序章
初投稿です
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「いったいどうしたの?」
ティアには、自分が置かれている状況がまったくわからなかった。なぜなら、ふたりの男にうつ伏せるように床に押さえつけられているうえに、なんとか顔を上げると、魔法協会でともに学ぶ友人のアナイリスが、恐ろしい顔でこちらを見下ろしているのがわかったからだ。
困惑するなか、首にひやりとした感触を覚えた直後、カチッとなにかがはまる音がした。すると、つねに体内に感じていた魔力がいっさい感知できなくなった。魔力封じの首輪を嵌められたらしい。これではなにかあっても反撃できる力を失ってしまったことになる。
「怖いわ、アナイリス。なにか言って……」
両側からつかまれている肩が痛むし、いつもとは違う友人の表情が恐ろしくてたまらない。弱々しい声で訴えてみたが、手の力は緩まないし、アナイリスは笑いかけてもくれない。
それに、薄暗い部屋の床に描かれた魔法陣は、いくつもの魔法が掛け合わせられているのか、ティアが見たこともない複雑かつ奇怪なものでぞっとさせられた。なぜ、そんなものが描かれているかもわからないし、鉄錆にも似たいやなにおいが漂ってくるのも不気味だ。赤黒い塗料で描かれたかに見えるが、もしかしたら血で描かれたもの――?
ティアが不安に思ったとき、しばらく黙っていたアナイリスがようやく口を開いた。
「まるでつぶれた虫みたいに哀れな姿ね、ティア」
アナイリスはゆっくりそう言うと、口元に歪んだ笑みを浮かべた。
「なんで、そんな意地悪なことを言うの?」
年はティアのほうが四歳も下だが、アナイリスとはともに魔法を学ぶ仲のよい関係だと思っていた。努力家のアナイリスが立派な魔法使いになるため、できるかぎりの手助けだってしてきたはずだ。つい昨日だって、新たな生活魔法を生み出すための陣を、ともに考えたばかりなのに。目の前にいるのは、ティアの知っている友人とは思えない。
「その忌まわしい銀色の髪、見るだけで吐き気がするわ。銀色を持つことで魔力量の多さを示せて、さぞご自慢でしょうね」
アナイリスは自分の美しい赤毛に触れながら、ティアを睨んだ。たしかに、体のどこかに銀色を持つ者は、通常よりも魔力量が多い。けれど、銀を持たない者だって、魔法を使うことはできるし、かなりの魔力量を有するものだって存在する。もっとも、アナイリスの魔力量は多いとは言えないが。
「これは、どういうこと……?」
ティアは恐る恐る訊ねた。
「あんたのこと、生意気だと思っていたの。年下のくせにちょっと魔力量が多くていろいろな魔法が使えるからって、いつもこっちを見下しながら、えらそうにいろいろ教えようとしたわよね。だからむかついてたのよ。あんたなんか、大魔法使いのルキアさまに遠く及ばないのに、あのお方に成り代わろうとでも思っていたの? ほんとうにうっとうしいったらなかったわ」
たとえ魔力量がほかの人より多くても、アナイリスを見下していたつもりはない。それに、すべての属性の魔法を操れる、かの大魔法使いルキアと自分を比べようなんておこがましいことなどできるはずがなかった。
ただ、自分はまだ十四歳だから、人間的に成長できていない部分も多いだろう。無意識のうちに、四つ上のアナイリスを傷つける態度をとってしまっていたのなら、そのときに指摘してほしかった。
魔法協会に引き取られ、立派な魔法使いになるためにともに学ぶ仲間たちは、アナイリス以外はティアと同い年か年下がほとんどだ。ひとつかふたつ年上の者たちもいるが、たいていの者は十六か十七歳くらいで、働き先を見つけて協会を出てしまう。なぜなら、十九歳の誕生日を迎えるまでに、協会から出ていく決まりだからだ。
「ごめんなさい。あなたを見下したつもりはなかったの。わたしの行いで気に入らないところがあったら、はっきり言って。直すようにするから」
だんだん肩の痛みに耐えられなくなってきながらも、ティアはなんとか言葉にする。
「いまさら言われたって遅いわ」
「じゃ、じゃあ……どうすればいいの?」
困惑してアナイリスを見つめたとき、彼女の背後にひとりの男がいるのに気がついた。最初から部屋にいたのかどうか、ティアには思い出せなかった。
どこかで見たことがある気がした。黒髪に闇のような黒い瞳、酷薄そうな顔立ち。ハンサムではあるが、どことなく気味の悪さを感じる。いちど見たら、ぜったいに記憶の片隅に残るようなタイプだった。
(どこで見たんだろう……)
目を凝らして男を見つめていると、見られているのに気づいた相手が、蔑むような顔でこちらを見返した。急いで目を逸らそうとしたとき、男が布包みをアナイリスに手渡すのが目に入った。その布には複雑な魔法陣のようなものが描かれている。
アナイリスは包みを受け取ると、指先で解放呪を刻んでから、そっと布を開いた。その瞬間、ぶわっと黒い靄が部屋中に広がっていく。
(あれは──?)
