17 騎士の計らい。
祖父との夕食会を無事に乗り越えて、時刻は午後九時を過ぎた頃、空には星が輝いていた。
「うーーーーん?」
湯浴みを済ませたレティシアは姿見に映る自分と睨めっこをしている。
というのも――。
「……何、これ?」
レティシアの利き手の手首に見覚えのない七芒星が浮き上がっていた。それは、先程の食事会でほんの束の間熱を帯びた場所だった。
しかし不思議なことに、直接自分の腕を直接見ても何も無いのだ。鏡越しでのみ確認できる。
摩ってみるが、消えるわけでもない。
(それで言えば、ルキウスと再会した時も同じところが……)
もっと遡れば、無意識的に思い返さないようにしていた祝福の儀についてもそうだ。
過去の出来事を振り返るレティシアだったが、主の視線を追いかけた侍女二人がまじまじと自分の手首を見つめていることに気が付き、気が逸れる。
「なぁに?」
「手首、どうされましたか? レティシア様」
「手の付け根に違和感でも?」
「大変っ! 痛みますか!?」
「ろ、ロニー先生を呼ばないとっ」
「あ、ちがうのよ。なんでもないわ」
レティシアはあざが自分にしか見えていないものなのだと悟り、自分の言動に勘違いした優しい侍女たちを窘めて何事も無かったかのように寝支度に戻る。
自分以外に識別できない以上、凝視していたら本当にロニー先生を呼ばれてしまうので、今後これは一人の時にじっくり観察しようと思い改める。
「レティシア様。どうぞこちらに」
ホカホカの身体が冷めないうちに勧められたシェーズロングに仰向けで寝転び、メイドらの手によって解されていく。
「うん……あ~、しあわせぇ」
閉じた目の上に温められた布を被せられ返事がままならないレティシアに、側仕えたちのクスクスと小さな笑い声が部屋に広がる。
(――あれは……砂時計だろうか)
円で囲まれた七芒星の中心に描かれていたのは、そう砂時計を模したような記号。
何か意味がありそうではある。
きっと、意味はあるのだろうが……。
「すなどけい……」
残念ながら、思考は分散していく。
今回の回帰に関係が有りそうなそれについて考えたいレティシアだったが、アイマスクと身体の隅々に感じる程よい指圧に、抗えるはずもなかった。
(もういいや。後でだ。後で)
「お嬢様すごすぎません!? この歳で肩ガチガチとかっ」
「しぃーッ! レティ様はお疲れなのよ。声は落としなさい」
レティシアはリアのメイドへのお小言を子守唄に微睡んだ。
(後で考えよう……)
◇◇◆◇◇
「では、レティシア様。なにか御用がありましたら、そちらのベルをお鳴らしください」
暫く夢現に過ごしていたレティシアへ、ふわりとミアの声が届く。
「ふぁっ!? あぁ…………えっと、ありがとう」
いつの間にかマッサージは終了しており、ナイトドレスに身を包んでいたレティシアは整えられたベッドに移動済みだった。
傍にノーランも控えていたので、きっと彼が運んでくれたのだろう。
寝ぼけ眼でサイドテーブルに置かれた小ぶりのハンドベルを確認する。
「今日もありがとう。みんな、おやすみ。ミア、リア、ノーランも」
「「おやすみなさいませ」」
今日も完璧に侍女の務めを遂行した二人がメイドらを引き連れて退出するのを見送り終えたレティシアは、今日一日の達成感に浸りながらぬくぬくとベッドへ沈み込む。
「……ねぇノーラン、あなたももう下がっていいのよ?」
いつもなら侍女と共に下がるはずの護衛騎士に声を掛ける。
今日はもう寝るだけなので、午後からずっと護衛役として傍にいた彼の業務は終了。
ここからは夜番の者らの活動時間だ。
それなのに、レティシアの護衛騎士は一向にベッド脇から動こうとしない。
「お嬢。見に行きます?」
「なにを?」
ノーランは一度廊下に顔を覗かせて誰もいないことを確認した後、再び傍に戻ってくると懐から出した懐中時計を見る。
「時間的に、まだしてるはずなんですよ」
「えっ」
彼の言う『してる』が何を指すかはすぐにわかった。
ノーランは、いま現在進行形で鍛錬中であろうルキウスにレティシアを会わせるつもりなのだ。
「会いに行けるの!?」
「内緒ですよ?」
レティシアが食い気味に聞き返すと、ノーランは口元に指をあててニシシと笑う。
彼がよくする悪巧みの顔だ。
「ルキウスのやつ、団長のあの鬼メニューを弱音も吐かずにこなしてるんですけど、日に日に覇気が無くなっていっててさ。それが流石に憐れで」
あの衝撃の邂逅の時、レティシアの勢いに押されて折れた父だったが、すぐさまルキウスに娘への接近禁止命令を出した。レティシア自身わがままを言った自覚がある手前、これ以上は無茶は出来ない。
よって、自分からも会いに行けずにいた。
「根性あるんですよ、アイツ。めげないし、人当たりは……今もまぁ良いとは言えないけど、元々侵入者だったってこともあって警戒してたくせに『ガッツがある』って騎士団の皆だってめっちゃ気に入ってて! だからここは兄貴分の俺が一肌脱いで、姫を連れてくってワケですよ」
