最終話 わたくし達の国は、ここにある
帝都防衛戦から一ヶ月後。
帝城の大広間で、叙爵式が改めて行われた。
前回はダリウス侯爵の乱入で中断されたが、今度は何の妨害もない。ダリウス侯爵は裁判中であり、彼に連なる貴族たちも粛清されている。帝国の暗部が一掃された——とまでは言えないが、少なくとも当面の脅威は消えた。
「ルーク・フォン・ベルガーに、ベルフィーネ伯爵の爵位を授ける」
皇帝陛下の声が大広間に響いた。
俺は跪いて、叙爵の剣を肩に受けた。
半年前、この同じ場所で跪いていた。
あの時は弾劾されるために。今は——爵位を受けるために。
「そしてもう一つ」
皇帝が続けた。
「リディア・フォン・ブリュネとルーク・フォン・ベルガーの婚約を、正式に承認する」
大広間がどよめいた。
だが、今度のどよめきは半年前とは違う。祝福の声だ。
「おめでとうございます!」
「お似合いのお二人ですな!」
「ベルフィーネ領の将来が楽しみだ!」
列席した貴族たちから、次々と祝辞が飛ぶ。
前世の結婚式に出たことはないが——こんな感じなのだろうか。
隣に立つリディアを見ると、完璧な公爵令嬢の笑顔を浮かべていた。
だがその碧い瞳の奥は——潤んでいた。
「リディア」
「なんですか」
「泣いてませんか?」
「泣いていません」
「嘘がお下手ですよ」
リディアが俺を睨んだ。だが、すぐに笑った。
「……少しだけ、泣いていますわ」
いつものやり取り。初めて言った時から、ずっと変わらない。
変わったのは、その言葉を交わす二人の距離だけだ。
叙爵式の後、俺は仲間たち一人一人と話をした。
ギルバートは、ベルフィーネ騎士団の団長に正式に任命された。
「騎士団長だと? 俺が? 冗談だろ」
「冗談ではありません。あなた以上に適任はいません」
「ちっ、面倒事が増えるな。——だが、まあ、悪くねぇ。故郷を守る仕事だ」
ギルバートが不器用に笑った。
フィーネは、俺の近衛隊長に任命された。
「ルーク様——わたしでよいのですか」
「フィーネさん以外に誰がいるんですか。あなたには何度も命を救われました」
「……はい。これからも、お二人をお守りします」
フィーネが敬礼した。褐色の頬に涙が光っていたが、俺は気づかなかったことにした。
マリエッタは、ベルフィーネ商業ギルドの初代ギルド長に就任した。
「ギルド長ですか。わたくし、まだ十六ですわよ?」
「年齢は関係ありません。実績で選びました」
「ふふ。では、ルーク様の領地を帝国一の商業拠点にして差し上げますわ。——手数料は頂きますけれど」
マリエッタの翡翠の瞳がきらりと光った。商人は商人だ。
ヴィクトルは、ベルフィーネ領の宰相——というには若すぎるので、行政長官に任命された。
「左遷だと思っていた場所が、わたくしの居場所になりました」
「最初からそのつもりでしたよ」
「……嘘ですよね。後付けですよね」
「ばれましたか」
ヴィクトルが初めて声を出して笑った。
そしてアンネリーゼ様。
聖女様は、ロマリア神聖国に帰還するという。
帝都防衛戦での功績が認められ、神聖国での地位が大幅に上がったらしい。
「ルーク様、リディア様。お二人を女神の使徒とその伴侶として、ロマリア神聖国は正式に認定いたします」
帝城の中庭で、アンネリーゼ様は穏やかに微笑んだ。
「ルーク様のことは、リディア様にお任せします。——もう、心配はしていません」
「アンネリーゼ様……」
リディアが聖女様の手を取った。
「ありがとうございます。あなたがいなければ、わたくし達はここにいませんわ」
「わたしこそ。お二人に出会えて——本当に幸せでした」
アンネリーゼ様の金色の瞳に、涙が浮かんだ。だが、笑っていた。
「でも、たまに遊びに来てもいいですか?」
