012
かつてゴルフ場であったこの場所は、だいぶ放置されてしまったことで草などは伸び放題になっている。
短いものでくるぶし、高いものだとヒチリの腰元かそれ以上まで伸びたものまである。
そんな荒れた草原地帯を二人は注意深く進んでいた。
ちょっとした人の顔と同じくらいの大きさのトンボを思わせる魔獣をヒチリが切り払い、サルに似た爪の長い魔獣をショウの拳が殴り倒す。
人があまり踏み込まなくなっているこの草原は、魔獣達の暮らすサファリパークのようになっていた。
人間の縄張りから程近い場所にある、野生の楽園。
生息しているのは、見慣れた動物ではなく見慣れぬ魔獣。
だが、そこで行われているのは魔獣の営みと、弱肉強食だ。動物達の楽園と何一つかわらない。
「翼竜……どの辺りにいるんだろ?」
「分からないけど、少なくともここにいるのは確かみたいだね」
「居るのは分かるの?」
「さっきあたしがぶん殴った仔ザルみたいなやつ――スクラッチャーって、森や草原の奥地に縄張りを作るコトが多い魔獣なんだよ。しかも一度住み着いた草原や森からはあまり出ようとしない……。
そんな魔獣が、このゴルフ場の入り口付近にいるってコトは、陣取ってた場所から動かざるを得ない事態があったってコトでしょ?」
「その事態っていうのが、翼竜……」
「そういうコト」
うなずくショウを見ながら、ヒチリは思案する。
「もしかして、他の魔獣達が少なくなっている方へと進んでいけば会えたりしないかな?」
「お。ヒィちゃん冴えてるね」
「ちょっと風で探ってみる……あんまり、得意ではないんだけど」
「お願いね。闇雲に進むよりは良いと思うから」
抜いていた刀を鞘に収め、身体の力を抜き、目を伏せる。
自然体のまま耳を傾けて風の音色を聞く。
「翼竜は怪我をしてるから、じっとしてると思うんだ。
だから、あんまり動いてるものが多くない方向が正解だと思うよ」
ショウのアドバイスに、ヒチリは無言でうなずいた。
だとすれば――
「たぶんあっちの方かな。
草の音が少なかったから、大きめの砂地とか池とかあるところの近くだと思う」
「それじゃあ、他の魔獣に気をつけながらそっちへ行こう」
「うん!」
「…………」
元々悪い目つきをさらに不機嫌に吊り上げながら、リュウテキはマーケットを通り抜けていく。
そして、人々の目が右手に集まっていくので、殊更に機嫌が悪い。ついでに出血のせいで、血も足りていないのか、少しふらつく。
分かってはいたのだが、こうも奇異な目を向けられると、思っていた以上に腹が立つ。
とはいえ、ここを通り抜けなければ旧東ニュータウン駅方面へ向かう道路に出れないので、我慢するしかない。
「リュウ坊」
「ん?」
そんな中、聞き馴染んだ威勢の良いダミ声を掛けられて、そちらへと視線を向ける。
「おやっさんか」
マーケットに不定期に店を構える、武器職人の一人。
本名は知らないのだが、みんながおやっさんと呼んでいるので、リュウテキもそれに倣ってそう呼んでいる。
スキンヘッドで、ひげを蓄えた、筋骨隆々の中年。正直、元プロレスラーの類なのではないだろうかと疑いたくなる容姿のおやっさんであるが、意外とスポーツは苦手だと以前に言っていた。白のTシャツとジーンズというシンプルな格好なのだが、それがかえって逞しい肉体を強調しているので、商人というよりもバスターに見えなくもない。
「久しぶりっス。でも申し訳ねぇんスが、急いでるんで」
「みてぇだな。それに不機嫌そうじゃねぇか」
「いつもの無茶っスよ。今日に限ってはショウもストッパーじゃなく協力者で」
「そりゃ不機嫌にもなるし急ぎたくもなるな。
……って、リュウ坊……その右腕……」
明らかに人間のそれとは違う形状の右腕に、おやっさんが顔を曇らせる。
そして何かを言おうとして口を開き掛けてから、別のことを閃いたのか、一度噤んでから開きなおした。
「……嬢ちゃん達が二人して無茶してるのは――」
「察しがいいっスね。俺の代わりにリベンジするつもりみたいっス」
