◇59 独白 ーもう用無し。
「お手伝いの方は――」
「今日はいい。代わりに、部屋の掃除」
「わかりました」
あれから二週間が過ぎた。
締め技を食らった警戒心からかルキウスを自身の世話係の役から遠ざけていたが、それも数日のこと。
目立たぬように従順な下僕に徹していた甲斐あり、ランドールの緊張感は綻びが出始めて側仕えに戻るのも早かった。
因みに、鞭打ちの刑は免れた。理由は言わずもがな。
「嘘だろ……」
頼まれた部屋の掃除で、始めに着手した机の上に放置された新聞に目を見張った。
「六九四年――」
新聞の右上端の印数字が示していたのは、レティシアと出会う三年も前の年月日だった。
彼女の姿を見たいが一心でじっと絶えていたのに、三年も前となると愛しきその人は社交界でのお披露目もプリマヴェール領の街を散策することもまだな六歳。
まだ三年もあることにショックは大きかった。
尚且つ――。
「ここ、王都じゃない……」
手にした新聞を発行していたのは、地方新聞社ブランシア新聞だった。つまり、現在ルキウスがいるのは、王都からから遠く離れた田舎領地ブランシア領だった。
場所で言えば、あの忌々しいエスターティアの領地の方がよほど近い。
「おかしいと思ったんだ……」
回帰前、レティシアに救い出される前までのルキウスの記憶は曖昧なところが多いが、朧げな記憶と照らし合わせれば違和感はいくつもあった。そのうちの一つがランドールの服装だ。
レティシアに救い出されるあの日から遡って三年前の時点の《今》、対峙したランドールはどうだろうか。服装は宝石でギラギラと目が痛いほどに飾り立てていた《未来》に比べると随分と質素だった。
「クソが」
たどり着いた結論に思わず悪態が口を出た。
仕事の側近は別で存在するわけで、ただの世話係でしかない立場では主人の仕事に関して知る由もないのは当たり前。しかし、疑うことをしなかった自分に嫌気がさす。
「しかも、暑いし……」
緑が多いプリマヴェール領と比べ、エスターティア領に近いブランシア領はカラッカラに乾いた土地なのが特徴的。
日差しが強いブランシア領は、焼けると肌が赤くなる体質なルキウスにはなんとも酷な環境だった。
自覚すると、室内にいても無性に暑く感じる。
「何で気が付かなかったんだろう……」
回帰前のプリマヴェール公爵家で受けた高度教育のお陰で、発注書や納品書等の取引について記載された書類に目を通すだけで理解出来てしまう。そうして、机に散らばった書類やらを片せば自ずと答えが見えてきた。
《今》のランドールは【宝石商】ではなく【仲買商】だった。
では、王都に拠点を移したのはいつ頃か。
「そういえば」
ルキウスが曖昧な記憶を辿ると、それはレティシアと出会う日から一年ほど前――だった気がした。
「おい、何まじまじ見てやがる」
湯浴みを済ませたランドールがルキウスの手から書類を引き抜く。
「文字さえ読めねーくせに」
「……」
「お――い!?」
突如反転した世界に、ランドールの脳裏にいつぞやの出来事が蘇る。
「こ、こんなことして許されると思ってるのかッ!」
恐怖のあまり、声は上擦っている。
(そうだ)
喚くランドールを自分の下へ組み敷いたルキウスは何処吹く風。
自分を拘束する鎖も利用してしまう事を思いついた。
「《フレア――ぁがッ」
祝福発動に詠唱を始めた男の口へ挟むように鎖を回し、もう一周首に巻き付ける。
こんなクズでも女神から祝福を貰い使役出来るのだからやるせない。今はまだ起こってはいないが、この火でレティシアが火傷を負いかけたことを思い出す。
「枷の鍵を渡せ」
殺さない程度に加減しながら首を締め上げて耳元で囁いた。
(時間を無駄にしすぎた)
あと三年も待ってられない。
《未来》の記憶がある今、生き延る方法なんていくらでもある。
(三年後までは見守るだけにして、それで――)
こんなところでわざわざ耐え忍ばなくとも、自分から会いに行こう。
「――ッ!!!」
ランドールは今の今まで従順だった奴隷が、またもや豹変した事に動揺を隠せない様子だ。
「殺されたくなかったらね」
まだ不安定だが、点と点だった記憶が線で繋がり気が焦ぐ。
早く。
行かねばならない。
「ゔああああああああッ」
外した枷をランドールにつけてみたが、子ども用のそれは男には小さ過ぎた。余分な脂肪が付きすぎているので、なおのこと食い込み痛いだろう。
「誰かッ――」
床に転がったランドールに今度こそしっかりと猿轡で拘束する。
立ちあがろうにも短い鎖に丸い体はなす術もなさそうである。
「これまでどうも」
お世話になりました。とは言わない。
お世話してたのはこっちである。
「暑……」
外は灼熱だった。
あまりの暑さに溶けそうである。
「ごめんなさい」
露店からポンチョを拝借して人混みに紛れた。
これなら、追っ手も暑さも凌げて一石二鳥だ。
「これからどうしようか……」
プリマヴェール領を目指す事は前提として、何より金がない。
ヒッチハイクや日雇いの労働も考えたが、どうやっても黒目が隠せなきゃ何も出来ない。
――おい
――あぁ
一石二鳥なんて言っていた傍から、ランドールの手先がすぐそこまで迫っていた。
「…………。」
しぶとい奴らはまだルキウスのことを諦めていないようだった。
チラチラとこちらを伺いながら一定の距離を空けて背後をつける二人組は、こちらが気がついているとは露ほども思っていないのだろう。
撒く方法なんて幾らでもあるが、敢えて彼らと対峙するのも一つの手か。
この際、悪縁は完全に断ち切ってクリアな状態でレティシアに会いに行こう。と考えをまとめた。
ルキウスは裏路地へ続く道へ歩みを早める。
ふたつの足音が忙しく鳴り、罠とも知らずついてきていることが分かる。
「おい、どこ行った??」
積み上げられた木箱の影に身を潜め、彼らが通り過ぎるのを静かに待つ。
ここは確実に二人仕留めて、路銀も確保したいところである。こんなチンピラが持っている金なんてたかがしれているだろうがないよりはマシだ。
「まずいぞ、このまま見つからなかったら俺らがヤバい」
「落ち着け、マーフィー。あんなちっこい餓鬼が行ける場所なんてたかが知れてる。どうせ、どこか隙間なんかに隠れてるに違いねぇよ」
薄暗い路地にふたつの影が伸びる。
ガタイのいい男たちを視界に捉えた。
「ほら、この木箱なんてうってつ――」
「着眼点は褒めてあげるよ」
ルキウスが二人を制圧するのに十秒も掛からなかった。




