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 棺から出て三日が過ぎた。長い間、仮死状態だっただけでなく、もとから運動量が少なかったのか、ティアの手足にはまったく筋肉がない。霊廟を出て旅をはじめる前に、怜は筋トレが必要だと痛感した。棺を出た初日は床を這うように動くしかなかったが、手足がある程度自由に動かせるようになるやいなや、筋トレを開始した。


「ごめんね、ティア。女の子の体なのに筋肉を作るような運動をして」

〝気にしないで、レイ。ここが王都からどれだけ離れているかわからないけど、旅をするためには筋肉や体力が必要だもの〟


 ティアの了承を得られたことで、怜は腹筋を開始する。とはいっても、ほんの数回が限界だったが。自分の体だったら、何十回だってできていただけにもどかしい。これからの旅路がどれくらい困難かはわからないが、一刻も早く体を作りたい。

 王都に行ってティアにかけられた魔法を解けさえすれば、自分の体に戻れるかもしれない――怜はそう期待しながら、今度は腕立て伏せをはじめた。もちろん、まともにできず、すぐに床に頽れてしまう。

 王都であるマルメロに行くと決めたのは、棺から出てすぐに、ティアが怜の魂から伸びる糸の先に、本体があるかどうかを調べてくれたからだ。

 光魔法の使い手は、訓練次第で、他人の魂を見ることができるようになるらしい。そして、魂と肉体をつなぐ糸みたいなものも見えるそうだ。いまのティアは仮死状態ではあるが、幸いなことにそれを見ることができた。その結果、怜の魂から伸びる糸は空中でぷつりと切れていて、どちらの方向に肉体があるかわからないと言われた。

 肉体が死を迎えていたら、魂から糸は伸びていない。そして、途中で糸が見えなくなっていたということは、肉体はこの世界に存在しない可能性があるらしい。だから、怜の体は元の世界にある。自分の体に戻るための魔法を探し、ティアの仮死状態や、魔力を奪う魔法も解かなくてはならない。

 だから、旅するための体力がついてから、多くの魔法の秘密が眠るだろうマルメリアの王都マルメロに向かおうと、ふたりは決めたのだ。

 マルメロには、民のための魔法を研究する真理の塔というものがあるらしい。そこの塔主なら、きっと怜たちを助けてくれるかもしれないとティアは言った。ティアが知るかぎり、いまのマルメリアには塔主以上の魔法使いはいないとのことだ。


「それにしても、念入りすぎるよな」


 怜は、床に落ちている自分が吹き飛ばした棺の蓋をちらりと見て、うんざりした声を出した。もっとも、自分ではうんざりした声を出したつもりでも、ティアの持つ可愛い声音だと、それほどうんざりした気持ちは表れていないだろうが。

 棺の蓋には何本もの太い釘が打ちつけられていて、もしなかにいた人間に魔法が使えなかったら絶対に自力で脱出できるものではなかったし、外にいる人間でも、よほどの道具でも揃えないかぎり、簡単には開けられなかっただろう。

 無数の釘が打ちつけられた蓋を見るたびに、怜には闘志がわいてくる。足りない筋力を闘志が補ってくれるとでもいうかのように、筋トレを再開した。

 スクワットを十回終えたあと、怜は近くの棺のそばにある台に備えられた果物のひとつを手に取った。見た目や味がりんごに似ている、ポポという果実だ。長い間ものを食べていなかったティアの体が驚かないよう、ゆっくりと口に運ぶ。華奢なティアの体はポポひとつで満腹になるから、しばらく霊廟にこもっていても、お供物だけで飢えることはなさそうだ。

 それにしても、右も左もわからぬ未知の世界に来ても、ティアと意思の疎通ができるのはありがたいことだ。ポポのように怜のいた世界になかったもの以外、たとえば水や火など、共通して存在するものは、怜の頭のなかで理解できる言葉に自動的に変換されているから便利だ。


