16 夕食会。
父の予告通りに祖父が帰ってきた。よって、その日の授業は免除となり、夕食会のために半日をドレスアップに費やした。
「おくれてしまい、もうしわけございません」
食堂への最後の入室者はレティシアだった。
今宵の主役である祖父は勿論、両親に加え、妹の誕生日会を終えて先日アカデミーに戻ったはずの兄の姿もあった。
この短期間に行ったり来たりは大変だろうに、どうやら呼び戻されたようだ。
「よい。座りなさい」
既に席に着いていた祖父に、延いては家族にカーテシーに加え謝罪をする。
主催者の祖父の了承を貰い、レティシアは兄の隣の席に着いた。
「揃ったな」
祖父――ヨハネス・ロザートの深みのある低い一言がピリリとした空気を漂わせる。
上席に腰を下ろす祖父の存在感たるや、凄まじいものだ。
ピンクが混じったロマンスグレーの髪は後ろへ撫で付けられ、同色の髭は短く切り揃えられ、几帳面さが窺い取れるし、切れ長の目、一文字に結ばれた口はより一層に気難しさを醸し出している。
「女神ガルテアよ。我が領地への変わらぬ恵みに今宵も感謝致します」
胸の前で手を組み、食事前の祈りを祖父が口にする。
「では、食事としよう」
合図と共にアンティパストが運ばれてくる。
生ハムとチーズ、鮮やかな野菜が、緊張から無くしかけていた食欲を刺激した。
(コース料理、有難い……)
いつもの食事のようにいきなりメイン(だいたい肉)だったら、間違いなく胃が受け付けなかっただろう。
それを思えば、コース料理は順番がきっちり決まっているので、胃を慣らすことができる。
「アシェル。アカデミーはどうだ」
「順調です。中等部まではまだ一年はありますが、このまま行けば通過試験も首席で進めるかと」
「そうか」
それ以降は誰一人喋らない空間で次々と出される皿を黙々と捌いて行く。その間、耳に届くのはカトラリーの音だけ。
そして、プリモピアットが運ばれて来た時。
「して、アルフレド。あの話は真か」
来た、と思った。
祖父の言葉にピタリと動きを停めた父が重々しく口を開く。
「――はい。あの手紙をお送りした後も確認をしましたし、大神官にも会いましたが、結果は変わらずです」
「そうか……はぁ。前代未聞だな」
二人示し合わせたように深いため息を着いた。
「お義父さま、アルフレド。突然、なんのお話です? お二人共、わたくしや子供たちを置いてお話を進めないでくださいませ」
今日この場に話題を挙げるまで前侯爵の祖父と現侯爵の父とでのみ話を止めていたようで、何も知らない様子の母はとても不安そうだった。
「どう伝えようか、最後まで悩んだ」
「アル……?」
レティシアはと言うと、ただひたすらに目の前のクリームソースのリゾットを口に運んでいる。しかし、何も考えないようにと思えば思うほど両親のやり取りに意識が行く。
難儀な事だ。
不穏な空気を感じ取った母が肘掛の上で握り締められた父の手をそっと覆う。
そんな母を一瞥して、苦虫を噛み潰したような顔の父がレティシアへ向いた。
レティシアは「あぁ」と思った。
「レティシア」
父と娘の視線が交わる。
「お前には祝福が無かった」
悩んだ末、父はド直球を選んだ。その声は、祝福がないと告げられた当事者よりも辛そうだった。
「そうなのですね」
用意した訳ではなかったが、その言葉がレティシアの口をついて出た。
「――神が子を差別をするなど聞いて呆れる」
レティシアの代わりに声を上げたのは祖父だった。
かれの声色からは静かな中にも憤怒が取るように感じられた。
使用人達は動きを止め、カトラリーの音も無くなり、静寂が場を支配する。
「建国当初から存在する大貴族ですよ。その血筋が……そんなこと有り得るのですか? 父上」
「我が家にはそんな前例はなかった。故にレティシアが初の例だな。大神官にも直接確認したが、間違いないそうだ」
アシェルと父の会話を静観する祖父の眼光は鋭い。
無意識に唾を飲み込んだレティシアをそれが捕らえる。
「レティシア」
だが、レティシアへかけられた声の調子は真反対と言える穏やかさを持ったものだった。
「お前が心配することは何も無い。 じいじが何とかしよう」
「はい、ありがとうござい――」
自分の耳を疑ったのはレティシアだけではなかった。
時間が止まったように祖父以外の全員が動きを止める。
(じ、じい……じ??????)
