NO.1 死にゲー転移
夜だった。
雨が降っている。
靴底が水溜りを蹴り、泥水が跳ね上がる。
荒い息が、喉を焼く。
どれだけ走ったのか、もう分からない。
ルカは、振り返らない。
ただ強く、私の手を強く引いていた。
――どうして。
視界が、途切れる。
高い壁。
行き止まりだった。
腕が引かれる、体勢が崩れる。
次の瞬間、ルカの胸に背中がぶつかった。
首に、腕が回る。
こめかみに、硬いもの。
銃口。
「動くな」
「動けば撃つ」
低い声。
視線の先で、仲間たちが止まる。
そして怒号。
「お嬢様をはなせ!」
「裏切り者」
ルカは銃口をさらに突きつける。
恐怖で立っていることも難しい。
――どうして裏切ったの。
「……来るな」
低く、押し殺した声。
銃を持つ手が震える。
瞬間。破裂音。
鼓膜を叩き割るような音。
同時に、衝撃。
首元にどろり、と温かいものが落ちてくる。
——私は、ルカに殺されたんだ。
力が抜け、足から崩れ落ちる。
視界が、揺れる。
——どうして。
遠くで、誰かが叫ぶ。
でも、もう何も聞こえない。
手足は言うことを聞かない。
薄れゆく意識の中、水溜りに映った街の光だけが雨粒で揺れていた。
***
目を開けた瞬間、違和感があった。
見覚えのある天井。
白い壁に、柔らかい色のカーテン。
窓から差し込む光の角度。
ゆっくりと上体を起こすと、だんだんと脳がはっきりとして来た。
視線を巡らせる。
小さな机。
花の飾られた花瓶。
壁際のクローゼット。
「……リヴィアの、部屋か」
ここは。
あの乙女ゲームの中だ。
没入型の、フルダイブ。
匂いも、温度も、触れた感触も、全部再現される。
現実とほとんど変わらない、あのゲーム。
「……昨日」
記憶を辿る。
寝る前にヘッドセットをつけて、ベットに横になった。
そしてゲームをしていたが——
「ログアウト、し忘れた……?」
ぽつりと呟く。
そのまま寝落ちしたのかもしれない。
このゲーム、やたらと集中するし。
気づいたら時間が飛んでることも多かった。
「そろそろ起きないとか」
両目をとじて、ログアウト動作に入る。
「セーブします」
そして目を開ける。
が、メニューが出てこない。
「……あれ」
もう一度。
同じ動作を繰り返す。
「……え」
反応がない。
彼女の手は何度も空を滑った。
「……バグ?」
何かトラブルがあれば、視界の端でメッセージが表示される。
今までこんなことは無かった。
何度試してもホーム画面は出てこない。
「……なんで」
指先が、わずかに震えた。
彼女は混乱した頭で必死に考える。
そして、勢いよくベットから飛び出し鏡の前に行く。
漆黒の美しい髪と白い肌。
そして、ルビーのような赤い瞳。
主人公リヴィア。
彼女はしばらく動けずにいた。
このゲームの舞台は。
裏社会。攻略対象は、全員危険人物。
分岐がものすごく多くて、一度もクリアしたことがない。
攻略に近づくほど死亡率が高くなる鬼畜仕様。
こんな世界に。
――閉じ込められたってことなの?