〝じゃあ、次は魔法の訓練をするわよ〟


 いくらティアが相手の魔法属性を見ることができるとしても、ひとつの体を共有しているいまの状態だと、鏡でも使って姿を映しでもしないかぎり、怜の魔法属性を調べることはできないみたいだ。なので、すでに使った風魔法や水魔法の練習をすると決めた。

 棺を水浸しにしたり、蓋を吹っ飛ばすほどの威力を見せたせいで、属性を確認せずに新たな魔法を使うのは不安だと、ティアが心配したのも理由のひとつだ。

 圧倒的に体力がないいまの体だと、筋トレをするよりも魔法の練習をするほうがラクに感じられる。自分が入っていた棺の乗った台にもたれ、怜は人差し指を立てると、水道の蛇口をイメージした。間違っても、海のように大量の水を想像しては駄目だ。ゆっくりと蛇口をひねって、少しずつ水が出る様子をイメージするのだ。


「お、いい感じ!」


 何度か水量を調整したあと、指先からちょろちょろと湧き出るようになった水に口をつけて喉を潤す。新鮮でおいしい。初めて水魔法を使ったときにはとんでもない事態に陥ったが、わりとすぐに自由に水を出せるようになった。


〝すごいわ、レイ。あなたには持って生まれた魔法の才能があるのね。魔法協会で訓練していた見習い魔法使いたちは、水を自由に操るのにもっと時間がかかったもの〟

「持って生まれた魔法の才能? そんなのないって。おれの住む世界では誰も魔法なんて使えないから、きっとティアの体を共有させてもらってるおかげだよ」

〝そうなのかな?〟


 ティアが納得していないように返事をするが、しばらくすると、気を取り直したように指導を再開した。


〝水魔法は、水を氷に変化させることもできるし、お湯にすることもできるのよ〟

「お湯!」


 お湯と聞いて、怜は喜びの声をあげた。この世界で目覚めてからというもの、同じ服や下着をずっと着続けているうえに、お風呂にも入れていない。いい加減、こんな不衛生な状態から脱却したいと思っていたのだ。


〝どうしたの?〟


 いきなり叫んだ怜を不審に思ったのか、ティアに訊ねられた。


「そろそろお風呂に入りたいと思ってたんだ。だから、お湯を出せるように魔法の腕を磨かないと」

〝……〟


 怜の言葉を聞いても、ティアの反応がない。ティアの体の主導権は怜にあるから、風呂に入る必要性を感じないのだろうか。そう疑問に思った瞬間、怜はハッとした。


「あ、ごめん! ティアは女の子だったよね」


 怜が風呂に入るということは、妹と同じ年のティアの裸を見てしまうということだと気づく。凛が風呂に入っているとき、もしうっかり覗いてしまったりしたら、いったいどれほど怒られるかわからない。下手をすれば、一年は口をきいてもらえなくなりそうだ。


〝う、ううん。謝らないで。いまはレイが体の主導権を握ってるから、お風呂に入りたいと思うのは当然だもの〟

「なるべく見ないように、手早くぱぱっと入るから! といっても、まずはお湯を出せるようにならなきゃならないし、着替えだって入手しなきゃならない。いい加減、この服も洗わないといけないし」


 怜は焦って言うと、もうしばらく風呂は我慢しようと思った。入浴後、またこの汚れたワンピースを着たくないし、かといって、ワンピースを洗ってから乾くまで、裸でうろうろすることもできないからだ。


「お風呂に入るのは、お湯を出せるようになって、着替えも入手してからにするよ」


 ティアを安心させるように言ってから、風呂を恋しく思う気持ちを頭から追い出した。


〝ごめんなさい。気を使わせて〟

「大丈夫だよ。さあ、魔法の練習を続けようか」

〝そうしましょう。あのね、魔法って、お湯を出したりとか、生活のための便利な使い方をするだけじゃなくて、攻撃にも使えるの。わたしたちが王都を目指して旅をはじめたら、魔獣に遭遇する場合だってある。そんなときのために、攻撃魔法も覚えておくほうがいいと思う〟