前侯爵が自分をじいじ呼びしている。
初めて聞いた。
祖父はさも当たり前に元からそう自分のことを呼んでいたかのように堂々としているが、初めて聞いた。
その堂々さが余計にみなを困惑させている。
「お前はそのままで良い。思うように過ごしなさい。祝福なんぞ無くとも、どうとでもなる」
しかし祖父は意に介さず、レティシアだけに真摯に言葉を紡いだ。
(――このままで? 思うように?)
レティシアは祖父の言葉をゆっくりと噛み砕く。
「はい」
「しかしそれは全てを知識で補うことで成り立つ。自分の身は自分で守れるように努力は怠るな」
続く言葉は回帰前と似通ったものだったが、前回とはまた違う風に捉えることができた。
(ああ、そうか……)
レティシアが恐れていたのは、無能者という結果そのものではなく、周りからの幻滅だった。
自分が何に怯えていたのかをこの時初めて理解した。錯乱していた前世と違い、祖父の言葉を聴き、しっかり噛み砕き自分で考えることが精神状態だったからこそであった。
「はい。おじいさま」
レティシアは堂々と応えた。
パンッと弾けたようにクリアになった視界には、目尻に皺を寄せて口に弧を描く祖父が映った。
その表情は孫を可愛がるおじいちゃんそのもの。そこに上下関係は存在しなかった。
「公の場で祝福の公表をすると言ってしまった手前、それ迄に手を打たなければならぬ――アルフレド」
「ゴホッ……はい」
「今回担当したのは大神官と言っていたが、いつどこでこのことが漏れるかわからん。瞬間移動の件も、だ。時間を作れ」
「承知致しました」
油断していた父がティーで噎せた。
このタイミングでまさか自分に話が振られるとは思っていなかったのだろう。
何とか取り繕って返事をする。
慈愛に満ちたそれがなりを潜めた祖父の纏う空気は圧倒的だった。侯爵の座を辞して尚、王政に影響を与える存在なだけある。
斜め前に座る父も、その横に座っている母も、レティシアに力強く頷き、隣に座る兄はそっと妹の手を同じそれで包み込んだ。
(あたたかい……)
そこからは穏やかな時間が流れた。
雑談に花を咲かせていたところで、祖父がまたもやぶっ込んできた。
「レティシア。王子妃候補の打診だが、想い人がいると断ったんだったな?」
ガチャンッ!