いまにもひびわれそうなくらい古い革表紙の本は、見たこともないものだった。表面にはどす黒い染みが付着していて、無理やりに剥がした『なにか』の皮を鞣さずに使っているかに見える。そして、禍々しい波動を発していることから、明らかに危険なものとわかった。
(まさか、禁術書?)
いままでいちども目にしたことはないが、この王国内には、さまざまな呪われた品や禁術書など、触れてはならぬものが存在するらしい。アナイリスの手にある書は、そういったもののひとつなのかもしれない。そうでもなければ、あれほど不快な気を放っているわけがない。
アナイリスが本を開くと、男の顔に笑みが浮かんだ。まるで、この禍々しいまでの波動を感じ、それに歓喜しているかのようだった。
もしあれが本当に禁術書なら、それを入手できるあの男はこの国でも高位の存在に近い人物なのだろう。そう思った瞬間、なぜ見覚えがあったのかがわかった。
数カ月前、将来的にどこで働くかを決めるために、協会の仲間たちとともに魔法使いが働ける場所をいくつか見学に行ったことがあった。うまくいけば、見学の際に気に入られ、就職先を見つけられる場合もあるのだ。とはいっても、魔法協会に属する子どもたちは十五歳になるまでは就職できない決まりだから、あくまでも将来の目安としての見学だった。
そんな見学の際に、ティアはあの男を見たのだ。
多くの魔法使い見習いが憧れる、ふたつの塔がある。
ひとつは、真理の塔。
もうひとつは、革新の塔だ。
あの男を見たのは、革新の塔で間違いない。
民のために尽くす真理の塔と違い、革新の塔はより貴族のために尽くす魔法や、危険な武器の製造を主な仕事としている。ティアにとってあまりいい印象はなかったが、協会に属す者として見学に行かなければならなかったため、仕方なく足を踏み入れた感じだった。
ティアが思っていたとおり、革新の塔を実際に見ても、やはりいい印象は抱けなかった。塔の内部は薄暗く、そこに属している魔法使いはみなぎすぎすしていた。それに、どこからともなく罵声や怒号が聞こえてきたのには、みなで震え上がった。しかも、部外者には見せられないという場所ばかりで、秘密主義なのがまるわかりだった。
ティアが将来的に働きたいと思っている真理の塔の優しく温かな雰囲気とは大違いだった。
塔の内部を案内してもらっていたとき、驚くべきことに、将来の魔法使いを歓迎するといって第一王子を名乗る者が現れた。協会の誰もが王族など見たことがなかったので、彼が王子だと言えば、それを信じるしかなかった。
そして、あの男は、第一王子と一緒にいたのだ。
そんな男が、どうしてアナイリスとともにいるのだろう。もっとも、いくら考えようと、どうすることもできない。魔術を使えないいまの自分は、ただのちっぽけな少女でしかない。押さえつける男たちを跳ね除けることすらできなかった。
「アナイリス、禁術書なんか使って、どうするつもりなの?」
「あら、見たこともないはずなのに、よくこれが禁術書だとわかったわね。さすが将来を有望視された、ルキアさまに次ぐ大魔法使い候補ね。真理の塔の塔主さまに将来を期待されるだけあるじゃない」
たしかにティアは、真理の塔へと誘われた。見学の際、塔主のシルが声をかけてくれたのだ。でも、いまはアナイリスの嘲りの言葉など気にならなかった。やはり、恐れていたとおりの本ということで、ティアの頭はいっぱいになってしまったからだ。
『禁』と付くからには、ろくでもない術しか記されていないはずだ。闇の魔法属性のあるアナイリスだからこそ、禁術を操ることができる。闇属性のないティアがあの書を手にしても、術を発動させるなど不可能だ。
しかし、魔力量の少ないアナイリスが禁じられた魔法を使えば、どんな負担が体にかかるかわからない。そもそも、いくら闇魔法を使えるとはいえ、発動させられほどの魔力量はあるのだろうか。
「お願い、アナイリス。考え直して。禁術を使うと、魔法をかけられた相手だけではなく、かけた本人にもなにが起こるかわからないでしょう?」
