013
聞く耳持たない――まるで、そう言いたげなヒチリの背中にショウは口を尖らせる。
それはそれとして、ショウはどこからともなく、リンゴを一つと蜜柑を一つ取り出した。
もちろん、そいれぞれ普通の果物ではなく、ショウの能力によって姿を変えているだけのもの。
ヒチリを追いかけながら、そのリンゴのヘタの先端を指パッチンの要領で擦って火を付けた。
そんな彼女たちに対して、《流離う翼竜》は、前傾姿勢になると、翼を広げ、その両足で力強く地面を蹴った。まるでエンジンを点火したロケットか何かのような勢いで、二人へ向かって突っ込んでくる。
大口を開けて一直線に肉迫してくる翼竜に対して、ヒチリは咄嗟に左へ跳んだ。
ヒチリを通り過ぎてこちらへ向かってくる《流離う翼竜》。
その突進をチャンスだと直感したショウは、手首のスナップだけでリンゴを放る――と、同時に両腕で自分の顔を覆いながら、右へ跳ぶ。
瞬間、リンゴはその姿を元の姿――爆弾へと戻すと、ショウと翼竜の間で炸裂したッ!
爆風がショウを吹き飛ばす。吹き飛ばされながら蜜柑を投げる。
目の前で起きた爆発に流石の《流離う翼竜》も避けようがなく、爆炎へ突っ込むと、そのまま頭から地面へダイブして、地面を滑っていく。
ショウは何とか跳んで爆風による衝撃を抑えたものの、近くの木に背中から叩きつけられ、思わず咽る。
それでも、地面に倒れて動きを止めている翼竜を見て、口の端だけ吊り上げ笑った。
「どうよ。ショウちゃん特性のリンゴ爆弾。名付けてフリーズボム!」
ダメージが通っていようがいまいが、関係ない。
頭から地面に突っ込んだこと。それだけで成果があったと言える。
地面に突っ込み、うつ伏せで倒れている《流離う翼竜》は、完全に動きを止めていた。
それを好機と見たヒチリは風を纏い、地面を蹴って高く舞い上がり、刃に力と風を籠め、空中で上段に構える。
翼竜がもがくように起き上がり、本能的に上を見た。
ヒチリと《流離う翼竜》の視線が交差する。
だが、ヒチリの方が速い。それは彼女自身も確信があった。
それに対して、翼竜は野生の勘ともいうべきものか――首を思い切り背後へ向けて仰向けになるかのように、身体を傾けた。
結果としてそれが翼竜にとって功を奏した。翼竜は左目の目蓋から縦一文字に切り裂かれるものの、致命傷には至らない。
そして、《流離う翼竜》は狙いもろくに付けず、ゆっくりと倒れながら、それでもヒチリに向けて、空気の塊を吐き出した。
「ヒィちゃんッ!」
ショウの顔色が青ざめる。
吐き出された塊の軌道から、自分に直撃するかもしれないと判断したヒチリは咄嗟にそれへ向けて剣圧を放つ。
放たれた剣圧が空気弾に触れた直後、圧縮された風が解放され、まるで爆発のような衝撃波が巻き起こる。ヒチリは空中に居る為に、その爆風を躱すことができない。
だが、それは最初から覚悟の上だ。これならば空気弾が直撃するよりもずっと安いダメージで済む。
刀を持たない方の腕で顔を多い、迫り来る衝撃に備えた。
直後に、暴力と化した風が彼女を襲う。
落下の勢いが止まったかと思うと、身体が軽く浮き上がる――そう思った矢先、全身を空気のハンマーで叩かれているかのような衝撃が彼女を襲う。
まるで普段使っている自分の力に反逆されているようで、生きた心地がしない。
そんな中でも、剣を落さずに握り締めていられたのは奇跡に近かった。
ようやく風の暴力から解放されたものの、自分が今、どういう状態になっているのか分からなかった。
目を開けて、自分がまだ空中にいるというのは分かった。だが、暴風に弄ばれ身体の向きや平衡感覚が狂わされてしまった為、現状を上手く理解出来ない。これはヘタなダメージよりもきつかった。
(……体勢を整えて着地するなり――……受身を取るなり、しないと……)
頭ではそう思うのだが、どちらに身体を捻るべきか、どう身体を動かせば受身を取れるのか、そもそも地面まで後どれくらいなのか、その辺りがまったく分からなくなっている。
(まずい……)
混乱する頭で、それでも何とかしようと空中でもがく。
そして、衝撃が来た。
(……あれ?)
