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第一話(2)

 春、新学期を迎えた教室の窓辺に、心地よい日差しとそよそよとした風が流れ込む。

 校門への坂道を、桜の花びらが飾っていた。思えば入学式には最高のシチュエーションだったな。

(むにゃむにゃ……)

 夢見心地に、俺はあの受験の日に見送った莉緒の顔を思い出していた。

 りこがスマホでパシャリと不意打ちして、莉緒はちょっぴり怒ってた。最近、写真嫌いな莉緒……あんなことがあったから、写されるのに拒否感があるのも当然か。

 昔は、もっと自然に笑ってたのになぁ。

 ……あんなことさえ……思い出しそうになる記憶を遠くに追いやろうと、まどろみに舞い戻る。

(むにゃむにゃ……)

「葉月……葉月(はづき)(はる)()!」

「ふえっ?」 自分の名前に反応して、夢から現実に引き戻される。

 目の前に立っていたのは、出席簿を持った担任教師。こつん、と額に軽く出席簿を当てられてようやく目が覚める。新学年、新学期の新担任と、新が三つもついて、まだなじみが薄い。先生も叱り方がちょっと遠慮気味。

「入学式の時間だ。新入生を出迎える先輩が式の最中にあくびなんかするんじゃあないぞ」

 まったく、新学期早々、肝が太いんだか気が緩んでるんだか……そんなぼやきを残しながら、先生はさっさと廊下に出ていった。

(あー……やっちまった)

 そうだ、今日はホームルームのあと入学式だ。俺たち新二年生も、新しいクラスごとに整列して体育館での式に出なきゃいけない。教室を見回すと、もうみんなぞろぞろと教室を出て廊下を歩いている。薄情者め。

 廊下の先を行くみんなのあとに追いついて、体育館に入っていく、というところで俺は袖を引っ張られた。

「葉月くんはこっちだよ」

 制服の袖を引っ張ったのは、小柄なショートカットの女子。見覚えはない。たぶん、進級して初めて同じクラスになった子だ。

「な、何か用?」

「葉月くんは寝てたから、罰当番で私と新入生のお出迎えだよ。先生が、葉月にやらせろー、だって」

 ぐぬう。反論する間を与えないとは卑劣な。脳裏にガタイのいい担任を思い返す。なんという名前だったっけ。

 が、まずは新たなクラスメイトと最低限の交流を図らねば。

「えっと、俺たち初めてだよね」

 彼女は、一瞬の沈黙の間に、俺を見上げた。何かもの言いたげ、と思ったのは気のせいか。

「小倉美帆です。よろしくね」

「小倉さんも、罰当番?」

「私は去年も担任の先生が同じだったから、頼まれたの」

 そうか。まじめな女の子が俺と同じく居眠りはしないよな。小倉さんを困らせても仕方ない。

「ふむ、いっちょ先輩面しますか」

 両手でぴしゃりと頬を打って眠気を飛ばした。

 体育館の入口では、すでに各クラスから駆り出された生徒が動いていた。生徒会役員の指示で、手際よく長テーブルとパイプ椅子を並べている。

 準備を終えて配置につくと、新入生を待つ。

 新入生の名前を名簿からチェックして、紅白のリボンを胸につけてやるのが俺たちの役割だ。

 最初から配っとけばいいじゃん、とかボヤくやつもいたが、やさしい先輩ムーブと、温かく迎えられてる感が必要なんだよ。入学式ってのは、儀式だからな。

 やがて、きっちりスーツで決めた担任の教師たちに引き連れられて、新一年生たちがやってきた。教師もだが、一年生たちはいっそう緊張の面持ち。

 事前の打ち合わせ通り、女子生徒は女子の係の列、男子は男子の係へと並ばせる。

 俺は何人かの、まだ中学生っぽさが抜けない男子生徒たちの胸にリボンをつけてやった。

「次の人」

「……はい」

 名簿の次の名前を確認している俺に、澄んだ声が返事を返してくれて、俺は見上げた。

「葉月莉緒です」

 綺麗な微笑みに、俺も微笑んだ。

 そう、あの日受験した莉緒は、見事この青陵学園に合格したのだった。

「入学おめでとう」

 俺は、莉緒のブレザーの胸元に、リボンの安全ピンを丁寧に通す。ちょっとだけ手の甲が胸にあたって、くすぐったそうに莉緒が身をよじる。少し恥ずかしそうだ、とはこの時の俺には気づけなかった。

 うん、これが女子生徒相手だと、ちょっと気まずいな。だから男女別の列なんだな。莉緒のリボンをつけるのが俺でよかった。誇らしい。あと、他のやつにはやらせられん。

 リボン、ゆがんでないよな。ネクタイも、平気か?

