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導きの灯り〜阿門甲斐吽〜  作者: 阿門 甲斐吽


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【第19話】黄昏の境界


 四月(しがつ)(はい)り、鹿児島(かごしま)市内(しない)気候(きこう)はすっかり(おだ)やかな(はる)陽気(ようき)(つつ)まれていた。


 桜島(さくらじま)噴煙(ふんえん)はうららかな青空(あおぞら)()()(たか)(のぼ)り、天文館(てんもんかん)街並(まちな)みには新生活(しんせいかつ)(はじ)めた人々(ひとびと)活気(かっき)ある足音(あしおと)(ひび)(わた)っている。


 季節(きせつ)確実(かくじつ)(めぐ)り、(あたら)しい物語(ものがたり)(はじ)まりを()げるかのように(あか)るい(ひかり)()ちていた。


 市電(しでん)がガタンゴトンとレールの(おと)(ひび)かせて(とお)()ぎ、(まち)新年度(しんねんど)活気(かっき)と、どこか()()つような(かろ)やかな空気(くうき)(つつ)まれている。


 その(はな)やかな大通(おおどお)りから一歩(いっぽ)(わき)()れ、(ふる)雑居(ざっきょ)ビルが(かた)()()(しず)まり(かえ)った路地裏(ろじうら)


 看板(かんばん)もなく、表札(ひょうさつ)すら(かか)げられていないその(くろ)板壁(いたかべ)(いえ)は、相変(あいか)わらず周囲(しゅうい)喧騒(けんそう)遮断(しゃだん)するようにひっそりと(たたず)んでいた。


 かつて柏木(かしわぎ)(みなと)()()んだ時空(じくう)(ゆが)みや、一族(いちぞく)因果(いんが)(めぐ)(はげ)しい(あらし)(うそ)のように、(いま)はただ静寂(せいじゃく)沈香(じんこう)(かお)りが空間(くうかん)()たしている。


 アスファルトの()(かえ)しが(つよ)くなる昼間(ひるま)(あつ)さとは裏腹(うらはら)に、この路地裏(ろじうら)一角(いっかく)だけは、いつでもひんやりとした(ふる)()(かお)りと、どこか(なつ)かしい(ほこり)っぽさが()ざり()った独特(どくとく)空気(くうき)(なが)れていた。


 円卓(えんたく)(うえ)では、一筋(ひとすじ)蝋燭(ろうそく)(おだ)やかな(ほのお)()らしていた。


 阿門(あもん)甲斐吽(かいうん)は、その薄暗(うすぐら)部屋(へや)(おく)から(しず)かに姿(すがた)(あらわ)した。


 (かれ)双眸(そうぼう)には、いつもの底知(そこし)れぬ(ひかり)だけでなく、どこか(とお)くを見据(みす)えるような(ふか)思索(しさく)(いろ)宿(やど)っている。


 ()には(ふる)びた数珠(じゅず)()ち、ゆっくりと(ゆび)(あいだ)()りながら、(かれ)壁際(かべぎわ)()るされた無数(むすう)民族調(みんぞくちょう)仮面(かめん)や、天井(てんじょう)から()がる(かわ)いた植物(しょくぶつ)()れに()をやった。


 それらの(ふる)びた道具(どうぐ)魔除(まよ)けたちは、これからこの(いえ)(おとず)れる(あら)たな相談者(そうだんしゃ)気配(けはい)察知(さっち)したかのように、わずかにざわめくように()れていた。


 あれから数週間(すうしゅうかん)個人(こじん)(まよ)いを()()(もの)も、過去(かこ)因果(いんが)()()えた(もの)もそれぞれの現実(げんじつ)へと(もど)っていき、この(いえ)には(ふたた)(しず)かな時間(じかん)(なが)れていた。