リュウテキの言葉に、おやっさんは禿頭を撫でながら難しい顔をした。
もともと厳つい顔がますます厳つくなるのを見て、リュウテキは胸中で苦笑した。
(ガキが見たら泣くぞそのツラ)
「よし。リュウ坊、少しだけ待て」
それから意を決したようにそう告げると、何やらごそごそと背後に詰まれたコンテナを漁り始める。
「おー、あったあった!」
何やら発見したらしいおやっさんは、コンテナからそれを取り出すと、リュウテキに向かって投げてよこした。
「お得意様だからなリュウ坊は。餞別と右腕の見舞いの品ってコトでもってけ」
「これは……」
受け取ったのは、根の部分が平たい十手だった。
「俺様がこさえた自信作ッ! その名も十手ブレードよッ!」
「だせぇ」
「うるせぃッ!」
「それにブレードって、どう見ても根の部分が平たい十手ってだけで、刃がねぇじゃねぇすか」
「まさに刃が無ェのツルギってな」
「十手ありがたく使わせてもらうっスそれじゃあ」
「待て待て待て待てッ待てッ! 今のは俺が悪かった!」
即座に踵を返したリュウテキの肩をおやっさんは慌てて捕まえた。
「急いでるんでクダラナイ駄洒落とか勘弁して欲しいんスけど」
「悪かった悪かった。その棍はカモフラージュっつーか、鞘だ。
鍔元のストッパーを外して引っ張れば、抜ける」
「ふむ?」
言われた通りに鞘を引くとそこから、日本刀のような反りのある刃が現われた。
形状は十手そのものだが、コの字の内側部分は鋭い刃だ。
「そのまま十手としても使えるし、抜き放てばダガーとしても使える代物よ!」
どーだと自慢げに語るおやっさんに、リュウテキは口の端を吊り上げた。
「面白い武器っスね。嫌いじゃないっス」
「ついでにこのホルスターもベルトに括り付けとけ。そこに十手ブレードを提げられる」
「ありがたいっスけど、本当にもらって良いんスか?」
「言っただろ? 見舞いと餞別の品だってな。
礼は今は要らねぇよ。だが、必ず礼を言いに来い。嬢ちゃんを二人連れてな」
ベルトにホルスターを付け、そこの十手ブレードを納めながら、リュウテキはおやっさんに向き直った。
「ああ。絶対に連れてくるっスから」
「頼むぜぇ……俺は嬢ちゃん二人のファンなんだからよ」
「ったく……。売店のおばちゃんといいおやっさんといい……ミーハーもほどほどにしといた方がいいっスよ」
その言葉に豪快な笑いを返すおやっさんのおかげで、イライラしていた気分もだいぶ収まってきた。
同時に、頭の中も冷静になっていく。
このまま歩いていくよりも、車を借りた方が断然はやい。
一応、駐車場に顔を出していこう。
それに、不本意な手段ではあるが、念のための保険も掛けておく。
携帯端末を取り出し、通話モードにして、その保険となる相手の番号を呼び出しながら、気を改めるように息を吐いた。
(ダイの奴が戻ってきてくれてると、話は早ぇんだけどな……)
コールする携帯端末を耳に当てながら、頭の中でいくつかの状況をシミュレートすると、リュウテキはおやっさんの元を後にするのだった。
ゴルフ場――というか、かつてゴルフ場だった草原地帯というべきか――の奥へ進めば進むほど、不思議と魔獣達の気配は減っていく。だが、同時にプレッシャーのような重苦しい気配は強くなっていっていた。
「正解みたいだね」
「それじゃあ気を引き締めていこうか、ヒィちゃん」
「うん」
雑木林というよりも、もはや樹海となっているようなゴルフコース脇のOB地帯を抜ける。
そして、視界が開けたその場所に、それは居た。
「《流離う翼竜》ッ!」
「ヒィちゃん。落ち着いて。心はホットに、でも頭はクールに、ね」
ギリっと歯軋りでも聞こえてきそうなほどに、その名を文字通り噛み締めながら睨むヒチリに、ショウは穏やかに告げる。
それに、ヒチリは深呼吸で応えた。
そうだ。ここでまた飛び出してしまったら、リュウテキの時の二の舞だ。そうなれば、今度はショウが自分を庇いかねない。
(それはダメだ……。二人で倒す。無理はせずに、無茶をする――うん!)