だが、それは地面に叩きつけられるようなものではなく、優しく抱きとめられるかのような、感触だった。
「……リュウ?」
抱きとめてくれた誰か――思わず、そこから連想した名前を呟きながら、目を開く。
「リュウさんじゃなくて、ごめんなさい」
呟きに対して返って来たのは、女の子らしい可愛らしい声。
「ベル」
「うん」
だが、実際に自分を抱きしめているのはベルではない。
「スピリット……?」
それは間違いなく、見た目だけなら黒いスピリットだった。
しかし、本来のナイトスピリットは個体差はあれど、成人男性ほどの体長なのだが、自分を抱きしめているスピリットは違った。
その体長は二メートル半ばはあるだろう。そして何よりどこか野暮ったい雰囲気のする通常のスピリットと違い、この巨大スピリットはスマートなシルエットをしている。
「とっておきたいとっておき、これが切り札。わたしの能力の、レベル5。《夜騎士達の女王》」
「クイーン……」
地面へと降ろしてもらいながら、その姿を見上げる。
確かに、よく見ると女性的な身体つきをしていた。
「ありがとうクイーン。それと、ベルも」
身体中が痛いが、死んではいないし、身体も動く。
「でもどうしてここへ?」
「ベル保険。役に立てた」
「ベル保険?」
「それは……えっと、とりあえず後でで、いい?」
その言葉にヒチリはうなずいた。
そうだ。今はそんなことを聞いてる場合ではない。助けてもらった――それだけ認識しておけばいい。
大きく息を吐いてから、ヒチリは翼竜へと向き直った。
「ヒィちゃん無事?」
「うん。ベルのおかげで」
「ナイス! ベルちー!」
こちらへと駆け寄って来ながら、ショウはベルに親指を立てる。
それに、彼女は少し照れながら答えた。
「ともだち……だから」
「くぅ……! 可愛いすぎ! こんな状況じゃなければ抱きしめたい!」
こんな状況――その言葉に、ベルはハッとしたように、翼竜に視線を向ける。
何やら有刺鉄線でぐるぐる巻きにされているようだが……。
「ヒィちゃんへ攻撃した後、そのまま倒れたから上手いこと巻きつけてきたんだけど」
ショウのことだ。予め何らかの準備はしておいたのだろう。
「でも、あんまし意味ないかも」
「充分だよ」
不安げなショウにヒチリは告げる。
「立ち上がる前に決める」
全身が痛い。構えるのも辛い。だが、それがどうした。
自分にそう言い聞かせて、ヒチリは構える。
開拓能力とて、無限に使えるものではない。
使えば使うだけ疲労する。それは肉体的というよりも精神的な疲労に近いものだ。
今のヒチリは全身が痛みと疲労で悲鳴を上げているし、溜めの必要な大技を連発していて、精神的な疲労もかなりきている。
今すぐにでも倒れてしまいたいが、それでも倒さないといけない相手が目の前にいる。
翼竜はジタバタともがきながら、身体を横へ転がし仰向け状態からうつ伏せ状態になった。
それで幾分かラクになったのだろうか。さっきまで視線もあちこちに泳がせていたのだが、今はもがきながらも視線だけはヒチリから外さない。
「今度こそ……完全に断つッ!」
気合と共にそう言い放ち、ヒチリは全身を躍らせる。
両手で刀を握り締め、地面を力強く踏み締め――
「――――――…………ッッ!!」
その時、《流離う翼竜》が声のない咆哮を上げた。
その口から迸る音無き咆哮が空気を震わし、震えた空気がヒチリをも揺らす。
それだけだ。痛みはない。
だが、咆哮を浴びると同時に下腹部にズンという音が響いたかと思うと、身体がいうことを聞かなくなる。
(ま、また……)
