天使と悪魔
悪魔__。人間の魂を自分達が住む場所__魔界に連れて行く者だ。本来、連れて行く者は悪人の魂に限られ、善良な魂は連れてはいけない。しかし、悪魔の中には魂欲しさに人間の弱みに付け込んだり、無差別に人を襲い、その魂を悪に変えて魔界へ連れて行こうとする者もいる。
そういう悪魔がいる為、天界と魔界は敵対状態となっており、例外はいたが、天使と悪魔は仲が悪かった。
では、何故、敵対しているのにも関わらず、天界と魔界同士の戦いが起きないのか。それは至極単純な理由であった。
それぞれの場所が善の力と悪の力で溢れている為だ。天使達は魔界では、力を半分も発揮出来ない。力は悪の力に吸い取られ、まるで、全身にとんでもない重さの重りをつけられたような、立っているのもやっとの状態となるのだ。そして、それは悪魔の場合でも同じ事が言える。そんな状態で、相手の領土に攻め込めば、十分な力が出せず、あっという間に滅ぼされてしまうだろう。
お互いがお互いを攻められない状況、今の天界と魔界は、いわば冷戦状態となっていた。
しかし、仮に天界に悪魔が住んでいたとしたらどうだろう。
167年もの期間、毎日、十分な力を出せずに、立っているのも辛い状態の悪魔が、時間をかけて、そこでも何不自由無く、生活が出来、尚且つ、ギリギリ訓練所卒業だったとしても、訓練所を卒業出来るほどの身体能力を持っているとしたら。
その悪魔が善の力から逃れ、体にかかる負担が何もない外の世界へ出られたとしたら。
「オォォォォォォ!!!!」
一方的であった。体の半分を犠牲にしながら、ベルは放たれた黒い炎を避けた。しかし、そこで出来た隙をアルフレッドが逃す筈もなく、なすすべも無くただ、殴られている。
「ガッ!ゴッ!グァ!!」
辺りにベルを殴る音と、殴られた声だけが響き渡る。アンチデーモンも時折、アルフレッドの後ろから襲い掛かって来たが、アルフレッドは、余裕の表情で振り向きざまにアンチデーモンを蹴り飛ばした。
「グギァ!!」
アンチデーモンが地面に軽々と叩きつけられる。しかし、ダメージは無いようで、ムクリと立ち上がると、また、アルフレッドに向かって飛んでいった。
アルフレッドは、ベルの頭を掴む。ベルは「ぐぁ」と声を上げて痛がったが、少し経つと血を垂らすその口で笑みを浮かべた。
「最初は天使かと思ったんだが、……ゴホッ。やっぱりお前は悪魔だよ。その顔を見れば……誰だって分かるさ。破壊する事、魂を食らう事しか頭にない、恐ろしい悪魔の顔だ……」
「ッ!!…………黙レ……!」
「いいや、黙らないね。今の心の中は、どうだい。とんでもない破壊衝動が止めどなく溢れてくるだろう?ほら、先程、君が出て来た家、そこを見てみろよ、あそこに魂が2つ見えているだろう。なに、今の君なら魂を見る事ぐらい容易いものさ。……ほら、大きい方の魂は死にかけで、あまり良い魂じゃ無いけど、あの小さい方、まだ、何も知らない純粋な魂じゃないか。あれ程の良い魂があれば、君の力も更に増すんじゃないかな」
「何ヲ世迷言ヲ__ッ!!」
アルフレッドは、ここでミスを犯した。自分から溢れる破壊衝動を認知してしまったのだ。先程まで、目の前の事に精一杯で、他の事に目が向けられなかった為に、気付かなかったのだ。しかし、それを知ってしまった今、彼の中から止まる事なく溢れ出る衝動は、最早彼が止められる物では無くなっていた。
「グ、オオ……!!」
アルフレッドが頭を抑えて呻く。壊シタイ__!魂ヲ食ライタイ__!と心の底から本能が訴えていた。アルフレッドは、ふと、ウルの家を見た。そこには、魂だけの状態となって、立ちながらこちらを見ているウルと、その横でウルと手を繋ぎ、同じようにアルフレッドを見ているアリスの姿があった。
「グォオオアアアァァァ!!!」
アルフレッドは、ベルを掴んでいた手を放し、ウルの家__アリスに向かって一直線に飛んで行く。頭の中は、破壊衝動と魂を食らいたいという衝動でいっぱいだった。アリスは訳が分からないと言った顔でこちらを見ていた。
あともう少し、と行った所で横から、バッとアリスを庇うように立ち塞がる影が現れた。
「……」
春を思わせるかのような薄い桃色の髪、体を包む、白いローブは神聖な何かを思わせる。目には涙が溜まり、しかし、決意に満ちた瞳をしていた。アルフレッドを怒りの、あるいは哀しみに満ちた表情で見つめている。
「オーファンサン、ソコ、退イテ下サイ」
「いいえ、絶対に退きません」
オーファンは、即答する。そこから暫く無言の時間が続いた。
「あなたは、あなたには、この2人を渡す訳には、いきません……!あなたに、そんな残酷な事をさせる訳にはいかないのです!」
「……俺ハ、既ニ天使トハ程遠イ存在ニナッテシマイマシタ。今ハ、自分ノ破壊衝動スラ、抑エラレナイ……!」
アルフレッドは、自身の体を見る。黒く包まれたその体は、元の体とは、程遠い。手から生える爪は、少し長くなっており、先が鋭く尖っている。角こそは、何故か生えていないが、背中には、天使のふわふわした純白の羽とは別物の、ドス黒く、刺々しい羽が生えている。その姿は、自分が、想像した天使の姿とは、全くの別物だった。