「ごめん。ショウ」
「分かればよろしい」
そうして改めて翼竜に視線を向けた。
翼竜は身体を丸め、目を閉じジッとしている。
規則的に身体が僅かにふくらみ、萎む。それを繰り返していた。
まじまじと魔獣を眺めるのは、もしかしたら初めてかもしれない。
穏やかに呼吸をしながら、《流離う翼竜》は眠っている。
十六年前なら、ファンタジーの産物だと言われていただろう幻想の魔物が、目の前で眠っているのだ。
だが、その寝ている姿というのはファンタジーとは程遠く思えた。
規則的に呼吸をし、静かに寝息を立てている。
それは姿こそドラゴンだが、犬や猫だけでなく、人間が寝ている姿と変わらない。
だからこそ、なおのこと現実的な光景に思えた。
これでこの翼竜が暴れ回ったり、リュウテキの腕を喰い千切っていたりしてなければ、もしかしたら可愛いと思えたかもしれない。
そんなことを考える程度には、自分はベルと出会って変わった部分があるのだろう。
だけど、それでも――
「確かにベルの言う通り、魔獣の全ては悪いやつだけじゃないんだと思う」
ヒチリは小さく独りごちる。
狂月と出会って確信した。
あの魔狼は間違いなく母親であり、そして子供の為に戦っていた。
そして、こちらが剣を収めれば、退こうとする素振りを見せたし、翼竜が襲撃してきた時に、危機を教えてくれた。
だからこそ、全滅せずにリュウテキの腕だけですんだとも言える。
今度、機会があれば餌でも持ってお詫びとお礼を言いに行こうと、ヒチリは思っていた。
魔物達も生きている。きっと、彼らも突然の地球という環境に驚きながら、それでも適応しようと、日々を営んでいるのだろう。
「良いか悪いかだけで線引きって出来ないんだよね。
そもそも、動物だって人を襲う。それこそ、全世界規模大厄災以前から」
人を襲ったクマはお腹を空かしていただけかもしれない。子供の為に餌を探していたのかもしれない。
外から見れば可哀想と思える銃殺も、そこで生きる人たちからしてみれば必要だったのだ。
魔獣が地球に出現し始めたことは、きっと、そういうことが一部だけでなく全国的に必要になっただけに過ぎないのかもしれない。
「何となく出たよ。私なりの結論が――
魔獣に善し悪しは考えない。必要なら斬る。
リュウと違って、冷酷な割り切りが出来なくて、甘いコトをしてしまうかもしれないけど」
「良いんじゃないかな。
そういう冷酷な割り切りは、リュウちゃん担当ってコトで。
チームならでは……ってね。その代わり、リュウちゃんを恨んだらダメだけどね」
「うん」
うなずき、目を伏せて、ヒチリはふーっと息を吐いた。
「そして、翼竜は、斬る必要がある魔獣だ」
色々と理由をつけているけど、リュウテキの腕を奪ったことが許せない。ただそれだけなのかもしれない。
母親の命を奪った魔獣と同種だから、イラだっているのかもしれない。
認めよう。そういう部分は間違いなくある。
でも、それらをひっくるめて出た結論が、今ここで逃がさずに仕留めるべき――なのである。
「卑怯もなにもない。今ココでぶっ飛ばす。
ヒィちゃん、準備OK?」
「いつでも」
やや距離があるが、問題はない。
腰を落とし、刀の柄に手を掛けて、意識を集中し風を集める。
「しょっぱなから最大火力を叩き込む。
タメが必要な大技を叩き込む唯一のチャンスだから、頼むよヒィちゃん」
ショウの言葉にうなずく代わりに、全力を乗せた刃を抜き放つ。
「空刃・桜乱ッ!!」
抜刀と同時に、圧縮された風の刃が無数に乱れ飛ぶ。
瞬間、翼竜が目を覚まし身体を起す。
だが向こうが動き出すより先に、風の刃が翼竜の身体を切り裂いていく。効果は薄いが、足止めには充分だ。
そうして相手の動きを一瞬止めた所へ、さらにヒチリは風を剣に纏わせて踏み込む。
「風刺・疾薔ッ!」
勢い良く突き出された刀から、小さな竜巻状の衝撃波が放たれた。
狙うのはボディではない。
その衝撃波は螺旋を描くように、《流離う翼竜》が逃げるために広げた翼膜を貫いた。
翼竜が絶叫する。
「これで、逃げられないッ!」
「ヒィちゃんってば珍しく冴えまくりッ!」
激痛に対する怒り。それを宿した瞳がこちらを睨む。
とんでもない迫力と、それに伴う圧力。
だが、ビビってなどいられない。
「――でも、本番はこれからだよ?」
「うん。分かってる。来るよ――ショウ!」
翼竜は大きく仰け反るように顔を上げると、その喉が膨らんだ。
直後――
その口から、何かを吐き出してくる。
二人は即座にその場から左右へ飛び退く。