忘れていたわけではない。
だが、次で仕留めるという意識が先行しすぎてしまっていた。
この状況で、ショウやベルの声も聞こえない。
もしかしたら、背後に居た二人もあの声を浴びてしまっているのかもしれなかった。
身体の痺れが溶けていくように、ゆっくりと身体は動かせるようになっていくのだが、その間に、翼竜は絡み付いていた有刺鉄線から脱出した。
ギロリという音が聞こえそうなほどの《流離う翼竜》からの視線が、ヒチリの射抜く。
まるで、それは本当に心を射抜いたかのようだ。
妖しく輝くその瞳を見ていると、身体が勝手に震えだす。
食欲などとは違う、明確な殺意。それも、人間ではなく野生の獣からの。
それが、こんなにも恐ろしいものだとは思わなかった。
今までだってそれがなかったわけではない。
だが、目が合った瞬間に、心を噛み砕かれたかのように、震えだしたのだ。
すでに、咆哮による硬直は解けているはずなのに、身体が言うことを聞いてくれない。
怖い。
(やだ……)
ゆっくり身体を起し、翼竜がヒチリに向き直る。
(なにこれ……)
実際はゆっくりでもないのかもしれない。
しかし、ヒチリにはまるで翼竜が時間を掛けて怖がらせてきているかのように感じていた。
(怖いよ……助けて……)
再び、《流離う翼竜》は、声無き咆哮を上げた。
震える空気が再びヒチリの身体を拘束する。
もっとも、その咆哮の目的は、ヒチリの動きを抑えることよりも、その真っ赤な口を見せ付けるためのようにも思えた。
「クイィィィィィィンッ!」
ベルの叫びに応えるように、クイーンが自分の背丈ほどある剣を構えて踏み込んでくる。
だが、翼竜は肉迫するクイーンに空気弾を吐き出し、吹き飛ばす。
「ベルっぴッ!?」
クイーンが倒れ、その姿が粒子になって消えていくのと同時に、ベルの身体もぐらつき、そのまま地面へと伏せた。
ショウはベルに駆け寄りながら、この状態でどうやって立て直すか――頭の中で様々な作戦をシミュレートしながら、翼竜を睨みつけた。
その時、翼竜と目が合う。
ヒチリが受けた視線と同じ、ギロリと音が聞こえても不思議ではないほど鮮烈な殺意に満ち、妖しく輝く眼光。
そんな眼差しと自分の視線が交差した瞬間――ショウは、自分の心が砕けた音を聞いた気がした。
「は……はは、何これ……ここへ来て、何ビビってんのさ、あたしってば……」
倒れたベルも気になるが、あんなところで硬直しているヒチリを助けなければならない。助けなければいけないのに――膝が笑って、動けない。
考えていた作戦も全て霧散してしまった。
翼竜がヒチリに近づいていく。
(ダメだよ……今、ヒィちゃんがあたしと同じように……ビビっちゃってるなら……)
それ以上、ヒチリに近づかないで――そんなショウの願いを嘲笑うように、翼竜はヒチリに迫っていく。
やがて、ヒチリに齧り付ける間合いまで、翼竜は近づいた。近づいてしまった。
ヒチリの顔が恐怖に歪む。
ショウの瞳から涙が零れる。
《流離う翼竜》が大きな口を開く。
そして――
「ヒチリィィィィィィィィィ――……ッ!!」
彼女の名前を叫びながら、突如現われた人影が、自身のその右手を翼竜の顔に押し付けた。
同時にその右手と顔の間で爆発が起こり、翼竜を吹き飛ばす。
その人影はすぐさま、ヒチリを左腕で抱くとその場から離脱して、ショウの横へと移動した。
「リュウちゃんッ!?」
「リュウッ!?」
ヒチリを乱暴に地面に下ろすと、大きく嘆息をしながら、とてつもなく面倒くさそうに、彼は告げた。
「ショウ、ヒチリ。お前ら後で説教な」