「魔獣? 魔獣ってなに?」

〝レイが暮らしていた場所に、魔獣はいないの?〟

「そんなのいないよ! 旅をしているときに、戦う必要なんてあるの?」

〝もちろんよ。森や街道には危険がつきもの。魔獣だけじゃなく、追い剥ぎや奴隷商人だっているんだから〟

「追い剥ぎに奴隷商人だって?」


 これは、本当に覚悟を決めて旅に挑まなければならない。いまの状態では絶対に無理だ。魔法を覚え、しっかり体づくりをしてからじゃないと、とてもではないがこの安全な場所から出ていくことはできない。


「ねえ、さっき言っていた魔獣ってなんなの?」


 恐る恐るティアに訊く。ファンタジー系のゲームに出てくるような、魔物と動物を掛け合わせたような恐ろしい生き物なのだろうか。


〝旅に出る前に説明したほうがいいわね〟


 そう前置きをすると、ティアは霊廟の外の世界について説明してくれた。

 ティアの暮らす人間界は、魔界と表裏一体なのだという。意識して行き来できるわけではないが、ごく稀に空間に歪みが生じて、魔界へと繋がる《ポータル》というものが出現するらしい。意図せずにそこを通って人間界に来てしまった魔界の生物が魔獣と呼ばれ、恐れられているとのことだ。


「こちらからも、うっかり《ポータル》を通ってしまうことはあるの?」

〝もちろんあるわよ。《ポータル》はいきなり現れるから、一歩踏み出した先がそうだったなんてこともあるんですって。まるで神隠しに遭ったように消えてしまった人々の大半は、魔界に行って帰ってこられなくなったと言われているの。なにしろ、いちど通った《ポータル》は、二度通ることができないから〟

「じゃあ、魔界に行ったら二度と帰ってこられないの?」


 もしそうなら大変だ。ふつうに歩くだけでも、一寸先になにが待ち構えているかわからないのだから。


〝いいえ、帰ってこられるわよ。《ポータル》は同時にふたつ出現するから、ふたつめを見つけさえすれば帰ってこられる。でも、《ポータル》が出現している時間はそれほど長くないし、いつ魔獣に遭遇するともかぎらないから、ふたつめの《ポータル》が消える前に通れないと、魔界をさまようことになるわ〟

「え? ってことは、そういった人たちは一生こちらには帰ってこられないってこと? ちなみに、魔界ってどんなところ? 《ポータル》を通ると、みんな同じ場所に出るの?」


 不安な気持ちで怜は立てつづけに訊く。


〝聞いたところによると、《ポータル》が通じる先はランダムみたいで、それは砂漠だったりダンジョンだったり、森のなかだったりと異なるみたい〟


 まさにファンタジー系ゲームの世界だ。怜は、自分がもっとゲームに詳しければ、きっとこの世界観にもすぐに馴染めたんだろうな、と感じた。


「外に出たら、慎重に道を選ばないといけないね」

〝でも、そうそう《ポータル》に遭遇することはないと思う。わたしだって、まだ遭遇したことないもの。それに、ふたつめの《ポータル》を見つけられなくても、偶然にも新たな《ポータル》を見つけて帰ってこられる場合だってあるみたい。ほら。魔獣だってこっちの世界にやってこられるんだから、帰る手段は絶対にあるはずよ!〟

「確実なのは、同時に現れたふたつめの《ポータル》を見つけて帰ってくるってことだね」

〝ええ、そうね。だけど、信じられないでしょうけど、希少価値のある鉱物や魔石を求めて、わざわざ《ポータル》を探して魔界に行く、腕に自信のある冒険者たちもいるのよ〟


 ゲームだったら、危険な目に遭ってもリセットできる。しかし、いま怜がいる世界は現実だ。それなのに、命懸けで危険な場所に飛び込む人々もいるのだと驚くのと同時に、危険だけどそれだけ見返りも大きいのだろうということは理解できる。


「とにかく、旅に出たら慎重に行動する! それしかないね」


 怜は自分に言い聞かせるように言葉にした。


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