 俺は莉緒の身だしなみをチェックした。むろん、俺がチェックするまでもなく、完璧だ。

 莉緒はほんの少し目線を逸らしながら、かすかに笑ってみせた。

 その笑みは柔らかかったけど、どこか——遠くを見ているようにも感じた。

「に、兄さん……恥ずかしいよ」

 周囲で、「誰あの綺麗な子?」とか、そんなざわつきが聞こえる。男子の制服を着ているから、反応は主に女子からだったが、男子のなかにも何かに目覚めそうな視線がちらほら。男子はまあ、どうでもいい。

 ふふ、どうだ。これが俺の弟だ。

 俺は高らかに自慢したいのをぐっと我慢した。

 それにしたって女子はともかく、男子の目線を男子が集める、という点においては莉緒の心情は複雑なはずだ。男の子なのだから。

 そういう反応はしばらくの間、莉緒の行く先々で起こった。

 まずは入学式を皮切りに。

 新入生の入場では、在校生たちの視線がかわいい後輩たちを品定めするかのように見る。まあ仕方ない。これから学校生活を共にするのだから、見てしまうだろう。そこに美醜の好みを、口にせずとも脳裏に思い浮かべるのは止められない。

 新入生全員が着席し、式が本格的に始まるまでの間に起こったざわめきは、口にせずにはいられなかった者たちの声。

「すごい綺麗な子がいるよ」 「まじ、超好み」 「え? 男の子? 女の子?」

 入学式が終わり、全校生徒がそれぞれ教室に入る段には、物見高い連中が遠回りして一年の教室を覗いてくる始末。

 俺が自慢なんてしなくても、入学式から最初の週末までには、美少女男子生徒の噂で持ち切りになっていた。

 男子の制服を着ているから、女子も男子も距離感を計りかねている。遠巻きにして、ちょっと様子を見るように話しかけたりするくらいだ。

「ねぇ、うちの学校って、女子も男子の制服を選べるようになったんだっけ?」

 そんな声まで挙がり始めていた。

 そして週末、莉緒が入学して初めての金曜日、俺は莉緒と家路を共にした。

 バスに揺られ、バス停からわが家への道のりを歩く。日が落ちるのがまだ早い季節だ。

「学校は、どうだ?」

 莉緒は少し首をかしげて答える。

「うん……まあ、普通……かな。ちょっと騒がれたりするけど、クラスの子たちは優しいよ」

「そっか。まあ、目立つのは仕方ないよな」

(本当に、これだけ綺麗な顔立ちをしてたら、そりゃ誰だって見ちゃうよな)

「でも、やっぱりちょっと緊張するよ。みんな僕のこと、どこまで知ってるんだろうって……」

 莉緒は緊張と言い換えたが、それは不安なのだ。できるなら取り除いてやりたいのだけど。

「気にするな。誰だって最初は探り探りだし、お前のことをちゃんと見てくれるやつもいる」

 どうにもうまい言葉は見つからない。

 莉緒は俺の言葉に頷いた。心を奮い立たせているようにも見える。

「あと、来週から体育の授業はじまるんだ……着替え、どうしようかなって」

 莉緒のその相談は、莉緒の体のことを知る俺にも、その深刻さが伝わった。

 莉緒の体のこと。それはうかつに話せない事情があった。

「職員トイレとか、使えないかな。ちょっと面倒だけど。普段も心配なら、そっちを使わせてもらえばいいかもしれない」

「そ、そうだね。そうする」

 莉緒は、相談して良かった、とほっとした様子だった。

 俺は莉緒の肩を軽く、ぽん、と叩いた。

 励ますつもりで叩いたまま、肩に手を乗せていたけど、莉緒の視線は下に落ちたままだった。




 なんとしても、高校生活に莉緒が馴染めるようサポートしなければ。入学一週目は、無事に終わった。すでに俺の気持ちは来週へと意気込んでいた。夕飯をもりもり食って、一番風呂をいただいて、早々に布団に入る。

 莉緒は机で勉強。階下の居間からテレビの音が聞こえてくるのは、りこだな。

 俺はお構いなしにぐうすか就寝。

 夜半、寝返りを打った自分の動作で、ぼんやりと半覚醒。

 和室の蛍光灯は真っ暗になっていた。

 莉緒が消してくれたんだろう。俺は寝るときは真っ暗にする派だから、夜中の兄妹部屋は、長男の好みでいつも真っ暗だ。

 暗闇の中、隣の布団で苦しそうな寝息が聞こえる。俺は焦らない。驚きもない。

 うなされている莉緒の寝息は、何度も聞いている。そう、莉緒がうなされているのだ。

 ときおり、やめて、やめてと悲痛な寝言をつぶやくのも過去に聞いたことがある。

 それを、慣れてしまっている俺がいる。でも、冷たく突き放しているわけではない。むしろ、俺も悔しさを思い出す。それをそっと閉じ込める。今は莉緒に眠りを、と思うからだ。

 布団の上から軽く、とん、とん、と胸を叩いてやると、いつしか、莉緒の寝息は穏やかになった。これもいつもの儀式のようなもの。

 穏やかな莉緒の寝息につられるように、俺もまたいつしか眠ってしまっていた。


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