◇58 独白 ーもうひとりの回帰者は。
「なんだよ、これ……」
ホワイトアウトした視界が落ち着き、ルキウスがまず捉えたのはあまりにも小さく柔い自分から生えている手だった。
ソードなど握ったことのないようなマメもない手のひらに言葉が出なかった。
その見るからに栄養失調な腕を拘束するのは、鋼鉄で作られた枷。同じものが足首にもつけられていた。
そして、首には手足首同様のものが装着されているのであろう重さを感じる。
困惑しながら視線を上げて辺りを見渡せば、レティシアの墓碑も見当たらず、もはや丘の上でもない。
しかし、見覚えがあった。
「……どうなって、る?」
身に纏っていた衣服は何処へか、土に汚れた継ぎ接ぎだらけの短パン(元々白かっただろう)に同じく継ぎ接ぎだらけのヨレた半袖のシャツ。
「僕は――」
光に視界を奪われたほんの数秒の間に、一体何が起きたというのか。乾いた土の地面、皮と骨だけの小さな手、自分の声とは思えぬほど高く幼さが残る声。
「僕は……?」
脳内には平行線上にふたつの記憶――宝石商の奴隷な《今》と、とある貴族のご令嬢に拾われて従者として生きた《未来》が存在している。
「……分からない」
時間が経てば経つほど《未来》の記憶が、労働の奴隷と化した現状に疲れて見たあまりにも甘くあまりにも辛い、夢だったように思えてしまう。
どちらが正しい記憶なのか。
「おいっ! こんなところにいたのか!」
この声を当たり前に繰り返される日常の一部のようにも感じれば、はるか昔のような懐かしさも感じる不思議な感覚がルキウスを襲った。
背後からこちらへ近づいて来た声の主へ振り返る。
でっぷりとした腹と脂の浮いた顔、根性の腐っているのがすぐに分かる人相の宝石商――ランドール・ビッドが仁王立ちしていた。ルキウスの態度が気に食わぬランドールの額には青筋を浮かんでいる。
「あ゛ぁ?? なんだその態度は! それが主人に対する態度か!」
《未来》の記憶と、《今》の自分が《今》の主人に対して抱く恐怖心がルキウスの中で衝突する。
「ゔぁ……」
ルキウスは頭を抱え蹲った。
思考は波のように浮き沈みを繰り返し、擦り切れる寸前だ。
だが、考えるのを止めるなと心のどこかで訴える自分もいる。
ルキウスが反応を返さないことに、ランドールの不満はとうとう爆発する。
「ボソボソ喋るな愚図が! 来いッ! 鞭打ちが足りねぇらしいなぁぁああぁあ?!」
ルキウスの肩を鷲掴んだはずなのに、自分の身体がいつの間にか反転したことにランドールは素っ頓狂な声を上げた。
「な、なんだ?!」
ルキウスは反射的にランドールの腕を捻りあげていたのだ。
無意識下で行えてしまうほど染み付いた一連の自分の動作に確信する。
(《どちらかじゃない……)
どちらも等しく自分の記憶なのだと。
「死んだのか……?」
理由は分からないが、間違いない。
これは、回帰だ。
ルキウスの視界がクリアに開けた。
「――戻ってきた」
回帰前の奴隷時代はあまりに非力だった。
だが、今の自分はどうだろう。
最低限にしか開かないように調節された両手足を制限している鎖を諸共せず、流れるように男の背後を取ることが出来てしまった。それは、騎士団見習い時代に血の滲むような努力をして身につけた戦闘術そのものだった。
ローザ騎士団でも特に体術に明るいトーリ仕込みの絞め技が炸裂し、バランスを崩したランドールが潰れたカエルのような声を出して地面へ転がる。
ランドールの存在は蚊と良い勝負だ。叩いて仕留める。それで終わり。
(なんてな――)
ルキウスは思い踏み留まった。
(少し待てば……)
少し待てば、レティシアと会える。その想いで。
地面へ転がすことなく、拘束の腕を緩める。
余程キツく締めていたらしく、ランドールは激しく咳き込んだ。
「申し訳ありませんでした」
「さ、最初からそうしておけば良いものを」
地面に平伏したルキウスに対して強気な態度を見せたランドールだったが、その顔は引き攣り恐怖を隠しきれてはいなかった。




