文章化して整理、備忘録とするためにも、こちらに書いておこうと思います。
まずは今回のこちら、「関係の否定はサプライズにはなりにくい」です。
サプライズについては、そのままの意味ですが、これまでに書いているように、これがミステリにとっては重要な要素であると考えています。真相が出た時に読者が「あー、やられたー」と思ってもらうのがいいミステリだ、という価値観だという話ですね。
さて、それに関係の否定は寄与しない、少なくともしにくいのではないか、というのが今回の持論です。
・絶対に関係あると思われていたAとBは実は無関係だった。
これは、書き方的に絶対に関係あるはずだと思わせておいて、そしてその関係を前提として話が進んで、それで最後の最後に実は関係ありませんでした、関係あるのはCでした、という話にしてもそれはサプライズになりにくい。「ふーん」で終わる、ということです。
・関係ないと思われていたAとBが密接に関係していた。
こっちはサプライズになることを考えると、なかなか不思議な現象のような気もしますが、そういうことです。読む側としても書く側としても、どうも関係の否定はサプライズにはなりにくいのが現実だと思います。
これは、完全に関係がなくなる、というのではなく、関係が弱くなる、というパターンでも同じことが起きます。密接に関係していると思われたものが、緩やかな関係だった、というようなものでもですね。
さて、そうなると「連鎖殺人」であることはサプライズにはなりにくいのではないか、という気がしてきます。
連続殺人が「犯人がAを殺し、Bを殺し、Cを殺す」というものであるのに対して、連鎖殺人は「犯人がAを殺し、それが原因で別の犯人がBを殺し、それが原因で更に別の犯人がCを殺す」という構造です。
殺人事件が連続で起こった場合、当然読者は犯人が連続して事件を越こしたのだ――つまりそれぞれの事件は「犯人が同一」という関係だと思っています。で、それが否定されて「それぞれの事件がそれぞれの事件の原因になっている」レベルの事件になると、関係性が想定より弱くなる、わけです。
となると、「ああ、犯人が別だったのか!」というサプライズには、なりにくい気がします。
ここで強調しておきたいのは、だからと言って「関係の否定」を仕込むのはまずいわけではない、ということです。むしろ、「実は関係が弱かった、もしくはなかった」パターンは読者へのミスリードとしてはかなり効果的な気がします。しかし、それ自体はサプライズになりにくい。つまり、読者をあっと言わせる、大ネタ(前提を覆すやつ)は別につくらなければならないんでしょう。
連鎖殺人についても同じで、「連続殺人だとしたら摩訶不思議なことが実は連鎖殺人でした。そして連鎖殺人だとしたら不思議でも何でもありませんでした」では、サプライズとしては機能していないと考えられます。連鎖殺人だった+それによって成立する大ネタ、という形でないと少なくともこちらの思う良いミステリ、にはなりえないのかなあ、と。(なので、連鎖殺人を扱ったとてもよくできたミステリが存在することは大前提です)
逆に言うと、サプライズとしてあり得るのは「関係の発見、強化、変化」だと思います。
つまり「無関係だと思っていたものが実は密接に関係していた」「ちょっとした関係だと思っていたものがもっと密接に関係していた」「こういう関係だと思っていたものが実は全く違う関係だった」というパターンです。
こっちを本ネタとして仕込むならばうまくいくでしょう……っていうか、そりゃそうなんです。ミステリのトリックって大体が「関係の発見、強化、変化」という観点から解釈可能ですから。ようするに「この要素とこの要素とが関係していた」とか「実はこういう関係だった」とかでミステリのトリックは語ることができるんですけど、その中で関係についての否定、弱化というネガティブ方向だけはサプライズになりにくいので気を付けた方がいい、というくらい。
関係の否定自体をメイントリックに据えない、ということを前提に考えるべきでしょう。(サブとかなら全然アリなんだと思います)