 (たちばな)翔平(しょうへい)職場(しょくば)(あら)たな部下(ぶか)(ひき)いて着実(ちゃくじつ)実績(じっせき)()(かさ)ね、柏木(かしわぎ)(みなと)もまた祖父(そふ)(のこ)した手帳(てちょう)()がかりに、自分(じぶん)(あし)(あたら)しい仕事(しごと)()()(はじ)めている。


 それぞれの場所(ばしょ)で、(かれ)らはこの(いえ)()()づきを(むね)に、しっかりと現実(げんじつ)()きていた。


 しかし、甲斐吽(かいうん)直感(ちょっかん)()げていた。


 この平穏(へいおん)(なが)くは(つづ)かない。


 鹿児島(かごしま)という(まち)表層(ひょうそう)(した)で、(あら)たな因果(いんが)波紋(はもん)(ひそ)かに(ひろ)がり(はじ)めていることを、(かれ)(はだ)(かん)()っていたのだ。


 人間(にんげん)欲望(よくぼう)後悔(こうかい)、そして(かく)(とお)せない秘密(ひみつ)というものは、どれだけ(とき)()っても()えることはなく、(かたち)()えて(ふたた)(めぐ)ってくるものだった。


「……そろそろ、(うご)()(ころ)か」


 甲斐吽(かいうん)(ひく)(つぶや)いたその(とき)(そと)路地裏(ろじうら)から、トントンと(ひか)えめでありながら、どこか(あせ)りを()びたノックの(おと)(ひび)いた。


 これまで(おとず)れたどの相談者(そうだんしゃ)とも(ちが)う、(しず)かで、しかし切迫(せっぱく)した(ひび)きを()ったノックだった。


 (あら)(あら)しく()()けられるのではなく、(おそ)(おそ)るスライドさせられるように、(ふる)びた木製(もくせい)()()重苦(おもくる)しい(おと)()てて(ひら)いた。


 その摩擦音(まさつおん)は、まるで(なが)(あいだ)()ざされていた(こころ)(とびら)無理(むり)やりこじ()けられるような、そんな不気味(ぶきみ)余韻(よいん)(のこ)していた。


「……あの、すみません……」


 隙間(すきま)から()()んできたのは、(はる)夜気(やき)と、どこか()ややかな不安(ふあん)(にお)いだった。


 そこに()っていたのは、三十代(さんじゅうだい)前半(ぜんはん)女性(じょせい)――相沢(あいざわ)真由美(まゆみ)だった。


 トレンチコートに()(つつ)み、その顔面(がんめん)(あお)ざめ、両手(りょうて)でしっかりと(かか)()んだ(ふる)革製(かわせい)のトランクケースが(こま)かく(ふる)えている。


 彼女(かのじょ)双眸(そうぼう)には、(ふか)絶望(ぜつぼう)と、(だれ)にも()えない秘密(ひみつ)(かか)()んだ(もの)(おび)えが色濃(いろこ)(にじ)んでいた。


 コートの(すそ)には(すこ)(どろ)()ねており、彼女(かのじょ)がここへ辿(たど)()くまでにどれほど(まよ)い、どれほど(おび)えながら(ある)いてきたのかを物語(ものがた)っていた。


「……相沢(あいざわ)真由美(まゆみ)


 甲斐吽(かいうん)(しず)かにその名前(なまえ)()げると、真由美(まゆみ)はビクリと(かた)(ふる)わせ、薄暗(うすぐら)部屋(へや)(おく)()(おとこ)姿(すがた)確認(かくにん)して(いき)()んだ。


 心臓(しんぞう)鼓動(こどう)早鐘(はやがね)のように()(ひび)いているのが、(しず)まり(かえ)った部屋(へや)(なか)でも()こえるほどだった。


「な、どうして(わたし)名前(なまえ)が……。やっぱり、(うわさ)(どお)り……ここは、過去(かこ)未来(みらい)もすべて見通(みとお)せる場所(ばしょ)なんですね……」