「こんなときにまで、他人の心配? あんたの善意には、反吐が出そうよ。安心して、ティア。わたしには危険が及ばないよう、ちゃんと手は打ってあるから」
ということは、禁術が発動したあとの負担はすべてティアひとりだけにかかってくるのだろうか。いったいどんな術を使われるのかと考えるだけで、身の毛がよだつ思いだ。
本来のティアは光魔法が使えるから、ある程度の闇の攻撃なら無効化することができる。けれど、いまは魔法を封じられているだけに、未知の禁術にはなすすべもない。
「わたしを殺すの?」
おそるおそる疑問を口にする。我ながら弱々しい声に感じられた。殺されるほどの恨みをアナイリスから買ったとは思いたくないが、幼いころに魔法使いとしての才能を見いだされ、魔法使いを育てる魔法協会に引き取られたティアは、自分が一般的なことに疎い、いわば世間知らずであると自覚している。だからこそ、無意識のうちにアナイリスを怒らせてしまっていたとしても、まったく理由には思い当たらなかった。
「安心して、あんたを殺したりなんかしないから」
とりあえずは、殺されることはないのだと安堵する。しかし、そんな気持ちが顔に出てしまったのだろう。アナイリスが嘲笑した。
「でも、殺されるほうがましと思うかもしれないけれど」
「どういうこと?」
「もうおしゃべりは終わりよ」
アナイリスはそう言ってティアのほうに手のひらを向け、もう片方の手に持つ禁術書に目を落とすと、口のなかで術を唱えはじめた。すると、ティアはいっさい話すことができなくなった。そして、男たちの手によって、陣のなかに突き飛ばすように入れられた。陣のなかに入ったとたん、全身が硬直する。突き飛ばされる直前、魔法を封じる首輪は外されたが、指先すら動かせなくなったせいで、ただおぞましい魔法陣のなかで横たわっているしかできなくなった。
魔法を封じられなくなったのだから、体が動かせず、声を出せずとも、きっとなにがしかの魔法は発動できるようになったはずだ。それなのに、なんの術も発動できない。この魔法陣自体が、ティアの魔法を封じているみたいだ。
そのとき、手首の内側がチクッとした。目だけは動くので、痛みを覚えた箇所をなんとか見ることができた。
(刻印……?)
手首の内側に、硬貨ほどの大きさの印が浮かび上がっていた。はっきりとは見えないが、体の下にある魔法陣によく似た複雑な模様だ。そして、印が浮き出た瞬間から、体の力が抜けていくような感じがした。
(違う!)
力が抜けているのではない。魔力が吸い取られているのだ。吸い取られていく魔力を目だけで追うと、アナイリスに向かって流れていくのがわかった。それに、こちらに向かって手をかざす彼女の手のひらにも、ティアの手首にある印とそっくり同じものが浮かび上がっていた。
それですべてを理解した。この禁術は、他者の魔力を奪うものなのだと。
この禁術を発動させたのはアナイリスでも、術を完成させるのはティアの持つ膨大な魔力なのだ。だからこそ、アナイリスに危害が及ばないというわけだ。
休息さえとれば、すぐにティアの魔力は回復する。けれど、ティアが死んでしまえば、アナイリスは定期的な魔力の供給源を失ってしまう。そういった理由で、殺さないと言ったのだろう。永続的に、ティアから魔力を盗むために。
風と闇、ふたつの魔法属性を持つアナイリスは魔法協会のなかでも勉強熱心で、新しい魔法を覚えようとする意欲がすごかった。でも、圧倒的に魔力不足で、いくら魔法の仕組みを覚えてもうまく使うことができずにいた。しかし、ティアの魔力を使えば、いままでに覚えた魔法をすべて使えるはずだ。それこそ、恐ろしい闇魔法だって、覚えてしまえば自由自在に扱えるようになる。
(わたしはどうなっちゃうのかな……)
まだ十四歳のティアには、他人に悪意をぶつけられても、どうすればいいかなんてまったくわからなかった。心細さが胸にわくが、次第にその心細さも感じられないほど、どこまでも深い眠りのなかに沈んでいった。
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