思わず、苦笑が漏れそうになる。
今までは、ゲームだから楽しくプレイ出来たのだ。
死亡エンドと言っても、ほかの感覚と違って痛みだけは共有されない。
だからこそ、危険な恋という魅力にみんな熱狂していたのだ。
彼女はハッとして、鏡の中のリヴィアを見る。
そして。
――バシッ。
自分の手で頬を思いっきり叩いた。
「…………痛い。」
どうして。
これがゲームだったなら。
痛みなんて感じないはず。
私はもう“リヴィア”になってしまったのか。
喉の奥が、ひやりと冷える。
思い出す。
さっきの夢。
選択を間違えれば、ああなる。
コンティニューもない。
彼女はゆっくりと息を吐く。
全部は覚えていない。
分岐も、条件も、曖昧な部分が多い。
けれど、何も知らないわけじゃない。
危険なルート。
回避できる選択。
断片的な知識。
それらは、確かに残っている。
攻略対象たちと距離を取りつつ、それを使うしかない。
――生き残るために。
***
リヴィアが呆然と鏡の前に立ち尽くしていると、扉を叩く音がした。
「お嬢様。ボスがお呼びです」
ハッとする。
アルド・ヴァレンティーノ。
ヴァレンティーノファミリーのボス。
そしてリヴィアの父親。
彼の命令は絶対。
背けば死亡エンド一直線だ。
身支度を整え、部屋を出る。
磨き上げられた床。整えられた装飾。
死と隣り合わせのゲームなのに、屋敷の中は落ち着いている。
だが、ここは安全ではない。
ゲームの舞台的に、今は抗争の真っただ中だ。
足を止めることなく、執務室へ向かう。
扉の前で一度だけ呼吸を整え、ノックする。
短い返答。
「入れ」
扉を開ける。
アルドは机に向かい、書類に目を落としている。
リヴィアが数歩前に進むとゆっくり視線をあげた。
その目は穏やかなのに、底が読めない。
リヴィアを大切にしているが、ファミリーのためなら切り捨てる冷酷さもあるキャラだ。
「来たな」
短い言葉。
アルドは机の上の書類を一つ手に取ると、軽く指先で叩いた。
「近頃、ベルティーニファミリーとの緊張状態がつづいている」
「クロウの元で情報を仕入れてこい」
――クロウ。
ノア・クロウ。
このゲームの情報屋だ。
どのファミリーにも属さず動く存在。
ストーリー的に、私たちヴァレンティーノとベルティーニの抗争の最中、様々なイベントが発生する。
ノアももちろん攻略対象の1人だ。
「分かりました」
リヴィアは一礼し、部屋を出る。
扉を閉めた瞬間、わずかに息を吐く。
――ノアに会いにいく。
記憶が引っかかる。
これは、イベントの一つだ。
抗争が激化し始めるタイミングで発生する、分岐のある場面。
そして。
脳裏に浮かぶ、断片的な選択肢。
確か、移動手段で結末が変わったはず。
――車での移動は、死ぬ。
正解のルートは地下鉄だ。
リヴィアは一度部屋に戻り、出掛ける準備を始めた。
そして部屋の扉を開ける。
そこにいたのは――。
ルカ。
私のボディガード。
背は高いが、威圧感はない。
淡い茶色の髪が無造作に流れ、額にかかる前髪が視線をわずかに隠していた。
視線が合う。
ほんの一瞬だけ、時間が止まったように感じた。
ルカは軽く姿勢を正す。
「おはようございます、お嬢様」
抑揚の少ない、いつもの落ち着いた調子。
――この人が、ルカ。
――そして、自分を撃ち殺す男。
胸の奥が、わずかに強張る。
相手は攻略対象であり、危険人物だ。
リヴィアは自然に頷く。
「おはよう、ルカ」
声は落ち着いている。
自分でも驚くほど、普段通りに出せた。
まだ、今朝の夢の感覚が残っている。
首筋に流れる温かな感触。
だが、時は待ってはくれない。
行動しなければ。
「出る準備をして。情報屋のところに行く」
「承知しました」
簡潔な返答。
そのまま歩き出すと、ルカが一歩後ろにつく。
いつも通りの距離。
屋敷の門を出ると、黒塗りの車が用意されているのが見えた。
あれに乗れば――死ぬ。
確信に近い感覚がある。
足を止めず、リヴィアは口を開く。
「今日は、地下鉄で行きましょう」
「車だと目立つし、時間も読めないわ。今は動きやすい方がいい」
一瞬の間。
ルカはリヴィアを見る。
突然の提案で不自然に思われたかもしれない。
だが特に反対はなかった。
「……分かりました」
あっさりと、選択が通る。
リヴィアは内心でわずかに息を吐く。
――これでひとまず、死亡ルートは回避出来た。
少しだけ足取りが軽くなる。
屋敷を離れ、街へ出る。
人の流れに紛れるようにして、地下鉄へ向かった。
階段を降りると、空気がわずかに湿っている。
電車はすぐに来た。
ドアが開き、流れに乗るように車内へ。
リヴィアは吊り革に手をかける。
ルカは周囲に目を配らせながら、半歩後ろに立つ。
電車が動き出す。
車内に、特に異変はない。
通勤客、買い物帰りの人、雑談する声。
ただの、日常。
リヴィアはもう一度、ゆっくりと息を吐く。
――大丈夫。
このルートは、安全だった。
それなのに。
何かが、引っかかる。
理由のない焦燥感。
次の瞬間。
何人かの男が動いた。
距離を詰めて、懐に手を入れる。
同時に、ルカがリヴィアの腕を強く引く。
体が引き寄せられた直後、鋭い音。
銃声。
すぐ近くの空気が裂け、悲鳴が上がる。
車内が一気に崩れる。
人が押し合い、逃げ場を求めて動く。
ルカはリヴィアを背にかばいながらもう一方の手で銃を撃つ。
ためらいなく、引き金が引かれ、一人、また一人と倒れていった。
狭い空間の中で、確実に敵を排除していく。
リヴィアは動けない。
ただ、息を詰めて、その背中を見る。
――何がおこっているの。
このルートは安全だったはずなのに。
記憶違い?