 真由美(まゆみ)(こえ)はかすれ、まるで自分(じぶん)(あし)()っているのがやっとだと()わばかりに、その()(くず)れそうになっていた。


 彼女(かのじょ)(ひたい)には脂汗(あぶらあせ)がにじみ、トランクを(かか)える指先(ゆびさき)(しろ)くなるほど(つよ)()()けられていた。


 甲斐吽(かいうん)(しず)かに丸椅子(まるいす)()()いた。


 その無言(むごん)(さそ)いは、()()った彼女(かのじょ)(こころ)(つつ)()むような、不思議(ふしぎ)安心感(あんしんかん)(たた)えていた。


()える(よる)だ。(なか)(はい)りなさい。あなたがその(おも)いトランクに(なに)(かく)し、どのような(まよ)いを(かか)えてここに辿(たど)()いたのか、すべてここで()()かしましょう」


 甲斐吽(かいうん)()()いた(ひく)(こえ)()くと、真由美(まゆみ)はわずかに安堵(あんど)(いろ)()かべたが、すぐにまた恐怖(きょうふ)()ちた表情(ひょうじょう)へと(もど)った。


 彼女(かのじょ)はぐっと(くちびる)()()めると、(おも)足取(あしど)りで一歩(いっぽ)、また一歩(いっぽ)部屋(へや)のなかに(あし)()()れた。


 (あし)()()れた真由美(まゆみ)は、薄暗(うすぐら)室内(しつない)異様(いよう)雰囲気(ふんいき)圧倒(あっとう)されそうになった。


 壁一面(かべいちめん)()()くす不気味(ぶきみ)仮面(かめん)天井(てんじょう)からぶら()がる(すす)けた植物(しょくぶつ)、そして中央(ちゅうおう)円卓(えんたく)(うえ)(あや)しく()れる一筋(ひとすじ)蝋燭(ろうそく)(ほのお)


 普通(ふつう)人間(にんげん)であれば悲鳴(ひめい)()げて()()すような空間(くうかん)だったが、(いま)彼女(かのじょ)には、この()常識(じょうしき)から(はず)れたその場所(ばしょ)だけが、唯一(ゆいいつ)自分(じぶん)秘密(ひみつ)()()けられる最後(さいご)(かく)()のように(かん)じられたのだ。


 真由美(まゆみ)はおずおずと(あし)(すす)め、円卓(えんたく)(まえ)()かれた丸椅子(まるいす)(こし)()けた。


 トレンチコートのポケットから(ふる)える()()き、()ってきた(ふる)革製(かわせい)のトランクケースをそっと足元(あしもと)()いた。


 その瞬間(しゅんかん)、トランクの(なか)から、まるで()(もの)のようにかすかな脈動(みゃくどう)と、異質(いしつ)冷気(れいき)(ただよ)ってきた。


 金属(きんぞく)()()がわずかにカタカタと()り、(なか)(はい)っている何者(なにもの)かが(そと)()たがっているかのような、不気味(ぶきみ)気配(けはい)(はな)(はじ)めたのだ。


 柏木(かしわぎ)(みなと)(けん)(つづ)き、今度(こんど)は「(かく)された秘密(ひみつ)(うしな)われた記憶(きおく)」を(めぐ)(あら)たな因果(いんが)(とびら)が、(おと)()てて(ひら)かれようとしていた。


 真由美(まゆみ)(かか)えるトランクの中身(なかみ)とは一体(いったい)(なに)なのか。


 そして、彼女(かのじょ)過去(かこ)(おか)した、あるいは背負(せお)わされた秘密(ひみつ)とは(なに)なのか。


 甲斐吽(かいうん)(しず)かにテーブルの(うえ)(ぬの)(ひろ)げ、(あら)たな試練(しれん)(おとず)れを()げるタロットカードに()()ばした。


 その指先(ゆびさき)がカードに()れた瞬間(しゅんかん)部屋(へや)空気(くうき)がピリッと()()まり、歴史(れきし)歯車(はぐるま)(ふたた)(おも)(おと)()てて(まわ)(はじ)めた。





(だい) 19()(かん)





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