「もちろんですわ。いつでもお待ちしています」
「その時は——温泉に入りたいです」
「ふふ、もちろん」
アンネリーゼ様がぺこりとお辞儀をして、聖騎士たちと共に去っていった。
その背中を見送りながら、リディアが小声で言った。
「……強い人ですわね、アンネリーゼ様は」
「ええ。本当に」
片思いの相手を祝福して、笑顔で去っていく。
それがどれほどの強さを必要とするか——俺には分かる。
その日の夕刻。
俺とリディアは、帝城ではなくベルフィーネ領の領主館の屋上にいた。
日帰りで馬車を飛ばして戻ってきたのだ。ここが——俺たちの場所だから。
屋上からは、ベルフィーネ領の全景が見渡せた。
半年前は灰色一色だった大地が、今は緑と金色のパッチワークに覆われている。農地の麦は穂をつけ、鉱山からは活気ある槌音が聞こえ、領都の通りには子供たちの笑い声が響いていた。
夕日が、その全てを紅く染めている。
「ルーク」
「うん」
「あの日の約束、覚えていますか?」
リディアが俺を見上げた。
碧い瞳に夕日が映っている。
「『その願い、承りました』——ですよね」
あの日、謁見の間の片隅で交わした約束。
みんなが幸せに暮らせる国を作る。
「叶いましたわね」
リディアが微笑んだ。
泣いてはいない。ただ、純粋に——幸せそうだった。
「いや、まだまだこれからです」
俺は領地を見渡した。
「鉱山の本格稼働はこれからだし、学校の教科書もまだ半分しかできていない。温泉施設の整備も途中だし、アンカードとの交易ルートの拡充も——」
「ルーク」
「はい?」
「今日くらいは——仕事の話は、なしにしませんか」
リディアが俺の手を取った。
「今日くらいは——ただ、こうしていたいのです」
俺はリディアの手を握り返した。
細くて温かい手。半年間、泥にまみれ、魔法を放ち、書類を書き、人々の手を握ってきた手だ。
「……そうですね。今日は——仕事の話はなしで」
「ふふ。素直でよろしい」
二人で夕日を見た。
前世では見ることのなかった、異世界の夕日。
隣には、前世では出会うことのなかった人がいる。
「リディア」
「はい?」
「ぼくは——あなたに出会うために、この世界に来たのだと思います」
リディアの目が大きく開いて——それから、ゆっくりと微笑んだ。
「わたくしも。あなたに出会うために——あの日、謁見の間にいたのだと思いますわ」
夕日が沈んでいく。
一番星が、空の高いところで瞬き始めた。
「ルーク」
「うん?」
「あなたが隣にいてくれれば——何だってできる気がしますわ」
「それは——こっちのセリフです」
リディアが笑った。
俺も笑った。
荒廃した大地の上に、温かい光が灯っている。
俺たちが灯した光だ。
前世では叶わなかった夢がある。
誰かの笑顔のために働くこと。
誰かの隣で、笑うこと。
この世界で——ようやく、手に入った。
その夜。
領主館の執務室で、ヴィクトルが一通の書簡を持ってきた。
「ルーク様、帝国南方の国境警備隊から報告が入っています」
書簡を開くと、短い一文が記されていた。
『南方大陸より、魔王軍と思われる勢力の兆候を確認。詳細調査中』
俺は書簡をテーブルに置いて、窓の外を見た。
星空の向こうに、まだ見ぬ脅威がある。
だが——怖くはなかった。
隣の部屋から、リディアの鼻歌が聞こえてきた。
何の曲だろう。この世界の子守歌か何かだ。穏やかで、温かい旋律。
「俺たちの戦いは——」
小さく呟いて、俺は笑った。
「——まだまだ、これからだ」
だが今夜は——この温かい夜を、もう少しだけ味わっていよう。
窓の外の星が、静かに瞬いていた。
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