リヴィアの動揺をよそに、ルカは敵を残らず排除した。
車内にはもう、リヴィアたち以外死体しかない。
ほかの乗客は別の車両に移ったようだった。
これが、現実のルカ。
ゲームの中で見ていたものよりも、ずっと鮮明で、容赦がない。
ルカはゆっくりと銃を下ろす。
周囲を確認する視線。
リヴィアは、やっと呼吸を取り戻す。
胸が苦しい。
心臓がうるさい。
手が震えている。
もしルカがいなければ、今ここで死んでいた。
その事実が、はっきりと理解できる。
同時に。
胸の奥に、別の記憶が重なる。
雨の夜。
額にあてられた硬い銃口。
――この人に、撃たれて死んだ。
その記憶だけが、消えない。
リヴィアはゆっくりと目を閉じる。
そして、思考を整える。
次の駅で電車が止まると、ドアが開く前から人が出口へと殺到した。
係員の声も、ほとんど意味をなさない。
車内の混乱は、収まるどころかホーム全体に広がっていった。
悲鳴。
怒号。
何が起きたのか分からないまま、押し合う人の波。
巡回中の警官が事態を聞いて駆けつけてきた。
ルカは彼らを避けるように、別の車両に移りホームへと出る。
「怪我はありませんか」
リヴィアの手を引き、騒ぎから遠ざかる。
リヴィアはすぐに答えられなかった。
まだ恐怖で手が震えている。
死にかけた。
さっきまでの出来事が、現実だったのか信じられない。
だが、銃声が耳にこびりついている。
「俺から離れないでください」
地下のホームから、地上に出る。
そこには人だかりができ始めていた。
ルカはその間を縫うように進む。
手は繋がれたままだった。
少し騒ぎから離れた所でルカは立ち止まった。
「一度屋敷に戻りますか?」
心配そうな瞳。
リヴィアは言葉に詰まる。
このまま帰った所で、父の指令を達成出来ない。
ファミリーの役に立たない娘は殺される運命だ。
先ほどまでの恐怖はまだ胸を満たしている。
だが立ち止まってはいられない。
この世界で生き残るには、自分がいかに有益であるかを見せなくては。
「大丈夫」
「予定通り向かいましょう」
ルカは少しなにか言いたげだったが、すぐに頷いた。
「かしこまりました」
「では、ここから一駅ほど歩きます」
ルカは周囲を警戒して歩き出した。
***
視線の先に、小さな建物が見える。
看板も人の出入りもない。
情報屋。
この抗争の裏側に通じる場所。
ルカが扉を開ける。
中に入ると、薄暗い空間が広がっていた。
雑多に置かれた書類や機材。
こもった空気。
そして。
「いらっしゃい」
軽い声。
奥の椅子に座っている男が、こちらを見た。
ノア。
表情は柔らかいのに、どこか掴めない。
瞳は覗き込めば、そのまま引き込まれそうなほど深かった。
――この人も、攻略対象だ。
だが、あまりゲームで関わった記憶がない。
ノアは軽く笑う。
「珍しいね。ボスの娘が直々に来るなんて」
視線がリヴィアに向く。
ファミリー間の抗争は既に火がつきかけている。
激しくなればなるほど、巻き込まれる確率は上がり、死亡ルートも増える。
つまり。
抗争そのものが、死に直結している。
ならば抗争を止めるしかない。
分岐も正解も分からない相手と近づくのはリスクが高い。
だが、生き残る確率を上げるためにもこの男を利用しなくては。
「教えて欲しいことがあります」
リヴィアは覚悟を決めて、進みだした。