__これでは、まるで悪魔ではないか!!
吐き気と共にそういう思いが、胸から湧き上がる。衝動を抑えられない自分が嫌で涙が滲む。心臓から、胃から何から何まで握り潰されそうになっているかのような感覚を味わった。
「あなたは……、悪魔では、無いのです……」
オーファンが今にも消えてしまいそうな声で呟く。涙が彼女の頰を流れる。アルフレッドの思いに、同調して泣いているのか、それとも、涙を流さない自分の代わりに泣いているのか、アルフレッドには分からなかった。
その時、オーファンの隣からヌッと何かが出て来た。肩程まで伸びた金色の髪の少女が、その青色の瞳をオーファンに向ける。
「お姉ちゃん、誰?」
「こ、こら、危ないぞ。あと、その人は偉い人なんだぞ。こっちに来なさい」
ウルがアリスを呼び戻す。しかし、アリスはそれを聞かず、今度はアルフレッドに視線を移した。
「お兄ちゃんは?…………ああ!!」
アリスが彼の方を見て言うが、少しの沈黙の後に、輝くような笑顔を見せて、驚く。その声にアルフレッドはビクリと体を震わせた。
「アル君だぁ!!どうしたの?なんかいつもと違うね。アリス、これ分かるよ!イメチェンって言うんだよね!!」
アリスは、アルフレッドの周りをぐるぐると回る。あまりに急な出来事だったからなのか、その場にいる全員が呆然とその場に立ち尽くした。しかし、アリスはお構いなしに、喋り続けた。
「アリスね、アル君のその格好分かるよ!!前にお父さんに教えてもらったんだ!!その大きい羽!!ずばり、天使って言うんだよね!」
空気が凍りついた。悪気は無いのだろう。が、わざとでも無いだろう。オーファンも、ウルも、目を見開いて驚いている。アリスはまだ幼い。おそらく、天使と悪魔の違いが曖昧なのだろう。アルフレッドはそう思った。
「アリスチャン、実ハ、俺ハ天使ジャナクテ……悪魔ナン__」
「悪魔?…………ふっふっふっ。アル君は天使と悪魔の違いが、分からないんだねぇ。よおし、私が教えてあげよう!!」
アリスは食い気味にアルフレッドを否定すると、笑顔で手を上げる。アルフレッド達は、静かにアリスを待った。
「実は、良い事をする人が天使!!悪い事をする人が悪魔なのです!!」
__はぁ!?とその場にいた全員が思った。あまりに幼稚で、単純な答えだったが、よくよく考えると、的を得ているように感じた。
「つまり!あそこで飛んでいる人は悪魔!!ここにいるアル君は天使なのです!!」
アリスはドヤ顔でそう言って締めくくった。
アルフレッドは、心の中が少し、冴え渡るのを感じた。アリスは嘘などついておらず、本心からそう思っているのだろう。アルフレッドは、分厚い心の壁に、ほんの少しだけ、ヒビが入るのを感じた。そこから何かが溢れ出す。温かい何かが止めどなく溢れ、彼の全身を覆うような感覚を覚えた。
ふと、アルフレッドはオーファンに目が行く。オーファンは口に手を当てて、大泣きしている。何でそんなに泣くのだろうとアルフレッドは疑問に思った。
「アル君__泣いてるの?」
アリスは、アルフレッドの顔を見上げ、言う。それを聞いた後、自分の目尻に指を当てた。指に水が伝ってくる。自分が泣いているのだとそこで初めて実感出来た。
「悲しかったの?ごめんね」と謝ってくるアリスの頭に手を置き、優しく撫でる。
「大丈夫。嬉シイダケダヨ」と、呟いた。
そんな和やかな時間も、長くは続かなかった。
「何をそんなに時間を掛けている!!魂がいらないなら私が!食らう!!」
ベルがアリス目掛けて飛び込んでくる。しかし、その手はアリスまで届く事は無かった。アリスに届く直前。アルフレッドがその腕をガシリと掴んでいた。
「オ前ハ、モう…………黙れ!!」
アルフレッドはベルを放り投げる。流石にアリスの近くで戦う訳にもいかないからだ。ベルを放り投げた後、アルフレッドは後ろにいる3人を見る。
「……心配かけてすいません。じゃあ、俺、行ってきます」
3人は笑顔で見送る。特にオーファンは大粒の涙を流して、コクコクと頷いていた。まるで、息子を見送る母のような顔だった。
燃え盛るバリオンの町の上空、そこに、悪魔の姿をしている者が2人、向かい合って浮いていた。
「畜生!悪魔のくせに魂も食らえないのか!」
ベルはアルフレッドに悪態を吐く。アルフレッドは「俺は悪魔じゃないんでね」と短く言うと、ベルに向かい合った。アンチデーモンはベルに呼び寄せられたのか、隣に浮いている。
「くそ!どいつもこいつも俺の予想範囲外の事をしやがる!これじゃあ俺の計画が台無しだ!!」
ベルは怒鳴った。先程の口調と打って変わってかなり乱暴な口調になっている。
「まぁ、お前の危機管理がなっていなかっただけだろ?だから、お前は____ん?」
アルフレッドはベルを後方、燃える家の間に何かを見つける。そして、それが何なのか分かった時、彼は、口元を吊り上げ、ニヤリと笑った。
「ほら、また、お前の予想外なやつが来たぞ?」
アルフレッドはベルの後ろを指差して言う。ベルは後ろを振り向いた。
赤い髪を靡かせた女の姿があった。手には大きな銃のような物を持っている。その目には、少し、怯えが残っているが、それ以上に覚悟が宿っていた。
「カルナ……アイギス…………!!」
ギリ、と歯を鳴らし、ベルは恨めしそうに言った。