ノーランは胸を張って言うが、父にバレたら彼は間違いなく護衛からは解任は免れない。そして降格、減給どころか屋敷を否――プリマヴェール領を追い出されかねないだろう。
最悪の場合――。
「うちくび……」
「さぁ、行くぞ! 俺について来てください、お嬢。いい抜け道知ってるんで!」
レティシアの独り言は聞こえていなかったのか聞こえぬフリか、ノーランは意気揚々と主を先導した。
目指すは演出場が見渡せる三階の屋上通路である。
屋上通路へは、普通に向かうと道程で使用人や夜番の騎士に出会すのだが、ノーランはその抜け道を知っていた。
ショールを羽織り、彼の後を大人しく追尾する。
「どうやって向かうの?」
「えっとね~」
壁と同化したと言ってもいい程にかなり年季の入った扉を開くと今は物置と化したのだろうか、小さな空洞が現れた。
「こんな所あったんだ……」
壁に同化した扉だけでも驚きなのに、そのまた奥にひっそりとそれはあった。
「らせんかいだん……」
空洞をくぐり抜けた先には、上下階を繋ぐ螺旋階段が首が痛くなるほど高く続いていた。
見たところ、最上階まで行けそうである。
「目がまわりそうね」
「あはは! まぁ細いし、いっちゃん上まで続いてるからね。俺とトーリ兄さんしか知らないんですよ。団長やカイオンさんに追いかけ回された時に見つけてさ。そん時からホコリ被ってたし、物置として使われてたのでさえ一昔前って感じだし、多分忘れ去られてるんじゃないですかね?」
「いや、おいかけ回されるって、なにしたのよ……」
そういう訳で、彼はこの屋敷に住む血族のレティシアよりもここを知り尽くしている節がある。
ノーランは腰に下げていた子供の手の平程の小さなにランタンに向かって小さく詠唱する。
《光れ》
橙の暖かい色がランタン中央に灯り、その小ささに似合わない程に大きな明かりを放った。
照らされた螺旋階段はどうやら木で出来ているらしかった。
「お嬢、足元に気をつけて」
「うん――って、なに?」
両手を広げたノーランがレティシアを待ち構える。
「やっぱり、登るのは自分の足じゃなくて抱っこがいいかなー? って」
「じぶんでのぼれるわよ」
「えー、残念」
「全く……」
護衛の声色は全然残念そうでなかった。
「お父さまのまねでしょ」
「そんなことないですよー、ほんとに残ね――うわ、こんなん捨てりゃいいのに! お嬢、見てよコレ! 錆っび錆びの甲冑ですよ! うわぁいつのやつだろ」
はしゃぐ護衛と他愛の無い話をしながら錆びた甲冑と同じく年季の入った螺旋階段を上っていく。
「――でね聞いてくださいよ、お嬢。なーんか、俺嫌われてるっぽくて」
「ルキウスに?」
「そうそう……ねぇ、なんででしょう?」
ルキウスの身元を引き受けた騎士団の中でも、ノーランのルキウスの気に入り方がずば抜けているとは、彼の義兄であるトーリの証言だ。
カイオンに拾われるまで孤児だった彼は、ルキウスの境遇に思うところがあるのかもしれない。
「かまいすぎなんじゃない?」
「えぇ……そうなんですかね。あ、でも、仲良くなれるかなぁってあだ名つけましたよ。【ルーク】って」
「そのせいじゃない?」
「えぇ、嫌だったんですかね!?」
「知らないけど」
「雑いっっ! めっちゃ、ざつ! ちょっと、お嬢! 見捨てないでッ! もうちょい一緒に考えてほしいですっ」
「あ。ねぇ、ノーラン。行き止まりよ?」
雑な泣き真似をするノーランを横目に、登りきった階段の先にレティシアは眉を顰めた。
「……これ、出られるの?」
到達した螺旋階段の大尾には扉がなく煉瓦の壁が立ちはだかっていてどう見てもこの先に進めそうにはない。
「もちもち!」
疑いの目で彼に視線をやると、ストンとレティシアの目線と同じ高さまで膝を折り落ちてきた。
「ここだけね、扉みたくなってんの」
「え?」
ランタンで照らされた壁に浮き上がったのは、長方の型に珪砂が取り除かれている煉瓦だった。
「……あ、ほんとだ」
サイズとしては、十六歳で少年と青年の狭間である少し小柄な体躯のノーランがギリギリ通れるほど。
「開けるからちょいとお待ちを。あ、これもってて貰えます?」
「分かったわ」
ランタンをレティシアに預けると、ノーランは床に臀を着いた。
両手で床を突っぱる形を取るように背中側で伸ばして、足は扉へセットする。
「ふんっ! んんっ!? よいっ――しょっと!」
一度は空振りに終わったものの、力を込めた二度目はガコンっと言う音に続き、空いたすき間から埃っぽいこちら側に風が流れ込む。
ノーランはそのまま外に顔を出す。
「はーっ! 新鮮な空気っ」
「ねぇ、私も出たいわ」
「あはは! ゴメンって。待ってくださいね」
先に出たノーランが差し出した手を取り外へ出る。
「ほらここからだとよく見えるでしょう?」
ようやく屋上通路に到達したレティシアは少しキツめの風に靡く髪を押さえながら、石畳の塀から演習場を覗き込む。
(あ……)
そこには、恋焦がれた彼の姿があった。