ステーキを切っていた父の皿が割れた。
正確には皿まで切った。
出来た使用人たちはその非常事態にも動じることなく手際よく皿を取り下げる。
「お義父様。アルフレドと下がらせていただても宜しいでしょうか」
上品に食べ終えた母が祖父に静かに進言する。
「嗚呼、すまんな。アルフレドを頼む」
「デザートまで残らず席を立つご無礼をお許しください。おやすみなさいませ。アシェル、レティシアもおやすみ」
「「おやすみなさい、母上」お母さま」
皿を切って以降静止画みたく動かない父を、呼び付けたカイオンに支えさせて母は夕食の席をあとにした。
「アルフレドのあの反応からすると、やはりその小さな侵入者が想い人か?」
当たり前だろうが、ルキウスのことは祖父へも既に共有済みだったようだ。
「そうだと思いたいです」
「思いたい?」
「あの日いらい、会っていないので」
屋敷へ彼が侵入した日以来会っていないのは本当。何度かルキウスの稽古に訪ねようとしたのだが、どこからともなく嗅ぎつける父に阻止されて流石に諦めた。
「だから、ゆめの中の男の子とあの子がどういつじんふつだという、だんげんはむずかしいのです」
「ふむ、それもそうか?」
想い人に関してそう断言出来るのにあえてしないのは、レティシアの直感がはぐらかせと告げているから。
「――これがもし本当なら、お前は予知夢を見た事になる。つまり、ロザートが代々受ける《先見の識》の上位互換の関係にある能力を開花させたかもしれない」
決して嘘では無いがそれに近いことをしているせいで、何だが話が壮大になってきた。
「じょうい、ごかん、ですか……?」
そう繰返した時、レティシアは自分の手首が熱を持ったように感じた。
ほんの一瞬だが。
「そうだ」
祖父が力強く肯定する。
何処か自信ありげに返事をするのは、何故だろう。
「そんなものが、そんざいするのですか?」
「お前がいるではないか。レティシア」
聡い子なレティシアは瞬時に理解した。
(なるほど、存在はしてないのね)
どう反応しようものか、助けを求めるために兄の方に目を向けるが、甘いものに目がない彼は運ばれてきたデザートに夢中だ。
聞いてはいなさそうである。
援軍は望めない。
レティシアは何か口を滑らす前に逃げる事にした。
「おじいさま。わたし、ねむくなってきたので、おへやにもどっても良いでしょうか?」
「む。そうか、確かにもう遅い時間だな。良いぞ、今日は疲れただろう。おやすみレティシア」
「おやすみなさい、おじいさま。お兄さま」
「おやすみー」
目尻に皺を寄せて頷く祖父と、ドルチェから一切顔をあげず空返事を返す兄を確認して、レティシアはその場を後にした。
◇◇◆◇◇
静かになった席で未だドルチェに恍惚とした表情をする孫をエスプレッソを味わいながら眺める男がいる。
男――ヨハネスが隣国へ赴いていたのは、立派な用事があったためだ。そして、もちろんだがその用事を済ますまで国へ戻る予定はなかった。
それが、家督を譲った息子からのトンデモナイ便りのせいで、帰ってくる他なかった。
《 “祝福の儀” にて異常事態発生。至急帰国求む》
もちろん初めは帰るべきか迷った。
目に入れても痛くない程に愛らしいその子には、どうやら嫌われているようだから。帰ってもアシェルに稽古をつけていたあの日のように泣かれるかと。
しかしまだ “祝福ナシ” が公になっていないのなら、隠居した自分だからこそ何か力になれるかもしれないと、ヨハネスは思った。
全ては愛する孫のため。
そうして帰国したヨハネスは驚いた。
『そうなのですね』
父親からの衝撃の報告を孫は動揺一つ見せずに受け止めてみせたのだ。
その表情を見てヨハネスの決意が固まった。
「アシェル。お前はレティシアの想い人という小僧を見たのか? アルフレドは毛嫌いしているようだが」
たっぷりと時間をかけて咀嚼を終えたもう一人の聡明な孫、アシェルはデザートを見つめたまま言う。
「――腹が立つくらいレティシアに一途な《《小僧》》でしたよ」
ヨハネス言葉を真似たとはいえ、そう歳も変わらぬ男児を “小僧” と言い放つその孫の反応に、ますますその肝の据わった小さき闖入者に興味が湧く。
まだ手紙での断片的な報告しか情報がないため、実際に会うのが楽しみだ。
「僕ももう失礼致します」
「そうか。ゆっくり休め」
「ありがとうございます、おやすみなさい」
どうかこの可愛い子たちが健やかに育って欲しいと、願うばかりだ。
――おじいさま。
試しに “じいじ” という単語を使ってみたが、残念ながら『じいじ』とは返してもらえなかった。
『なかなか……』
孫娘はなんの脈絡もなく距離を詰めようとした祖父に警戒心をあらわにした。
なかなかに手厳しい。
いずれは言ってもらえるだろうか。