吐き出された何かは、直前まで二人がいた場所へ着弾すると、突風を伴って地面が爆ぜた。
「今のはッ!?」
「圧縮された空気の塊かな? ヒィちゃんがやってるのと同じようなのだと思うッ!」
それを刃として使うか爆弾として使うかの違いのようである。
どちらであれ、直撃すれば無事ではすまない。
「しっかし、ただでさえ硬いしパワーあるしなのに……こーんな隠し玉まであるなんて反則だよねッ、まったく!」
愚痴を漏らしながら、ショウは何かを放り投げる。
二輪の赤薔薇。
もちろん、それがただの薔薇であるはずがない。
それが翼竜の頭上に差し掛かった時、彼女は自分の能力を解除する。
すると、その薔薇は白い液体のようなものになって、翼竜に降り注いだ。
「ショウの手製トリモチ液ッ! べったべただよー!」
本当は配合比率を変えたヌルヌルくらいのをヒィちゃんに掛けたかったんだけど――などと呟いているのがヒチリの耳に届いたのだが、それは聞かなかったことにする。
一見するとただの粘性の強い液体のようなそれは、翼竜からするとかなり鬱陶しかったらしい。
それを拭おうと顔を拭く。
だが、顔と翼がくっついてしまったのか、そのままじたばたともがき始めた。
「ヒィちゃん、チャンスだよッ!」
ただ刀で斬るだけだと、硬い皮膚に阻まれる。
ただ風を叩きつけるだけだと、効果は薄い。
今まで風を飛び道具としてしか使ってこなかった。
この翼竜のように硬い魔獣とも戦うことはなかった。
風で牽制し、剣で切り裂く。それが必勝パターンだった。
だが、それが通用しない相手が、目の前にいる。
なら――新しい手段と技を、今ここで構築しなければならない。
(力を籠めた斬撃と力を籠めた風撃……それを同時に浴びせるッ!)
もがく間に力を溜めて、ヒチリは翼竜へと肉迫する。
刀と風、その両方の強さを合わせて相手を切り裂く、新たな武器。
名付けて――
「斬空・蒲菖閃ッ!」
力強く踏み込んで、袈裟懸けに刀を振り下ろす。
圧縮した風の刃を飛ばすのではなく、剣に纏わせたままの斬撃。
だが、翼竜は本能的にこの技の強さを察したのか、もがくのをやめて咄嗟に大きく飛び退いた。
(浅かった……)
それでも、その皮膚には一筋の刃傷が刻まれ、血が滲んでいる。
(――でも、これなら通用するッ!)
確かな手ごたえを感じ、ヒチリは翼竜に向き直った。
「ヒィちゃん、今の新技?」
「うん。もうちょっと力を籠められたら、仕留められたかも」
「たらればは意味無いっしょ。でも、あの硬い皮膚を切れたのは大きいね」
あの翼竜、強さはもとより、あの硬い皮膚のせいで、ダメージが与えられないことが脅威だった。
その脅威を、力を籠めた場合という条件はあるものの、切り裂けることがわかったのは収穫だ。
「Gaaaaaaaaaaa――……!!」
絶叫をあげながら、翼竜は、トリモチが付いたまま身体を大きく開いた。
メリメリと音を立てて、顔から翼を引き剥がす。
同時に、猛烈な殺気をこちらに向けてきた。
思わず二人は息を呑む。
あれは、覚悟を決めた顔だ。
翼が使えないので逃げられず、しかも自分の皮膚を切り裂く相手が目の前にいる。
その状態で、しかも見逃してもらえないのであれば、生き延びる為にするべきことは一つしかない。
即ち――相手を追い返す。あるいは殺す。
だが、追い返すだけならいずれまた自分の下へとやってくる。
ならば、《流離う翼竜》が取るべき行動は一つだけだ。
「手負いの翼竜、本気モード……だね」
「たられば意味無いって言ったけど、これは仕留められなかったのはやばいかも」
さっきまでは、あちこち怪我をしながらも、それでもまだどこかに捕食者としての余裕を感じられた翼竜だったが、今はそれが微塵もない。
「ここから先は本当の弱肉強食ってやつかな」
強い方が生き残る。当たり前ながらも、恐ろしい真理の世界。
「望むところだよ。
元々、アイツを生かすつもりはなかったんだから」
ダメージを与えられたことで緩んでいた気持ちを引き締めなおして、ヒチリは告げる。
「やろうショウ」
「うん。せっかくだから、アイツの肉をステーキにでもしてリュウちゃんにあげよう」
「ステーキ? なんで?」
「竜のステーキ……リュウテキってね」
そう言ってウィンクをするショウに、
「そんなッ!? ヒィちゃんまでリュウちゃんの如きスルースキルを取得されたらショウ寂しくて死んじゃんだけどッ!!」
――ただ嘆息だけを返してヒチリは走り出すのだった。




